「非円形歯車」を駆動装置に組み込める日本唯一のエキスパート(株式会社イシダ技研 社長 石田直樹)
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不等速運動を生み出す「非円形歯車」の設計・試作、機構設計を行なう専門企業が、埼玉県に本社を置くイシダ技研である。
非円形歯車を設計できる企業は同社を含めて、国内に2社しかない。
そのうえ非円形歯車をユニットとして、駆動装置などに組み込むことができるのは同社だけである。
石田直樹社長に、創業時からの苦労と技術について聞いた。
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歯車の歴史は古い。紀元前350年ごろにはすでに使用されていたことを、古代ギリシャの哲学者アリストテレスが書き残している。15世紀後半、ルネッサンス期の天才レオナルド・ダ・ビンチは、様々な機構をもつ歯車を考案し、いまでもその原理が利用されているというのだから驚きだ。
歯車はあらゆる道具や機械に組み込まれており、まさに人類の知恵の源ともいえる部品の1つである。現代日本で、この歯車に新たな知恵を注ぎ込んでいるのが、埼玉県飯能市に本社を置くイシダ技研の石田直樹社長(54歳)だ。
歯車は丸いものだというイメージがあるが、イシダ技研が手がけるのは楕円形や四角形、卵形などの「非円形歯車」である。非円形歯車は、速い動きと遅い動きを交互に生み出したり、一回転するなかで変則的な動きをつくるなど、不等速運動を行なう機構に使われる。代表的なのが田植機だ。田植機のツメは、苗を痛めないように田んぼにゆっくりと挿した後、すばやくもとの位置に戻らなければ、うまく土中に植えられない。このツメの不等速なクイックモーションを生み出しているのが、非円形歯車である。
非円形歯車はそれ自体、設計し製作するのにも、高度な技術が必要である。そのうえ、等速運動が基本である駆動装置に、変則的な動作をする非円形歯車を、ユニットとして組み込むのは至難の業だ。
非円形歯車の設計・試作・製造を行なう会社自体が、日本には2社しかないが、こうした機構を含めたユニットとして設計できるのは、イシダ技研だけである。そのため、非円形歯車では同社が唯一無二の存在になっている。
「さほど大きな市場ではないので、他の会社が手を出さないだけですよ。ただ、ユニット設計は他社ではできないので、うちで設計できなければ、1からすべての設計を見直すしかない、とお客様に言われますね。でも、設計が変更されれば当社に注文が来なくなるわけですから、なんとしても設計しようと努力します」と石田社長は語る(以下、発言は同氏)。
非円形歯車とカムが事業の二大柱
イシダ技研では、おもに非円形歯車の試作から設計、必要に応じて大量生産用の金型の設計、ユニットの組み立ても行なうが、大量生産は請け負っていない。
また、同社ではカムの試作・設計にも力を入れている。カムとは、非円形の板を利用して、回転運動を直進運動に変換する装置だ。代表的なものとしてはエンジン用のカムシャフトがあげられる。ピストン運動で空気をシリンダー内に取り入れ、排出する装置だ。ほかにも印刷機や食品機械など様々な機械に利用されている。売上としては、カム関係が8割を占める。
取引先は一部上場企業など大手が中心で、技術開発部門のエンジニアとやりとりしながら機構を設計し、試作品をつくり上げていく。開発案件によっては特殊なニーズも多く、特許を出願するケースもある。
2つ例を挙げよう。スタート時は振動が出ないようにゆっくりと動き出し、中間では等速ですばやく動き、ストップ手前になるとまたスピードを落としゆっくり止まる、という製造装置を設計する案件があった。石田社長は工夫に工夫を重ね、「曲線形ラック歯車」とよばれる装置を考案し、解決した。
「曲線形ラック歯車」とは、ラックとよばれる機構と、非円形歯車を組み合わせた装置である。ラックとは、棒状の板に歯を切り込んだ機構で、歯の上に歯車を置いて回転させれば、ラックが水平方向に動く。つまり、円運動を直線運動に変換するしくみである。石田社長は、スタート時とストップ時には図のように、楕円形の非円形歯車を使ったラックでスピードを変化させ、中間になると平歯車にバトンタッチして等速運動をするように工夫した。ラックと歯車を2列に並べて自動的に切り替わるようにしたのだ。ねらい通りの動きを達成し、顧客にも感謝されたという。
もう1つの例が、クッキーの生地を押し出すための機構づくりだ。粘度の高いクッキー生地を、押し出しながら丸くするのだが、生地に空気を混ぜ込まないとクッキーがうまく膨らまない。そのため、ゆっくりと絞り出しながら、しかも生地の量を均等にしなければならない。
2つのローターを回転させて、その隙間から生地を押し出すしくみだが、このローターを駆動させる歯車が問題だった。普通の歯車だけで回転させると、生地が流れるなかで偏りができ、そのため押し出される生地の量にばらつきが生じるのだ。
この偏りを制御するために、六角形の非円形歯車を使い、生地が偏るとゆっくりと歯車が回り、均等になると早く回るという機構をつくり出した。これによって、見事に顧客の要望に応えた。
この2件をはじめ、石田社長の、非円形歯車を熟知した発想により解決された事例は、多数にのぼる。
多機能工作機を購入しものづくりを始める
石田社長は1959年、福井県に生まれた。大学卒業後、大阪の機械メーカーに就職し、機械設計に8年間従事。その後、東京の企業に転職し、同様に機械設計を担当した。当時はバブル景気もあり、仕事は忙しかった。毎日深夜まで働き、残業時間が200時間を超えたこともある。土日もなく働き通したが、仕事が好きで、つらいとは思わなかったという。
