「八百屋のような」古着屋でリサイクル文化を広めたい(株式会社ドンドンアップ・代表取締役 岡本昭史氏)
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店名どおり、毎週、水曜日に値下がりする古着店、「ドンドンダウン オン ウェンズデイ」を展開するドンドンアップ。岡本昭史社長が、ユニークな発想の原点を語る。
東日本を中心に直営・FC合わせて56店舗(2011年11月現在)を展開するリサイクル古着店「ドンドンダウン オン ウェンズデイ」は、2005年に第1号店をオープンして以来、毎年、10店舗以上のペースで拡大してきた。人気の理由は、そのユニークな販売方法にある。毎週、水曜日になると、一部の商品を除いていっせいに値下がりするのだ。
たとえば、今週、3000円だった商品は翌週2000円になり、翌々週には1500円まで下がる。さらに、次の水曜日には900円になって、最終的には最低価格の100円になる。待つほどに値段は下がるが、翌週まで売れ残っているとは限らない。来店客は、その駆け引きをゲーム感覚で楽しめる趣向になっている。
また、商品には値札の代わりにネギやスイカ、ニンジンが描かれたタグが付けられるというアイデアも、同店を運営するドンドンアップの岡本昭史社長がめざした「個性的な店舗」の実現に貢献している。
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一言で言えば、八百屋みたいな古着屋にしたかったんです(笑)。
一般的に、古着屋って、これまであまりよい印象をもたれませんでした。店内は薄暗くて、店員は無愛想で……。
しかも、それらの多くは明らかに若者をターゲットにしていて、近寄りがたい雰囲気を感じるお客様も少なくなかったのではないでしょうか。
いらなくなった衣類を捨てるのではなく、それを必要とする人が再び活用するという古着屋のコンセプトは、社会的にも大変、意義深いはずです。でも、それが結果として、一部のお客様にしかご利用いただけなかったとすれば、これほどもったいないことはない。もっと幅広い年代の、様々なお客様が日常的に古着を楽しめるような店舗にしたいと考えていました。八百屋のような古着屋とは、そういう意味です。
発展途上国で人気の高品質な日本製古着
もっとも、お客様の日常生活に密着した元気のよいお店なら、魚屋でも肉屋でもよいのですが、値札代わりのタグは一種のアイコンですから、ひと目で正確に認識できなければいけません。その点、サンマやイワシより形状の違いがわかりやすいので、野菜や果物のタグになったというわけです。
そういったタグは10種類あって、商品にどのタグが付いているかを見れば、「このシャツはダイコンだから、今週は900円だな」と、現在の値段がわかる。毎週、値札を更新する手間が省けるという作業上のメリットはもちろんですが、商品を眺めているだけでも、古着とイラストのギャップが楽しいんですね。店名も変だし、古着屋っぽくないでしょう。
ちなみに、「ドンドンダウン」とは別に、すべての商品が一律500円で、2つご購入いただくと、もう1つ商品をプレゼントするというシステムの店舗も、いま3店舗ほど展開しているのですが、こちらは「ニコカウ・サンコメタダ」といいます(笑)。
おかげさまで、お子さんからご年配の方まで、これまで古着屋とはあまり縁のなかったお客様にも、お越しいただいています。
一方、商品の買い取りについては衣類全般を対象としていて、有名ブランド品やヴィンテージ品でなくても、基本的にすべて買い取ります。
ですから、なかには商品として店頭に並べることができない衣類も含まれるのですが、それらは100円に下がっても売れ残った商品とともに、東南アジアやアフリカ諸国など、22か国へ輸出しています。日本の古着は全般的に質が高いので、発展途上国ではけっこう人気があるんです。たとえ損傷が激しい古着でも、反毛材としてマットレスなどに再利用されるので、廃棄する衣類はほぼありません。
おおざっぱに言うと、現在、全店で買い取る衣類は毎月約2000トンで、その半分が海外に輸出されるという状況ですね。
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岡本社長は、1968年、東京都に生まれた。高校卒業後、バイクレーサーを志して渡米。レースへの挑戦を繰り返したが、プロの壁は厚く、1年半後には断念せざるを得なかった。だが、米国での生活は実り多く、生活費を稼ぐため日本製の衣類をフリーマーケットに出品したことが、その後の進路を考えるうえで得難い経験となった。加えて、リサイクルが日常生活に根づいた異文化を実感できたことものちに役立ったが、それらがドンドンアップに結実するまで、試行錯誤は続いた。
帰国後、ヴィンテージ品の輸入販売会社を起業。ブームに乗って店舗数も拡大したが、流行が下火になると業績も落ちて、雑貨店やカフェなどに転業することでリスク分散に努めた。
やがて、それらの店舗を通じて縁ができた東北地方に軸足を移し、盛岡市にリサイクル古着店をオープン。97年にはドンドンアップの前身となる有限会社を設立した。既存の売上不振店を改装した「ドンドンダウン」第1号店が青森県8戸市にオープンしたのは、さらにその8年後である。
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毎週、値段が下がるというアイデアは以前から温めてきたものでしたが、実際に始めるとなると、さすがにためらいもありました。スタッフからも不評で、もし誰からも買っていただけなくて、全商品が100円になってしまったらどうするんだと、不安がられたものです。
