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オリジナルな段ボールでお客様の「悩みごと」を解決する(ジャパンパック株式会社・社長 長田宏泰氏)

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掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


様々な機能をもつ段ボールで、ユニークな商品を開発するジャパンパック。

54歳で独立した長田社長が、その夢と志を語る。

ジャパンパック(富山県滑川市)がつくる機能性段ボールが、環境問題に関心を寄せる企業の注目を集めている。

機能性段ボールとは、耐水、断熱、防湿といった特殊な機能を付与された段ボールで、従来は金属やプラスチックの容器が用いられてきた液体や生鮮品などに活用されている。

初のヒットとなった同社の主力商品「Nパック」シリーズは、段ボールの内側に袋が部分接着された容器で、内袋は通常、ポリエチレン製だが、充填する内容物に応じて材質を変えることもできる。保管時には折り畳めるためかさ張らず、使用後には内袋と分離して、段ボールをリサイクルすることが可能。一斗缶やポリタンクに代わる容器として採用する企業が増えている。

その他、倒れても水がこぼれない切り花輸送ケース「Nフラワー」や断熱容器「Nクール」、鮮魚用木箱に代わる「Nフィッシュ」など、用途に応じたユニークな商品を開発。そうしたアイデアが評価され、日本パッケージングコンテストでは2004年から6年連続の入賞を果たした。いずれも、長田宏泰社長の独創的な発想が生み出した商品である。

◇    ◇    ◇

あるとき、接着剤メーカーの方に「容器の処理に困っている」という話を聞いたんです。一斗缶はかさ張るうえ、使い終えても内側に接着剤が残るので扱いづらい、と納品先から指摘されたらしいんですね。

いままではそれでもよかったのですが、企業に環境への配慮が求められる風潮が浸透して、新たなニーズが発生したわけです。そうした問題を解決できないかと考えてつくったのが、Nパックでした。

Nフラワーも同様で、あるとき地元の関係者から東京の生花市場へ生花を輸送するための容器に困っている、という話を聞いたんです。

当初は段ボールの箱とバケツのような容器を組み合わせただけだったのですが、それだと当然、箱が横倒しになると水がこぼれてしまう。梱包に手間がかかりすぎてもいけません。商品化できるまで、様々な制約のなかで試行錯誤を繰り返しました。

基本的に、私どもではお客様の「困りごと」が発想の原点にあります。お客様の抱えている課題をお聞きして、それを段ボールによって解決する。ニッチな市場かもしれませんが、この業界はもう何年も前から成熟産業ですから、私どものような零細企業はそうした細かいニーズに応えていくしかありません。

ただ、そういった対応力は零細企業の強みでもあって、大企業が対応しきれない隙間を埋めるのは私どもの存在意義を示す機会でもあると思うんです。ですから、どんな相談でもお断わりせず、まずは持ち帰って検討する。新しいアイデアが出る限り、私どもの成長も持続できると考えています。

商品の独自性にこだわり54歳で独立する

アイデアといっても、ローテクなものがほとんどです。たとえば、ある建材メーカーさんから提案を求められたのは玄関ドアの包装でした。ガラスが入っているので、従来は発泡スチロールや強度の高い特殊な段ボールを使って厳重に包装してありましたが、コストがかかるうえ、使用後にはゴミも出る。

そこで、私どもでは段ボールの使用を最小限にとどめて、ガラスの部分はあえて外から見えるような包装をご提案しました。ガラスが見えると、疎略には扱えないものです。しかも、コストが削減できて、ゴミもあまり出ない。その一件で担当者さんは社長賞を獲得したそうで、ずいぶん喜んでいただけました。

◇    ◇    ◇

長田社長は1944年、富山県魚津市に生まれた。翌春、フィリピンの戦線で父が戦死したため、母子家庭に育つ。63年、富山県立魚津工業高校機械科を卒業し、吉田工業(YKK)に入社。翌年、伯父が創業した旭ダンボール工業所(現石崎産業)に転職し、以後、現在に至るまで段ボール業界に身を置くことになる。

その後、段ボールの製造販売で着実に実績を重ねた同社は、環境サービス事業にも進出して経営の多角化に成功。従業員三百数十名の中堅企業に成長する。伯父の右腕として経営を支えた長田社長も、75年に常務、81年には専務に昇進。89年から8年間は関連会社の社長も兼務した。

ところが、定年を目前にした98年に同社を退社。翌年、ジャパンパックを創業した。54歳でのチャレンジに家族を含めた周囲は反対したが、「一度しかない人生」と決然、生活の安定を捨てた。

◇    ◇    ◇

転職のたびに小さな会社へ移って、ついには夫婦二人でのスタートですから、われながらおかしな人生です(笑)。

結局、3年くらい迷いました。おかげさまで収入は安定していて、客観的に考えれば、そのままお世話になり続けるのが賢明で、常識的な判断だったと思います。

しかしながら、たった1つ、自分のやりたいことに挑戦したいという気持ちだけはどうにも抑えがたく、むしろ年々、その気持ちが大きくなっていったんです。

といっても大それたことではなく、お客様から悩みを聞いて、それを解決して、「こういうパッケージが欲しかったんだ」と喜んでもらえるような仕事がしたかった。毎日、そういう手応えを感じながら生きていきたいと思ったんです。

