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デジタルと熟練職人の直感を融合。精密加工で次世代製造業の最先端をゆく(株式会社入曽精密・社長 斉藤 清和氏)

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掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


精密度99.9999999%。振れば、ほぼ数学上の確率どおり6分の1ずつ目が出る「世界一フェアなサイコロ」など、世間をアッと言わせるモノづくりを手がけてきた斉藤社長。

3次元CAD/CAMとMC(マシニングセンタ)を駆使した独自のMC造形システムがその超精密加工を可能にした。

「アルミのバラ」を初めて展示会に出したとき、ほとんどの人はその前を素通りした。よくできてはいるが、どうせアルミ箔をくっつけてつくったオブジェだろうと思ったようだ。

ごく稀に、足を止める人がいた。大学教授や大手企業の技術者に多かった。花びらや葉脈まで精巧に再現されたバラを様々な角度から食い入るように眺め、最後は信じられないという顔付きになった。

バラには接着面などどこにもなく、1個の金属の塊から削り出されたものだったからだ。時は2001年。3次元CAD/CAMがようやく世間に知られるようになったころの話である。

大学教授や大手企業の技術者を驚嘆させたこの「アルミのバラ」の製作者は、入曽精密の斉藤清和社長(55歳)である。バラには日本一の加工屋をめざす斉藤社長の思いが込められていた。

いまでいうフリーター生活を送っていた斉藤社長が、「家の仕事を手伝え」と父(斉藤清八現会長)に言われ同社に入社したのは1983年、25歳のときだった。

◇    ◇    ◇

当社は研磨職人だった父が起こした会社ですが、当時は発注先から持ち込まれた鋼板に穴を開けたり少し研磨して納入する典型的な町工場でした。孫請けどころか玄孫請け(四次下請け)で、工賃が安く仕事量も安定していなかった。

そんなある日、手持ちぶさたのパートさんたちが「最近仕事減ったねぇ。今月は給料出るのかね」と浮かない顔で話し合っている姿を見たのです。社長の息子として責任を感じると同時に、会社に技術がないことを思い知らされました。技術がないから、どこでもやれる単価の安い仕事しか回ってこない。

社員やパートさんたちにそんな心配をさせるような会社であってはいけない。それには、ともかく技術力を高めなければならないと思い、まずベテランの職人さんについて徹底的に機械の操作を身に付けました。

そうしてしばらくすると、父が私専用として、これまでより高度な加工ができる成形研磨機を購入したのです。父も技術力を高めたいと思っていたのですが、社員が高齢化して新しい機械を使いこなせる人材がいなかったのですね。私がこの機械を使うようになったことで、取引先からくる仕事が少しずつ付加価値の高いものに変わっていきました。

3次元デジタル機器に未来の製造業の姿を求めて

入社して3年後、父が今度は数値制御のNC工作機械を導入します。この機械を見たとき、体の中をイナズマが走りました。図体が大きかったこともありましたけど、スケールで計ってマジックで印をつけて動かすそれまでのアナログ機械とは別の次元のものだと感じた。モノづくりがこれから新しい時代に入っていくことを確信した瞬間でもありました。

実はそのころまで、会社を離れて別の道を歩むことも頭の片隅にありました。でも以後はモノづくりから離れられなくなった。この機械を使って、日本全国から仕事の依頼がくるような日本一の加工屋になってやろうと心に誓いました。思うだけなら勝手ですからね(笑)。

いまにすればよく続いたなと思いますけど、毎朝6時からそれこそ日付が変わる時間まで、機械の前にいました。

◇    ◇    ◇

もともと数学が得意だった斉藤社長は、すぐさま数値制御のNC工作機械を手に入れる。それを駆使して、他社が断わるような難しい金属加工を難なくこなしていった。そのなかにはF1のエンジン部品や人工衛星の部品もあった。詳細かつ完璧な設計図を持ち込まれるほど、意欲が湧いたという。

付加価値の高い加工だけに、収益もそれなりに上げることができ、新たな投資も可能になった。

2次元のCAD/CAMは他社に先駆けて導入した。CAD/CAMとは、コンピュータ支援による設計・製造のことで、CADを使えば人間の手では難しい図面もたやすく描ける。
CAMはCADで描いた図面を工作機械用にプログラムするためのものだ。

90年ごろには3次元のCAD/CAMが登場し、金型製作などに用いられていたが「まだ開発途上で自由度が少ない」ことから導入を見送っていた。これなら使えそうだと思えるレベルになったのは98年ごろのことだ。

次世代のモノづくりはここから始まると考えた斉藤社長は、以降、3次元デジタル機器を使ったモノづくりに向け社内体制を整えていく。

◇    ◇    ◇

最初に導入したのが3次元CAD/CAMにも対応可能な五軸構造の横型マシニングセンタ(以下、MC)とデータサーバでした。

MCは様々な工具を自動着脱しながら切削などの加工を自動で行なう機械です。当社は製造業ですから、実際に切削加工を行なう機械に使い慣れてから3次元CAD/CAMを入れるのが筋だと考えたのです。CAD/CAMはつくるための司令塔に過ぎません。どんなにすごい作戦を立てても現場の兵隊が実行できなければ意味はないんです。

当時、3次元CAD/CAMは扱いが難しく、データどおりにモノがつくれないといわれていました。私はその原因はCAD/CAMではなく、工作機械にあると思っていた。3次元CAD/CAMでつくられるデータは大きく、それを受けるだけのキャパシティを機械がもたなかったのです。では、どうすれば機械のキャパシティを上げることができるのか。

