音が聞こえるメロディーロードで交通安全の啓発に役立ちたい(株式会社篠田興業・社長 篠田静男氏)
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クルマの走行音が音楽に聞こえる「メロディーロード」。
現在、国内外8か所に施工されるユニークな技術を開発したのは、北海道標津町の土木建設業・篠田興業の篠田静男社長。
兄の急逝を受け、同社4代目を継いでから、低迷する業績を建て直すため、様々な事業に挑戦してきた。その歩みと経営観を語る。
知床半島の根元の南側に位置する北海道標津町。市街から少し離れた町道川北北七線には、ト音記号が表示された見慣れない道路標識が設置されている。さらに、そこから約600メートル先には八分音符の標識があって、その間の直線道路を法定速度で走ると、俳優森繁久弥が作曲した名曲「知床旅情」の一節が聞こえてくる。
曲の正体はクルマのタイヤと路面との摩擦音で、道路を横断する細い溝を路面にいくつも刻み、溝と溝との間隔を変えることにより音階を表現。クルマが一定の速度で走ると、様々な音階を与えられた摩擦音の連続が曲として聞こえるしくみになっている
この施工技術は「メロディーロード」と名づけられ、2004年秋、同町道に試験的に施工された。ト音記号と八分音符の標識は、それぞれメロディーロードの起点と終点の合図である。
発案者は、篠田興業の篠田静男社長。同社と北海道立総合研究機構工業試験場が共同で開発した。試験施工の後、さらに研究を重ねて音階の精度を高め、翌年に商品化すると、地域振興に取り組む自治体などから問い合わせが相次いだ。
06年には、和歌山県紀美野町に「見上げてごらん夜の星を」を施工。以降、滋賀県大津市の「琵琶湖周航の歌」や沖縄県名護市の「二見情話」など、各地で実績を重ね、長野県茅野市の信州ビーナスラインに「スカボロー・フェア」を施工したメロディーロードは、08年、アジア太平洋国際広告祭の部門最高賞を受賞。翌年には、カンヌ国際広告祭で金賞も受賞した。
昨年は中国河南省に初の海外進出を果たすなど、これまで国内外の8か所に施工。11年には特許も取得している。
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実は、メロディーロードのアイデア自体、まだ私が20代のころですから、30数年前から温めてはいたんです。
「道東」と呼ばれる道内の東側の地域は、北海道のなかでも自然環境の厳しいところで、道路にとっても環境は過酷です。とくに、農業機械や工事用重機が頻繁に通るような場所では、路面が大きなダメージを受ける。アスファルトで舗装された道路でも、路面にはけっこう凹凸ができるものなんです。
あるとき、そういう道路を走っていると、いろんな音が聞こえていたことに気づきました。「ブーン」と高く鳴ることもあれば、うなるように「ゴーッ」と響くこともある。「面白いな」と感じて、そのうち「何かに役立たないかな」と考えるようになりました。でも、しょせんは思いつきです。雑音が音楽になれば楽しいだろうと思う程度で、本気で何かを検討したわけではありません。まして、ビジネスの種になるとは想像もしませんでした。
ところが、04年の初夏だったと思いますが、たまたまクルマに同乗していた長女が、走行音の変化に興味を示したんですね。スリップ防止用に溝が刻まれた道路を走っているとき、速度を変えると音も変わったんです。長女は、音楽の教師をしています。彼女が興味を示してくれたことで、背中を押されたような気がしました。商売になるかどうかはわからないけれど、とにかくやってみようと思いました。
早速、標津町の窓口に相談して、交通量の少ない農道を借りて、実験を始めました。道東で交通量が少ないというのは掛け値なしで、本当に誰も通りませんからね。標津町の人口は、もう6,000人を切ってしまいました。乳牛は2万頭以上います(笑)。
兄の急逝で社長を継ぐも倒産を覚悟する
実際に路面を削って溝を刻み、その上を何回もクルマで走りました。そして、録音した音を工業試験場に持ち込んで分析してもらうという、実にアナログな方法でしたが、決して複雑な技術ではありませんから、その秋にはどうにか形になりました。もっとも、最初は「言われてみれば、そう聞こえるかな」という程度でしたね。
そうして何やら不思議なことを始めた私を見て、社員たちは内心、言いたいこともあったと思います。本業が厳しいなか、わけのわからない実験ばかりして、いったい何を考えているんだ、と。立場が違えば、私もそう感じたでしょう。
でも、必死だったんです。ご承知の通り、バブルが崩壊して以降、公共事業費は絞りに絞られてきました。土木建設業者にとっては死活問題で、私どもは売上のほぼ100%が公共事業でしたから、なりふり構ってはいられない状況だったんですね。バブル時代の最盛期でも、私どもの年商はせいぜい7億5,000万円ほどでしたが、毎年、数千万円単位で仕事が減っていく。実を言えば、私自身は倒産を覚悟していました。
でも、メロディーロードによって救われたんです。売上そのものは大きくありませんが、この仕事を通じて多くの方に応援していただいていることを実感できたからです。心の支えになったという意味で、もしメロディーロードがなかったら、篠田興業という会社はとっくの昔に潰れていたと思います。
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1953年、篠田社長は別海町尾岱沼に生まれた。72年、美唄市の専修大学北海道短期大学に進学。土木科に学び、74年に卒業すると、標津町に帰郷して篠田興業に入社した。
同社は、父の正雄氏が71年に創業。創業前、正雄氏は別海町の缶詰工場で工場長を務めていたが、個人事業として野付半島で砂利運搬業も行なっていたという。当時はまだ運転免許をもつ人が少なく、第二次世界大戦中、自動車部隊に所属していた正雄氏の運転技術が重宝されたらしい。やがて、その事業が篠田興業へと発展していく。
