デザイナーとのコラボで「紙が主役」の世界を作り出し脱下請けにつなげる(福永紙工株式会社・社長 山田明良)
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箱やパッケージなど厚紙の印刷・加工を手がけてきた典型的な印刷下請け工場が、時代の先端を走るデザイナーたちと組んで紙が主役の製品を作り出し、世界的にもデザイン性・オリジナル性が認められている。
「かみの工作所」プロジェクトを立ち上げた福永紙工の二代目・山田明良社長は印刷業界の常識にとらわれない発想で、新たなジャンルを切り拓いている。
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東京都立川市にある福永紙工は一見、何の変哲もない町の印刷工場である。入口付近には印刷用紙の束がうずたかく積まれている。しかし薄暗い工場内を進み、階段を上った先にある鉄の扉を開くと不思議な“秘密基地”が姿を現わす。
その基地の名は「かみの工作所」。印刷工場内の職人とは異なるたたずまいの人たちが顔を揃える。15坪あまりのスペースにはデザイナーや建築家たちが日夜集い、紙を使った面白い製品を考え、生み出しているのである。基地の“隊長”は山田明良氏(50歳)だ。福永紙工の二代目社長である。
「かみの工作所にはグラフィックデザイナーだけでなく、プロダクトデザイナーや建築家まで紙をテーマにした作品を手がけたい人たちがジャンルを問わず集まってきます。思いついたアイデアをかみの工作所の専従スタッフと相談しながら製品化していく。その道のプロフェッショナルと一緒にものづくりができるので、スタッフも自由で面白いと思ってくれているようです」と山田社長は語る(以下、発言は同氏)。
添景セットが思わぬヒットに
2006年にスタートしたかみの工作所からは、これまでに様々な作品が生まれている。ヒット作となっているのが「1/100建築模型用添景セットシリーズ」(以下、添景セット)と「空気の器」である。
添景セットとは、建築家が施主に完成予想として示す建築模型の背景などに使われるパーツであり、一般的には人物や樹木を模したものなどがある。添景セットはそれを発展させたもので、現在、24種類を展開している。動物や恐竜、東京やニューヨークの街並み、オーケストラ、工事現場など各種のキットがあり、それを切り抜いて組み立てるのだ。サイズは正確に本物の100分の1だという。
添景セットは1セット1,575円(税込み)で、毎月3,000~4,000セットを出荷する。東急ハンズ、ロフト、文具店、百貨店や美術館のミュージアムショップなどでおもに販売されており、デザインやアート好きの人々にファンが多い。
「当社の製品は機能や便利さを謳っているわけではないので、一般には価値を理解してもらいづらいのですが、そのぶん、とんがっている人たちに受けます。デザインや紙、模型好きの方々がはまるようですね」
作者は建築家の寺田尚樹氏。自分が用いる建築模型のキットとして制作していた。後述するように、山田社長と出会い、08年にかみの工作所の展示会で発表するとブレーク。寺田氏は著書『紙でつくる1/100の世界』(グラフィック社)のなかで、「建築家向けに作ったので、一般に売れるとは思ってもいなかった」と述べている。
添景セットに収められた人物や動物の模型には目鼻が付いていないが、身体や手足、頭部分などに少し角度をつけるだけで、不思議にリアリティが生まれ、ユーモアが漂う。自室のインテリアとして置いたり、植木鉢などに添えたり、照明のスイッチ部分に貼り付けるなど、購入客は思い思いに楽しんでいるようだ。友人へのプレゼントとして購入する女性客も多い。
遊び心もたっぷりで、たとえば街並みのキットには、酔っぱらいが地面にもどしてしまったもののパーツまである。
大手企業からのコラボレーションの依頼もしばしばあり、JR東日本とは中央線の車両と添景を手がけた。トヨタ自動車とも組んで、スポーツ用多目的車「FJクルーザー」とその添景を制作。ことし3月には、なんと実車とともに六本木AXISビルで添景セットを販売するユニークな販促活動を展開し、実車で移動しながら各地で「FJ×イドウテラダモケイ店」を出店している。
「こうした販促活動はトヨタの社内でも珍しかったようで、先方の部長も担当チームも楽しんでくれました。新聞にも記事として掲載されたので喜んでいただいたようです。クライアントと業者の関係ではなく、お互いにフラットな立場で仕事をすることが、こうした結果を生んでいるのかもしれません」
寺田氏は11年に添景セットをおもに扱うテラダモケイを設立。今後、年4回、定期的に新作を発表する計画だという。
ルーブル美術館にも納められた空気の器
もう1つのヒット作である空気の器は、1枚の円形の紙を網状に精密加工したもので、空気を包み込むように紙を端から持ち上げると自由な形を作ることができる。紙の表と裏で色が異なるため、見る角度によって色彩が変化していくから不思議だ。
空気の器は、かみの工作所と東京都品川区にオフィスを構えるトラフ建築設計事務所との連携から生まれた。それ自体、インテリアとして部屋に映える製品だが、植木や花瓶を包み込んだり、ワインボトルなどギフトのラッピングとしても使われる。価格は通常1,260円(税込み)。月に3,000個以上、出荷する。
「空気の器は、色をテーマにした製品について話し合っている過程から生まれたもの。印刷では特色という特別に調合したインクを使います。この特色を活かした作品を作ろうと試行錯誤した結果なのです」
空気の器を手にすると、確かに美しい色が空気中に立ちのぼるように見える。
10年、東京で開催されたライフスタイル提案型の国際見本市「インテリア・ライフスタイル展」に出展すると、海外でも評判を呼び、世界のミュージアムショップなどと取引するディストリビューター(代理店)を通して、パリのルーブル美術館やニューヨークのグッゲンハイム美術館のショップなどに納められるようになった。ちなみに添景セットは、ニューヨーク近代美術館(Mo MA)のショップで販売されているという。
