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築地発! 24時間営業のすしざんまいチェーン喜代村社長・木村清

トップリーダーたちのドラマ

掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


伸び盛りの会社の、元気のいい経営者に会って話をしていると、インタビューしているこちらまで気分が高揚してきて楽しい気分になる。
最近、会った経営者の中では、「すしざんまい」を展開する(株)喜代村の創業社長、木村清などその典型だ。
外食不況下、比較的堅調な寿司チェーンだが、中でも築地を中心に、東京都心部に次々と出店、5年後の2016年には店舗数300強、売上高1000億円超を目指すというすしざんまいの元気振りは刮目(かつもく)に値する。

小柄ながら、いかにもタフネスという印象を与える木村は、1952年4月19日、千葉県野田市の生まれ。中学を卒業すると、ファイター(戦闘機パイロット)を目指して航空自衛隊に入隊した。だが眼を悪くしたことから、10代で退官せざるをえなくなる。

お先真っ暗な中で、「とにかく一番難しい司法試験を受けよう」と考え、中央大学法学部通信課程に進む。しかし父親を四歳のときに亡くしたこともあり学資が続かず、第二の挑戦も頓挫(とんざ)。百科事典の訪問販売をアルバイトで始める。

「最初はまったく売れなかった。商売というのは面白いもので、売ろうとすると売れないものなんですね。商売とは何なのだろうと、一生懸命考えたもんです」

こうして商売の魅力に次第に引き込まれていき、大洋漁業(現・マルハニチロホールディングス)の関連会社に入社することに。
ここですしネタや弁当、食品の開発販売に携わり、水産・食品関係業界と縁ができる。

アイデアの源泉は「本気」

「私は仕事をするうえで大事なのは心を込めてやる、一生懸命やることだと思っている。心というと“気”。本気で考えると、雑念が消え、陽と陰の電子が吸い付いてきてアイデアが出てくるんです」

自ら独特の気の理論で語るように、エネルギーではちきれそうな体から、アイデアが次々と生まれてきたようである。
たとえばサラリーマン時代、折から次々とでき始めた回転寿司の店に、切り身を売り込んだ。
手間がかからず、原価がわかりやすいうえに安いというので、店側からは大好評、売上を大きく伸ばしたという。

こうして79年には独立し、喜代村の前身となる木村商店を設立。
自らのアイデアを生かして、あったか弁当、レンタルビデオ、あるいは屋台村の前身とも言うべきカラオケ村などを次々と始める。が、好事魔多し。バブルがはじけ、木村をも直撃。本人いわく人生最大のピンチに直面する。

「銀行が女房を偽って、数千万円もの借入金一括返済の書類にサインさせた。それまで一度も返済を滞らせたことがないのに、ひどい話です。で、パートナーに集まってもらい、事業をそれぞれ引き取ってもらった。手元に残ったのが300万円。これを元手に築地に『喜よ寿司』という店を開いたんです」

これが木村と寿司との決定的な出会いとなる。
いいネタを、どこよりも良心的な価格で提供するとともに、お客さんとのコミュニケーションを大事にするという、現在のすしざんまいにも共通する店作りは大評判となり、行列のできる店になった。これに目をつけたのが、築地の関係者たち。
当時、場外市場を含め、築地を訪れる買い物客は減る一方だった。
彼らは『喜よ寿司』を成功させている木村の下に、築地に客を集めて欲しいと相談に来たのだった。

引き受けるにあたり木村は考えに考えた。
『喜よ寿司』はうまくいったとはいうものの、同じことをやっては大した成功は期待できない。何か新しい機軸を持ち込み、お客の支持を勝ち取る必要がある。
気がまさに、凝縮されていった。隣は不夜城とも言うべき銀座、築地は朝が早い、若者たちは24時間営業の店にたむろしている……。
「そうだ、まだ誰もやったことのない年中無休24時間営業の寿司屋にしよう」

もちろんそれだけがすしざんまいの成功の要因ではない。木村に聞くと、こういう答えが返って来た。

「すしざんまいを始めるにあたり、三つのコンセプトを掲げた。(1)入りやすさ、(2)食べやすさ、(3)高い質の接客です。たとえば(2)の食べやすさについて言えば、『ネタよし、味よし、値段よし』という言葉に置き換えられる。具体的にはトロの王様ともいうべき本マグロの大トロの握りだが、うちでは一貫418円(税込)で食べられる。うちはマグロにこだわっており、こうしたことがお客様に評価されたのだろうと思います。それを可能にしたのは、私自身が長く水産関係に身を置き、世界を歩いてマグロ資源を開拓し、安定的な輸入ルートを開発してきたことが大きいと思います」

塾を作り、すし職人を育成

以降、次々とチェーン店をオープンし、昨年9月期には34店舗で、売上高136億円、営業利益12億円まで拡大。5年後には、店舗数302店、売上高1012億円までもっていく計画だ。

競争が激化する中、「成算はどうか」と尋ねると、次のような答えが返って来た。

「私のお袋は、貧しくてもおいしいものはみんなで分かち合うという考え方の持ち主で、私も影響を受けて、一人でも多くの方においしいお寿司を食べていただきたいと考えてこれまでやってきました。多くの人に食べていただくには一店舗でも多く店を出す必要があるが、粗製乱造では、何もならない。私は、出店は売上計画に合わせてではなく、従業員が揃ったところで出すという考え方をとっている。売上や利益はそれに付いてくる。また、すし職人はエンターテイナーだと考え、塾を作り、人材育成にも力を入れている。綺麗ごとと言われるかもしれないが、他のチェーンとそこが違うと私自身は考えています」

月刊「ニュートップL.」 2011年8月号
清丸惠三郎(ジャーナリスト)


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