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プロユースで培った技術を注ぎ「その人のための自転車」をつくる(株式会社マツダ自転車工場 社長 松田志行)

キラリと光るスモールカンパニー

掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


1980年、プロ競輪選手のための競技用自転車製作を機に、自転車のオーダーメイドブランド「LEVEL(レベル)」を立ち上げたマツダ自転車工場。

競技用自転車だけでなく、通勤などに使われるシティサイクルや、高齢者向けの乗りやすい自転車にも、プロのために培われた技術を惜しみなく注ぎ、「その人のための自転車」をつくり上げている。

◇    ◇    ◇

近年、日本でも自転車愛好家が増え、海外製の高級自転車の売れ行きもよいようだ。しかし海外に比べると、大規模な自転車レースが開催されない点や、自転車専用道の不備など、自転車文化は遅れているといわざるを得ない。

そうしたなか、自転車のオーダーメイドを手がけ、海外でも高く評価されている日本発のブランドが「LEVEL(レベル)」だ。その名はフランスの古語で自転車を意味する「レ・ベロ」に由来する。1980年に、東京・荒川区に本社を置くマツダ自転車工場(以下、マツダ自転車)の松田志行社長(68歳)が立ち上げた。

「日本では自転車というと、いわゆるママチャリが代表で、多くの人は買い物のしやすさなどの利便性を求めています。しかし当社のオーダーメイドサイクルは、『自転車に乗ること』が好きな人たちのものです。ですから、私は『自転車を売る』とは言いません。売っているのはお客様の『満足』なのです」(松田社長、以下発言は同氏)

自転車は、骨格といえるフレームと、ギア、ブレーキ、ハンドル、ペダルなど20数点の部品から成っている。なかでも最も重要なのがフレームであり、そのつくり手は「フレームビルダー」と呼ばれる。松田社長は日本でも有数のフレームビルダーであり、荒川区や東京都から優秀技能者と認定され、「荒川マイスター」「東京マイスター」の表彰を受けている。

その人の求める自転車をオーダーメイドで製作する

松田社長の自転車づくりは、乗り手が何を求めているのか、じっくりと話し合うことから始まる。通勤、健康、競技など利用する目的と、乗り手の体格・体力を見極めて、乗ると楽しくなるような、「その人だけの自転車」をつくり上げるのだ。1台当たり10万円以上するが、そこまで配慮して手づくりで製作するため、一度LEVELに乗ると他の自転車には乗れなくなるという。

話し合いののち、コンセプトを固めてからフレームの設計に取りかかる。マツダ自転車は83年に業界で初めてCADシステムを導入。身長や体重、要望などを入力していくと、コンピュータが自動的に0.1ミリ単位の精度で、その人だけの自転車の設計図を描き出す。

フレームには「クロモリ鋼」と呼ばれるクロームモリブデン鋼が使われる。しなやかさと強さを併せもち、競輪選手用の競技自転車にも使われる素材だ。

クロモリ鋼のパイプを設計図通りに切断し、組み合わせて加工する。許容される寸法誤差はわずか0.2ミリ以下である。

次の作業が、「ロウづけ」と呼ばれるパイプの溶接だ。自転車の強度と精度を決める重要な工程だけに、いまでも基本的に松田社長が手がけ、他の職人には任せていない。溶接が終わると、ヤスリで溶接部をきれいに整える。見た目だけでなく、しなやかで壊れにくいフレームにするために重要な工程だ。

パイプは溶接時の熱でゆがみやすいため、その後、ゆがみを修整する「芯取り」と呼ばれる作業がある。設計図に対して誤差が0.5ミリ以下になるまで修正するが、この作業が自転車の善し悪しを決めるといわれるほど難しい工程だ。この芯取りも松田社長が行なう。

できあがったフレームは、1,000種を超えるカラーサンプルから乗り手が選んだ色に、外注先で塗装される。最後に、ハンドルなどそれぞれの専門業者製の部品類を組み付けて、オーダー自転車は完成する。