1年かけて探し出したのが、ファナックが開発したばかりのデータサーバでした。その容量は、いままで大きいと思っていた2次元CAD/CAMのデータがごま粒ほどに感じられるくらい。そのデータサーバを購入し、MCメーカーの森精機に頼み込んで特注で搭載してもらった。合わせて3,000万円以上の投資になりました。両社とも、こんなちっぽけな町工場が何に使うのかと不思議がっていましたね。

この横型MCを1年ほどで使いこなせるようになって、満を持して3次元CAD/CAMを導入しました。MCは通常の仕事にも使えますが、こちらは私が使えなければ埃をかむるだけになる。1,000万円近くする機械でしたから、もう必死で分厚いマニュアルに取り組みました。ベンダーからは使えるようになるまで1年半はかかると言われていたのですけど、2か月くらいで試作ができるようになりました。機械は道具ですから、もつだけでなく使いこなせるようになることが肝心なのですね。

その過程で浮かんだ発想が、MCを端末として使うというものでした。これまでのようにMC1台ごとに専用のコンピュータを設置するのではなく、コンピュータ室を設けて、そこにMCを端末として複数台接続すれば、1つのデータで同時に作業ができるのではないかと思ったのです。

現在、当社の工場はその発想にもとづいたシステムで稼動しています。これをミニマムグリッドコントロール・マニュファクチュアリングシステム、略して「MC造形システム」と名付けました。これによって2006年に「日経ものづくり大賞」を受賞しています。

3次元CAD/CAMで最初に試作したのは富士山の上にバネのような突起物をつけた作品だった。これまでの工法では絶対につくれないモノであったにもかかわらず、社員の間では「ブタのシッポみたい」と不評だった。わかる人が見れば驚くほどの技術だが、見た目が美しくなければ訴える力は弱い。そこで、試作第2弾としたのが「アルミのバラ」である。日々の仕事をこなしながら、毎日夜8時ごろからCADに向かい、完成まで1年近くかけた。

「アルミのバラ」は、もとは高さ15センチのアルミ合金のインゴッド(金属柱)だ。MCにセットし削り終えるまで三昼夜。その間、1度も取り出していない。今度は社員もその出来映えに驚いた。

次につくったのが「世界一フェアなサイコロ」である。アナログでつくったサイコロは、出る目に偏りが生じる。サイコロの表面には1から6までの目が掘られており、それによって重心が中心からずれるからだ。斉藤社長はCADを使って正立方体を6つの四角錐に分割し、それぞれの質量が均等になるよう計算してMCで各面に目を掘った。だからサイコロの目の大きさと凹みの深さはそれぞれ微妙に異なっている。その重心の精密度は理論上、99.9999999%。人間の手では絶対につくれないサイコロなのである。このサイコロは高校の物理の教科書でも取り上げられている。

◇    ◇    ◇

その後も、0.3ミリ角の世界最小の削り出しサイコロや奈良の新薬師寺の伐折羅大将像の8分の1のレプリカ、ミクロン単位の目盛りを削り出したモノサシ、NTTドコモの「金の鉄人」キャンペーンの賞品となった鉄人28号の精密フィギュアなど、3次元のデジタル工作機器を手足のように使わないとつくれない作品の数々を世に送り出してきました。

他企業とパートナーシップで新しいモノづくりに挑む

なぜ、お金になりそうにない作品をつくってきたかというと、技術力の宣伝のためです。遊び心とか腕自慢ではありません。メシのタネとしてやってきたことなんです。当社はこれまでF1や人工衛星部品の製作に関わってきましたが、守秘義務があって、ウチがつくったと大っぴらには言えない場合が多いのです。せっかくこれだけの技術をもっているのだから世の中の人に知ってもらいたい。そうすることで、私たちと意を同じくするパートナーを探したかったのです。

現在、チタン製のiPhoneケースや文具など自社ブランドももつようになりましたが、こんな小さな会社ですからやれることには限りがあります。新しいモノづくりに挑戦したいという会社はどんどん当社の技術を利用してほしい。実際、企業名は出せませんが、自動車、半導体、医療、音響、楽器など様々な業界から仕事や共同開発の依頼を受けるようになりました。弟子入りを希望して入社してくれる若者もいて、技術の伝承も進んでいます。

デジタル技術によって、モノづくりの世界はものすごいインフラを手に入れた。いまや工具に触ったことのない人でも、3次元CAD/CAMとMCを使えばそれなりのモノがつくれます。でも私たちプロの職人から見れば、そうした人のつくったモノは所詮素人の作品でしかない。プロには長年の修業によって身に付けた直感というか閃きがあり、どうすれば最も効率がよくなるかなどが理屈ではなくわかります。

また、使い手のことを考えたおもてなしの心ともいえるものをもっている。たとえば、使う人が手を切ることがないようにと、機能とは全然関係ないところで金属の角を丸めておくといったことです。デジタルだけではモノづくりはできないのです。

これから世の製品はどんどんコモディティ化(日用品化)されていくでしょう。いまは最先端でも10年後には誰もがもっている当たり前の製品になっていく。そんななかでちょっと突き抜けた非コモディティなモノづくりをめざすことが重要だと思っています。それはデジタルに職人ワザを融合させることによって可能になる。それが次世代製造業の姿であり、われわれ中小企業が生き残る道はそこにあると思っています。当社はその先駆者であり続けたいのです。

月刊「ニュートップL.」 2014年3月号
編集部


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