ですから、私どもでは100%オリジナルな商品しかつくらないと決めました。もちろん、生意気なようですが下請けの仕事には手を出さない。そして、これも大変に僭越なのですが、商品の価格は私どもで決めさせていただく。その代わり、お客様の悩みは絶対に解決するんだという気概で創業しました。

振り返ってみると、そうした考え方の根底には前職での経験があったように思います。段ボールを売り歩いていたころ、何回も足を運んでようやく商談に応じてくれたメーカーがありました。「納期も価格も品質も、他社と遜色(そんしょく)のない条件で納めます」と胸を張ると、担当者さんはこう言ったんです。「それなら、あえて君の会社と取引する必要はない」と。たしかにその通りなんですね。

名前も実績もない会社が選ばれるには、オンリーワンの特徴がなければいけない。ただ、逆に言えば、量産品や汎用品ではなくオリジナルな商品をつくれば、たとえ夫婦二人だけの会社でも社会の役に立てるのではないかと思いました。

ところが、当初から仕事がいただけるわけもなく、段ボールを量産する製造装置にも手が出ません。10億円近い高額なんです。1年目は、クラフトテープやバンドといった梱包資材の仕入れ販売で細々と食いつなぐような日々でした。その翌年、接着剤メーカーさんの「困りごと」をきっかけに、数年前からアイデアを温めていたNパックの開発に取り組みました。

おおげさに言えば、世の中に存在しない商品をつくるわけですから、機械もまた手づくりです。中古の印刷機を購入して、インクの代わりに接着剤が出るように改造しました。手に職をつけようと高校で学んだことが、役立ったのかもしれません。機械そのものは三百数十万円でしたが、完成するまでには1000万円ほどかかったでしょうか。私どもにとっては大き過ぎる投資でしたが、県からの補助金もお借りでき、どうにか手当てができました。

トップになって実感したナンバーツーとの違い

Nパックが完成しても当初は思うように売れず、東京で開催される展示会などへ積極的に参加するうち、創業3年目にぽつりぽつりと売れ始めて、経営がようやく黒字に転じたのは4年目でした。接着剤や油など、一斗缶を使用しているメーカーさんを訪れてNパックの採用をお願いして回りましたが、当初は前職からの知人にさえ「実績のない会社とは取引できない」と断わられる始末で、厳しかったですね。

ですが、少しずつ採用され始めると、ありがたいことに口コミで広がっていきました。A社で使われているNパックに興味をもったB社から、A社に問い合わせが入ります。パッケージには私どもの社名は記載されていませんから、A社に尋ねるわけです。

そして、A社のご紹介でB社から私どもへご連絡をいただく。お客様がNパックを宣伝してくださるようなもので、そうして徐々に声をかけていただくようになりました。実績のない私どもの商品を最初に採用してくださったお客様には、心から感謝しています。

◇    ◇    ◇

2002年に赤字を脱してからは、現在に至るまで黒字を継続中。06年には隣接地に第2工場を建設し、月産能力は約6万ケースから約30万ケースに増えた。

そして、08年に東京営業所を開設。営業マンを1人置いて、首都圏での営業を本格化させた。現在、開発中の商品は灯油用の段ボール容器で、これもある大手企業からの「悩みごと」がきっかけになった。消防法で危険物に分類される引火性の液体だけにクリアすべき課題は多いが、実用化に向けて着実に前進しているという。

また、近い将来には富山県の「地場産業」ともいえる医薬品関係の包装も手掛けるべく、体制づくりに取り組み始めている。

◇    ◇    ◇

実際に創業して初めてわかったことは少なくありませんでしたが、最も強く感じたのはトップとナンバーツーの違いでした。恥ずかしながら、大変な違いがあることをあらためて実感しました。

前職で関連会社の社長を務めたことはありましたが、100%子会社ですから、いわば雇われ社長です。ただ、20年以上、取締役としてトップを補佐してきましたから、トップの気持ちも立場もおおよそは理解しているつもりでした。

ところが、小なりとはいえ自分が組織のトップに立ってみると、厳しさがまったく違うんですね。金融機関から融資を受けるにしても、なけなしの個人資産をすべて担保に差し出さないといけない。

何かを決断するにしても、緊張感が違います。もちろん、ナンバーツーだったころも厳しい選択を迫られることはたびたびあって、そのつど経営者としての決断を下してきたつもりでしたけれど、やはり気持ちのどこかに依存心があったのでしょうね。

誰にも頼れない立場になって、初めてそのことに気づきました。とくに、決断の一つひとつが従業員やその家族の生活を左右しかねないと思うと、ナンバーツーだったころとは、ある意味で次元の違いを感じます。

でも、それだけに喜びもやりがいも大きい。大企業の社員にも中堅企業のナンバーツーにも、その立場に応じた喜びはあるものですが、いま私は小さい会社には小さい会社なりの喜びがあることを心から実感しています。

月刊「ニュートップL.」 2011年9月号
編集部


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