でも、レーサーを諦めたころから15年ほど古着の世界で仕事をしてきた自負もあって、手応えは感じていたんです。経験則と言うべきでしょうか、絶対とは言えないまでも、お客様に喜んでいただける見通しはありました。
結局、もともと不振店だったので、売上額そのものは大きくありませんでしたが、主に口コミが広まって、3か月後には売上が3倍になりました。
お客の心を摑んだ古着屋らしくない企画
実は、それまでにもいろんな販売企画を実践していました。スタッフたちは、売れる商品なら懸命に売ってくれるのですが、売れないとなると、もうお手上げなんですね。でも、オーナー経営者である私は「売れないのだから仕方がない」とは言っていられません。何が何でも売らなければいけない。ですから、自然と私は「売れ残った商品」を担当する役回りになっていたんです。
とはいえ、スタッフがお手上げになるくらいですから、そう簡単には売れません。そこで、知恵を絞って売るための工夫をいろいろ考えるわけですが、気取った売り方はあまり面白くない。そう考えて、古着屋らしくない企画をたくさん試してみました。
たとえば、地元のお祭りに合わせて、店舗前でお客様に金魚すくいを楽しんでいただき、金魚を一匹すくうたび100円割引券をお渡しする。これは、なかなかの好評企画でした。
いまも鮮明に覚えているのは、ある年末の3日間、北上川に浮かべた舟の上で釣りに興じる私の姿を携帯電話のカメラで撮影して、それを店頭で見せていただくと、初売りで福袋を1割引きにする企画です。目印になるよう「伝説の福袋」と書いたアドバルーンを上げまして、七福神の宝船を模した舟に福袋を積んで、それを別の舟に乗った私が釣り上げるわけです。
また、実際に魚釣りにも挑戦して、もし私が魚を釣った瞬間が撮影できたら、福袋を1つプレゼントすることになっていました。でも、年末の盛岡は寒くて、場所によっては氷点下まで気温が下がりますから、そんな時期に魚なんて釣れないんです(笑)。
そうして、朝から晩まで凍えながら北上川に浮かび続けた甲斐あって、初売りの日には朝4時くらいからお客様に並んでいただきました。わずか20坪ほどの店でしたけれど、ありがたいことに300メートルも行列ができたんです。古着屋らしさはまったくありませんが、そんな企画の集大成が「ドンドンダウン」なのかもしれません。
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ことし3月の大震災以降、同社は「ドンドンドネーション」という被災者支援活動にも力を入れている。店頭での募金活動やチャリティグッズ販売の他、全国から寄せられた古着を仕分けして被災地に届ける「ニコニコフリマ」を各地で開催。また、集まった古着の重量1キロにつき、同社が5円ずつ義援金を積み立てる「古着5555トン回収大作戦」を実施した。8月末で受付が終了した支援古着の総重量は、およそ460トン、延べ件数は約1万1000件に及んだ。
そうして支援活動に取り組んできた同社も、実は被災している。幸い犠牲者はなかったが、盛岡や仙台では数か月間の閉店を余儀なくされた店舗もあり、福島県南相馬市の店舗では原発事故によってスタッフは避難生活を強いられた。
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被災地に古着を送りたいという気持ちは崇高で、その厚意がすべて役立てばよいのですが、残念ながら、実際には仕分け作業が必要なんですね。ところが、人手が足りなかったりして、せっかくの古着が被災者に渡ることなく、体育館に積み上げられたままになっていたり、焼却処分されるようなケースもあったといいます。ですから、個人が古着を送るのはむしろ被災地の負担を増すとして戒められました。
その点、私たちには仕分けのノウハウがあります。古着屋は古着で支援に貢献すべきだと考えて、5555トンの回収を目標にしました。
目標には及びませんでしたが、いまも続けている「ニコニコフリマ」などを通じて、少しはお役に立てたのかなと思っています。
被災地で喜ばれた「一点もの」の古着
地震の直後は、津波から必死に逃れたものの、全身、ずぶ濡れになってしまった方がたくさんいました。そういう状況のなかでは、どんな衣類でも役立ったわけですが、しばらく経って避難所生活にも慣れると、事情が変わってくる。企業などからTシャツ500枚とかジーパン300本とか、衣類が大量に送られてくるのはありがたいのですが、避難所に身を寄せる方が全員、同じ服装になってしまうんです。
もちろん、それでも贅沢は言っていられないのですが、当面の混乱が落ち着いて復興に向けてがんばろうという時期になると、やはりおしゃれもしたいですよね。せめて、自分の好きな服を着てみたい。そういうなかで、古着はすべて「一点もの」ですから、ずいぶん喜んでいただけたように感じています。
言うまでもなく、東日本大震災はすべての日本人に与えられた試練で、私たちにも影響はありました。ただ、そういう経験からあらためて確認できたのは、私たち古着屋は社会の役に立つビジネスだということです。震災後という非常時に役立つだけでなく、廃棄される衣類を減らして資源循環型の社会をつくるうえでも、古着屋の役割は決して小さくないんですね。
私がこの仕事を始めたのは20年以上前で、そのころはまだ社会的な評価も低く、金融機関から融資を受けるのも大変でした。でも、古着屋の存在意義がもっと広く認められるようになれば、リサイクルビジネスの活動範囲も広がって、社会全体にますますよい循環が生まれるのではないでしょうか。
そうした認識で多くの方々に共感していただくためにも、古着がお役に立つうちは、今後も様々なかたちで支援活動を続けていくつもりです。
月刊「ニュートップL.」 2011年12月号
編集部
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