かみの工作所では、添景セットや空気の器の他にも紙製のメガネやプランター、トレイなど様々な製品を販売している。売上の一定割合をデザイナーが手にする仕組みだ。ただ、すべての製品がヒットするわけではなく、デザイナーに対して収入を保証することはできないが、現在、主力のデザイナーは5~6人ほどおり、少しずつ新しいデザイナーが加わっている。
立川の町工場発のデザインと紙の製品を
「いままで見たこともない製品を作りたいという意味では、デザイナーの方々にも楽しんでもらっています。ただ、収入面とのバランスは課題。基本的に大きな売上が見込める製品ではないので、個人客はもとよりショップ店員やバイヤーの方にも、うちのファンになってもらう必要がある。専従の営業スタッフがサンプルを持参して、実際に使い方を見せたり、店頭での展開方法などを相談しながら販促に努めています」
販促イベントや百貨店の催事なども定期的に開催している。ただ、ユーザー視点のマーケティングリサーチや製品作りはせずに自由な発想を活かし、そうした感性をむしろ世の中に問うような、挑発的な姿勢を山田社長は大事にしているという。
福永紙工は福永秀夫会長が1963年に創業した。当初から町の印刷工場として段ボールをメインに扱い、いまも厚紙の印刷・加工が中心だ。とくに化粧箱や製品パッケージの印刷から加工、組み立てまでを一貫して手がけるのが同社の強みで、名刺・封筒大手の山櫻との取引は40年におよび、名刺やハガキの印刷で安定した受注がある。
同社が最も得意とする技術が、厚紙の加工方法の1つである型抜きである。折り目用の筋を入れるスジ押し加工、抜き型で打ち抜く切り込み加工、様々なサイズ・形状の穴を開ける穴あけ加工などがある。いずれも、かみの工作所から生み出される製品にも活かされている。
もともとアパレルメーカーの企画や営業を担当していた山田社長は20年ほど前、福永会長の長女との結婚を機に同社に入社。現場に入って勉強を重ねたあとに営業を任され、新規開拓に注力したが、印刷業界に吹く風は年々厳しさを増していた。何か手を打たなければ行き詰まるのは目に見えており、活路を模索していたという。
05年のこと、立川市に隣接する国立市の「つくし文具店」をふらりと訪ねた。デザイナーの作品を並べたり、展示会を開くなど、以前から気になっていた店だった。店内には同店を母親から引き継いだ二代目店主の萩原修氏が居合わせた。
萩原氏は本業がデザインディレクターであり、家具や日用品、伝統工芸、展覧会などのプロデュースを行ない、デザイナーとの人脈をもつ。山田社長は萩原氏と話をするうちに、この人となら面白い仕事ができると直感した。意気投合して萩原氏の知り合いのデザイナーたちを呼び集め、福永紙工の工場内を見学してもらった。すると、デザイナーたちは職人の話や同社の技術に触れ、大いに興味をもってくれた。
「箱やパッケージは結局、捨てられるものです。私はデザインの力を使って紙が主役になる製品を作れないかとデザイナーに相談しました。ただし、当社の工場設備を使ってできるものです。つまり、立川の町工場発のデザインと紙の製品を作ってほしいとお願いしました」
日本一マニアックな印刷屋でいたい
萩原氏の紹介でアートディレクターの三星安澄(みつぼしあずみ)氏が合流し、06年4月に「かみの工作所」プロジェクトがスタートした。
山田社長、萩原氏、三星氏を中心に日夜デザイン会議が開かれ、同社には全く違う人種が集まるようになった。創業者の福永会長や職人たちはこうした動きをどう見ていたのだろうか。
「会長から強い反対はありませんでした。厳しさを増す印刷業界の状況を会長自身が痛いほど理解していたのでしょう。会長が築いてくれた礎はそのときも現在も生きており、それがあるから私は挑戦できているんです。大きな礎の1つが、現場の職人たちのもつ技術力。新しいことをお願いすると、まず返ってくる答えは『できない』でしたが、成果が徐々に出始めると認めてくれるようになり、いまでは皆、楽しみながら挑戦してくれます。会長にも職人たちにも、大変感謝しています」
07年、つくし文具店で「かみの道具展」を開催。三星氏による紙のメガネやワックスペーパーで作ったファイルなど、紙を加工した道具を提案した。小規模な展示会だったが予想以上の評価を得る結果となった。
翌08年、お茶の水のギャラリーで「かみの道具展2」を開催。このときに萩原氏の知り合いだった寺田氏による添景セットを発表し、ブレークした。以降、本格的にオリジナル製品の販売を開始。09年、10年と連続してインテリア・ライフスタイル展に出展すると、海外から引き合いも増え、先述したように販路も獲得した。
10年、六本木のAXISビルで開催された「かみの道具展3」では空気の器が注目を集め、社会的にも反響が広がった。企業からの依頼も増え、コラボレーションによるオリジナル製品づくりへとつながっていったのである。現在、福永紙工の売上のうち、かみの工作所関連で3~4割を占めるという。
「私はデザイナーではなくあくまでも印刷屋です。いろいろな人に印刷や紙の加工法などを伝え、うちの工場とその設備を活かしてもらいたい。だから、一般の工場見学も受け入れているんです。実際、かみの工作所の活動が本業の注文にもつながっています。やはり、基本は町の印刷工場なんですよ。ただし、日本一マニアックな印刷屋でいたいと思っています」
かみの工作所は、結果的に下請け脱却につながった。山田社長の危機感と遊び心のバランスは見事と言うしかない。
月刊「ニュートップL.」 2012年11月号
吉村克己(ルポライター)
掲載内容は取材当時のものです。
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