創業後の短期間こそ下請けに甘んじたものの、堅実な経営が信用を得て、近隣に同業者が少なかったこともあり、同社は早くから元請けとして地歩を築いてきた。だが、80年、正雄氏が62歳で鬼籍の人となる。母光子氏がリリーフに立ち、その後、兄の順一氏が3代目を継ぐが、バブル崩壊後の90年代に入ると、業績は低迷し始めた。篠田社長は専務として順一氏を支え続けたが、公共事業で成長してきた体質は、なかなか変えることができなかった。
母や兄と相談を重ねた篠田社長は、せめて兄弟の共倒れだけは避けるべく、2000年、別会社を設立して中標津町でコンビニ経営に乗り出した。家族の協力を得て、間もなく経営は軌道に乗り、いずれはその経営に専念するつもりでいたが、苦境に立つ家業を兄に押しつけるようなまねはできない。必死の思いで新規事業の種を探していた04年、手掛けたのがメロディーロードであった。
だが、その商品化に成功した矢先の05年、順一氏が急逝する。57歳の若さだった。篠田社長は4代目を継いだが、そのときひそかに同社を清算する事態も覚悟していたという。
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メロディーロードを商品化して間もないころ、ありがたいことに、あるテレビ番組で紹介していただいたんですね。それがきっかけで、全国から問い合わせを頂戴しました。ただ、大変に僭越なのですが、そのほとんどをお断わりしてきたんです。お断わりしていなければ、いまごろ少なくとも80か所くらいは施工していたと思います。でも、できませんでした。そう簡単に施工してはいけないものなんです。
音楽が聞こえて楽しいだけでなく、メロディーロードにはいくつかの副次的な効果があると考えられています。
たとえば、交通事故の予防です。法定速度で走らないとうまく聞こえませんから、自然とスピードが抑えられるうえ、眠気防止にもつながる。刻まれた溝により路面排水が向上し、凍結対策にも効果が期待されています。
また、地域にゆかりのある曲を施工すれば観光資源になり、町おこしにも少しは役に立つでしょう。
とはいえ、何ごとにも光があれば影もあって、当然ながら、いいことずくめではないんですね。最も懸念されるのが、騒音問題です。メロディーロードから聞こえるのは摩擦音ですから、クルマの中だけに聞こえるわけではありません。クルマが走るたび、周囲にも摩擦音が響くことになります。もし、近くに人が住んでいたら、どんな名曲だって騒音です。実際、つい先日、群馬県で同様の道路が周辺住民の苦情によって撤去されるとの報道がありましたが、私どもではそうした不幸な事態だけは絶対に避けたいと考えてきました。やむなく施工のご依頼をお断わりしたケースのほとんどは、そういう理由からです。
「次の仕事」を考え、新規事業に挑戦する
私どもは、メロディーロードを一種の嗜好品ととらえています。世の中に不可欠な商品ではありませんし、それを喜ぶ人もいれば、そうでない人もいる。しかも、道路という共有財産に傷をつけてしまうわけですから、修復できるにせよ、慎重すぎるくらい慎重に、様々な条件を考慮してからでないと施工できません。われながら、融通のきかない不器用な経営者だと思いますが、そうであったればこそ、これまで苦情を頂戴することもなく、喜んでいただけたのかなとも自負しているんです。
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公共事業への依存体質から脱すべく、篠田社長はメロディーロードのほかにも、様々な新規事業に挑戦してきた。主なものだけでも、除雪事業や町営スキー場の管理委託業務、道路縁石周辺の草刈り機「シェイブ」の開発、アサリ養殖場などの雑海藻除去装置の研究、地域に自生するマルバトウキ(セリ科の植物)を利用した健康食材の開発など、幅広い。事業の柱として実を結んだものもあるが、残念ながら、撤退を余儀なくされる事業もあった。
一方、メロディーロードから派生したユニークなアイデアも実現している。音楽ではなく、「言葉」が聞こえる道路である。10年暮れ、標津町内の町道に同社が自費で施工した。
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「しゃべる」メロディーロードは町道標津環状線に2か所あって、1か所では丁字路の200メートルほど手前から、「交差点です」という女性の声が2回、続いた後、「停まってください」と聞こえます。
もう1か所は、カーブの200メートルほど手前から「カーブです」と警告する声が施工されていて、最後に「スピードを落としてください」と聞こえるようになっています。
「難しかったでしょう」と、技術的な困難をねぎらっていただくのですが、原理は音楽と同じです。溝と溝との間隔を工夫することで、人間の声に似た音を出そうと考えたわけです。
ただ、何かノウハウがあるとしたら、それは「聞こえる」と信じていただくことですね。「そろそろ聞こえるぞ」と思い込んで、心の準備をしていただかないと、聞こえないかもしれない(笑)。標津町を訪れる方に笑っていただいて、少しでも交通安全の啓発につながったら、私どもとしては望外の喜びです。
亡くなった親父は、「つねに次の仕事を考えておかないとダメだ」と口癖のように言っていました。土木建設業は、仕事が無限にあるわけではないんですね。ある道路を舗装し終えたら、よほどのことがない限り、同じ道路を舗装する機会はないわけです。
周囲から見ると、私は何にでも手を出す無節操な経営者と映ったでしょう。でも、私の頭にはいつも親父の戒めが残っていて、これまでいろんな事業に挑戦してきたのは、自分なりに「次の仕事」を模索したからでした。
今後も、まだチャレンジは続くと思います。でも、いつか安定した事業が育ったら、そのときは少し長い休みをもらって、夫婦でメロディーロードを巡ってみようと思っています。
月刊「ニュートップL.」 2013年12月号
編集部
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