「忙しすぎて、周囲には辞めていく人もいましたが、私は苦にならなかったですね。逆にそのとき猛烈に働き、培ったことがいま生きています」
だが、そのうち自分の腕を1人で試したくなってきた。機械設計で食べていける自信もあった。そこで、93年に独立、1人でイシダ技研を設立する。バブル崩壊で世の中は不景気になっていたが、石田社長は自分1人ぐらいならやっていけると気にしなかった。
6畳アパートの1室にパソコンを持ち込み、CADソフトを購入し、仕事を始めたが、やはり簡単には受注できない。最初の1年間は売上もわずかで、貯えを取り崩してしのいだ。2年目に入ると、ようやく知り合いから顧客を紹介してもらい、少しずつ設計の仕事ができるようになったが、それでも売上は微々たるものだった。
そんなとき、ある板金会社から、鉄道の駅に設置する分別式ゴミ箱の設計依頼があった。当時、ようやくゴミの分別が普及し始め、鉄道会社もゴミ箱を入れ替えていた。板金会社の社長はこれを好機と見て、下請け脱却の意味もあり、かなりの量を受注したのだが、設計部隊が会社になかったのだ。
石田社長は鉄道会社の担当者と何度も打合せをしながら試作品をつくり、ある私鉄会社に納入した。それが好評を得て、次はホームに設置する消煙灰皿を依頼された。吸い殻を入れるとフタが自動的に閉まり、煙が外に出ないしくみだ。他の鉄道会社からも依頼が来るようになり、ようやく収入が安定するようになった。
4年ほど板金会社と一緒に仕事をしたが、そのころから、機械設計の依頼も増え始めた。当時普及していたテレホンカードの印刷装置も製作した。カードを自動的にシルク印刷機の上に並べる装置だ。そのほか、食品機械の設計なども行なった。
機械装置にはカムや歯車はつきものだが、設計図を描き顧客に渡しても、図面通りにカムや歯車機構がつくれない。そこで、製作まで請け負い、知り合いの加工工場でつくってもらい、お客に納品するという事例が増えてきた。これほどニーズがあるならと石田社長は自分で製作を手がけることにした。当時はまだ、社員は自分1人だったが、マシニングセンタ(MC)とよばれる多機能工作機を1台購入し、切削加工を始めた。2001年のことだ。
非円形歯車の設計、製作も手がけ始めたが、すぐに遜色ないものができるようになった。
「非円形歯車の設計が難しいのは、隣り合う歯車とのピッチ(幅)やそれぞれの歯形の大きさがすべて違うからです。これを計算するソフトは売っていません。ピッチと歯形を決めるソフトは当社が独自に培ってきたノウハウで、実はその原点は創業直後にあったのです」
石田社長は、ほとんど仕事がなかった創業時に、以前から興味をもっていた非円形歯車を研究していた。その過程で、作成用のプログラムをつくっていたのだ。そのために、スムーズに非円形歯車の製作に乗り出すことができたのである。
ものづくりを始めると人手が必要になってきた。そこで、02年に第一号社員を採用。ものづくり経験がなかったので、石田社長は加工装置の使い方などを1年かけて教えた。幸い、熱心で辛抱強い若者で、しばらくすると重要な戦力になった。その後も少しずつ社員を採用していったが、なかなか定着してくれなかった。
「自分は猛烈に働いても苦にならなかったものだから、その尺度で若い人を見てしまうのですね。当然ながら物足りない。でも、言われたことをまず素直にコツコツとやる人なら伸びるんです。そこからさらに工夫してほしいのですが、なかなかそうはいきません。採用面接では、ものづくりに適さない性格だと判断したら採用しません。2~3か月で早めに辞めてもらったこともあります。そのほうがお互いのためですから」
非円形歯車を低価格で加工する技術を確立
03年、業界新聞がイシダ技研を取り上げ、非円形歯車に関して短い記事を掲載した。その縁もあり、「非円形歯車とカムなら単品加工からユニット製作までおまかせください」という内容の小さな広告を出した。これを機に全国から仕事が入るようになり、大手企業との取引も少しずつ広がっていく。
そして04年、石田社長は、非円形歯車を加工する新たな技術を生み出した。それまではMC工作機では輪郭を切り出すだけで、その後、歯車の歯形の奥深くまで精密に削るための高額な装置が不可欠だった。そのため、非円形歯車の製造コストも高くなっていた。そこで、歯車を固定する治具を工夫し、MC工作機だけで、仕上げまで加工できるようにしたのだ。コストは、少なくとも従来の半分ほどになったという。
そのことが業界紙で報道され、取引先がさらに広がった。ホームページの開設後は、非円形歯車、あるいはカム加工と検索すると、イシダ技研の名前が出るようになり、問い合わせがさらに増えた。
順調に売上と利益を拡大させ、賃貸ではなく自社工場を建設しようとした矢先の08年に、リーマンショックに襲われた。売上は6割減り、それが10か月ほど続いた。断腸の思いでアルバイトやパートには辞めてもらったが、社員のクビは切らずにがんばった。現在ではリーマンショック前の8割まで売上は戻ったが、経営環境は依然、楽ではない。
「起業して自分の思ったとおりに働けるのはよかったけれど、経営はしんどいですよ。60歳になったら後進に任せたいと思っているのですが、それまでには、たとえ小さくても、自社工場だけはもちたいですね」
まだまだ引退というわけにはいかないようだ。
月刊「ニュートップL.」 2014年1月号
吉村克己(ルポライター)
掲載内容は取材当時のものです。
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