マツダ自転車がいかに乗り手にフィットした自転車をつくっているかは、高齢者向け自転車「優U(ゆうゆう)」を見ればよくわかる。

優Uは、膝や股関節が曲げにくい高齢者でも乗り降りしやすいように、U字型のフレームをつかい、地面から18センチメートル足を上げれば跨ぐことのできる「超低床」を実現した。片側の足が不自由な人の場合は、クランク(ペダルからギヤ軸までつなぐ棒状部品)の長さも左右で変える。不自由な足側を短くし、健常な足側を長くすることで、ペダルを漕ぎやすくするのだ。

「駅の階段の高さが15~18センチメートル。階段を上ることができれば、杖を使っている人でも優Uに乗ることができます。価格は12万円と普通の自転車に比べれば高価ですが、健康維持やリハビリのための用品としては高くはなく、喜ばれています。当社では、その自転車を必要とする方のために、1台ずつ製作しています」

マツダ自転車では、通勤用などに使われるシティサイクルの製作も行なっている。乗り心地とスポーツ性を併せもったシティサイクルは「CITY LINER」と命名されている。このシリーズで同社は、95年から98年にかけての「ハンドメイドバイシクル展(日本自転車普及協会主催)」において、最優秀賞を4年連続で受賞した。

トップクラスの競輪選手150名にフレームを提供

だが、同社の技術の高さを何よりも証明しているのが、プロの競輪選手のためのフレームづくりだ。

プロとして登録されている競輪選手は現在2,647名、うち競走成績トップクラスがS級と呼ばれる。S級のなかで最高ランクの9名が、年末に「KEIRINグランプリ」で日本一を競い合う。マツダ自転車は、こうしたトップクラスの選手にフレームを提供している。

競技用自転車は、公益財団法人JKAの登録メーカーにのみ製作が許されている。選手自身が登録メーカーに依頼してフレームをつくり、認定された各部品を選んで、自分好みに自転車を組み立てるのが基本だ。マツダ自転車がフレームを提供している選手は現在150名。そのうちS級が4割と、上位選手との付き合いが多い。もちろん、最高ランク9名のなかにもユーザーがいる。

松田社長は、乗り手が自転車に求める要素を、強度、精度、性能、デザイン、価格、機能、の6つに分類する。一般人はおもに後半の3点で自転車を選ぶが、プロは前半の3点を重視する。

「一般の人が、目に見える要素で評価するのに対して、プロは乗らないとわからない見えない要素で勝負しています。その考え方をじっくりと聞き出してフレームをつくるのです」

競技中に何があっても壊れない「強度」と、速く走るための「性能」が求められるのは当然として、「精度」とは何か。それは、フレームに一切ねじれがなく、設計図どおりにできあがっていることだという。少しでもねじれがあれば、それが空気抵抗を生み、速度が落ちる。つまり、前述した「芯取り」が精度を左右するのだ。

フレームはパイプの肉厚や太さ、カットの仕方などの組み合わせで、いかようにでも硬さや柔らかさをつくり出せる。また同じクロモリ鋼でも様々な種類があり、その組み合わせは膨大な数となる。松田社長は選手たちの考え方、筋力、瞬発力、体格などあらゆる要素を勘案してフレームをつくるので、選手ごとにまったく違ったものになる。それでも最初から完璧なものができることは少なく、何回もつくり直すうちに、本当にその選手にフィットするフレームになっていくという。

生き残りをかけフレームビルダーをめざす

自転車をつくるために心血を注ぐ松田社長だが、若いころは自転車よりもバイクに熱中していたという。68年に明治大学を卒業し、一般企業への就職も決まっていたが、創業者である父の豊雄氏から「家業を頼む」と言われ入社する。豊雄氏は51年にマツダ商会を創業し、自転車製造会社の下請けとして、自転車を組み立て納品していた。当時荒川区は東日本における自転車生産の中心地で、関連企業が300社もあった。

一方、西日本での自転車生産は大阪府堺市が中心だった。松田社長が入社したころ、堺市のメーカーが低価格の自転車を開発、東日本でも販売をはじめ、マツダ自転車は苦況に陥っていた。先代の豊雄氏もものづくりにこだわり、下請けでも丁寧に製作していたため工賃も安くはなく、安価な自転車の登場で仕事を奪われてしまったのだ。

「そのころには結婚し子供もいたのに、給料が出ないという状況でした。74年、何か突破口はないかとサイクルショーの会場に行きました。そこで来場者が、オーダーメイド自転車の話をしていたんです。『すごい自転車をつくる神様みたいな職人がいる』と聞きつけた。生き残るためにはこれしかないと思い、その職人に弟子入りしようと決めました。名前はご本人の希望で出せませんが、日本人フレームビルダーの先駆者的存在で、関東でこの人の影響を受けていないビルダーはいません」

松田社長は30歳になっていたが、この職人の門を叩いた。彼は、徹底的にヨーロッパのフレームを学び分析して、自らの工夫を加えた優れたフレームを発表していた。松田社長は糊口をしのぐために、土木建設の日雇い労働者として働きに出ていたが、寸暇を惜しんで彼からフレームビルダーとしての技術と心構えを学ぶ。そして75年、オーダーメイド自転車の製作を看板に掲げた。

「オール内蔵レーサー」で絶賛を浴びる

とはいえ、まだ腕に自信はなく、お客もいない。まずは下請けとして、サイクリング車のフレームからつくり始めた。工賃は安かったがフレーム製作の勉強になったという。その後、堅実な製作をするという評判を聞きつけた都内の大型自転車販売店の依頼で、その店のオリジナル自転車のOEM生産を引き受けるようになった。

フレーム製作に自信がもてるようになり、競輪用自転車を手がけたいと日本自転車振興会(当時)に掛け合ったが、何度も門前払いされた。ならば実績をつくろうと、マツダ自転車オリジナルのロードレーサーを製作。実戦向きのフレームをつくると、評判が高まっていった。80年にようやく念願の日本自転車振興会への登録がかない、ブランド名を「LEVEL」と決める。

83年に業界で初めて、設計にCADシステムを取り入れた。従来、設計図は精度を上げるために原寸大で書いていたが、時間がかかるため、取引のあった問屋のアドバイスで2年かけてCADシステムを開発する。雑誌にも取り上げられ話題を集めたが、心ない同業者から「腕の悪さをコンピュータでごまかそうとしている」などと、嫌な噂を立てられたこともあったという。

悪評を振り払うために松田社長は、誰にもつくれない最高の自転車をつくってやろうと決心する。当時の社員2名とデザイナー、コンピュータの専門家と6人でチームを組み、企画・構想に1か月、製作に3か月かけて1台の自転車を完成させる。ブレーキ本体やワイヤー類、ベアリングなどをすべてフレーム内に収めた、実に美しい自転車である。この「オール内蔵レーサー」は、84年の自転車ショーで発表され、絶賛を浴びる。ヨーロッパの一流自転車メーカーからも、マツダ自転車本社に視察団が来たが、あまりに小さな本社を見て絶句したという。

この1台で、業界のあらぬ批判は打ち消され、松田社長自身も大きな自信を得た。その後いまに至るまで、マツダ自転車のつくる自転車は高く評価されているが、製作に手間がかかるため、なかなか利益が出る体質にできないのが悩みだ。

「日本では、手間を惜しまないものづくりは儲からない。社員に、勤務時間に見合った給料を出すためにも、外注に出せる部分は外注するなど、製作のしくみを考えていきたいと思っています」

本物を見分け、自分で評価する目をもつことが、日本のユーザーに求められている。それでこそ日本の製造業の未来に明るい展望が見えてくる。

月刊「ニュートップL.」 2014年8月号
吉村克己(ルポライター)


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