ブランディングの重要性に着目。ハンコの素人がナンバーワンに(株式会社ハンコヤドットコム・社長 藤田 優氏)
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日本人の文化にいまもしっかりと根付いている印鑑。ハンコヤドットコムはネット専業ナンバーワンのハンコ屋として、年間21万件の出荷実績を誇る。だが、その創業者・藤田優社長は、創業まで印鑑とはまったく縁のない世界にいた。
パソコンOSの歴史を変えたと語り継がれるウインドウズ95。その機能と操作性でまたたく間に世の中を席巻し、マニアのみならず多くの新しいモノ好きの若者をパソコンの世界に誘った。
ハンコヤドットコムの藤田優社長もその一人である。
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父が大阪市内で喫茶店やバーなど飲食店を4店舗経営しており、高校時代から勉強はそこそこに、店の手伝いをさせられていました。大学でも就活はせず、そのまま店に入った。父は跡を継がせようと思っていたでしょうし、私もそのつもりだったんですが、決められたコースに乗せられているようで、どこか飽き足らない思いはありましたね。
パソコンに最初に触れたのは、それまでメニューの作成とかで使っていたワープロの代わりとしてでした。それがウィンドウズ95に見事にはまってしまった。あんなこともできる、こんなこともできると、起きている時間の半分はパソコンに向かっていたでしょうか。
そのうち、友人から頼まれて結婚サービスやいくつかの商品のインターネット通販をやるようになりました。その1つがハンコだったのです。たまたま友人の実家が印鑑問屋で、販路を広げたいからECサイトをもってくれと頼まれたのがきっかけでした。といっても、当時はまだ通信料金が従量課金制で検索エンジンもありませんでしたから、月に2本も売れれば御の字でしたね。ただ、扱っていた他の商材やサービスは反応が皆無でしたし、問屋とのルートがあるため商品の種類が豊富で利益率も高く、通信環境さえ整えば、ハンコは安定した副業にはなるなと感じてはいました。
ネット環境の変化で倍々ゲームで成長
そんなとき、ネットショップの元祖で、マスコミにも注目されていた傘販売の「心斎橋みや竹」さんの存在を知ったのです。すぐ宮竹和広社長に話を聞きに行き、技術的なこともいろいろ教わりました。宮武社長に感化されたところは大きかったですね。「インターネットには無限の可能性がある。人の生活を便利にしてもっと幸せにできる。ネットを自分の一生の仕事にしたい」と思いました。
ただ、そのころ困ったのは父の目でした。「そんなものが商売になるか。パソコンやる暇があったら店に立て」とよく怒鳴られた。父に見つからないよう、いつも店のカウンターの下にパソコンを隠してコソコソと打っていたくらいです。
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インターネットが普及してパソコンがネット端末として使われるようになると、環境が一変し、注文が急増する。99年5月には月間売上100万円を突破、半年もしないうちにそれが倍になった。1人ではこなせなくなり、人を雇うようになって2000年には法人化した。その売上の伸びに驚いた父は一転して後押ししてくれるようになる。銀行を回って融資を頼み込み、1,000万円の資本金を用意してくれた。
藤田社長は資本金のほぼ全額を使って印鑑彫刻機を導入する。単に文字を彫るだけでなく、印影作成のルールに則って同じ文字をつくらせない機能をもつ機械だ。それまでは受注のつど問屋に発注し、でき上がったハンコを受取りにいって代引きで発送するという手順をとっていたため、受注から発送まで1週間くらいかかっていた。ネット通販はスピードが命である。社内で彫ることで翌日発送が可能となり、「短納期」を謳い文句にできるようになった。売上はさらに上昇し、年商は1億円、3億円と順調に伸びていく。
だが、年商5億円を前にした05年ごろ、大きな転機が訪れる。労務トラブルとクレームが多発し、藤田社長がその対応に追われるようになったのだ。
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注文をどんどんいただけるようになってアルバイトも増やしていきました。当時、創業メンバー数名に学生アルバイトが20名くらいいたでしょうか。そこで問題が生じてきたのです。早い話が私は飲食店と同じ組織をつくっていた。飲食店は店長が1人いて、あとは横並びのアルバイトというのが普通です。当社も、社長とそれ以外の人という単純きわまりない組織でした。担当の違いがあるだけで、部もなければ課もない。
そのうえ、飲食業はこと労務管理においてはグレーな部分の多い業界です。労働時間なんてあってないようなところがある。高校時代から飲食業界にいたため、その感覚でマネジメントしていたんです。社員やアルバイトは普通の会社に勤めたと思っているのに、社長は飲食業のマネジメントをする。当然、働く人から不満が出ます。しかも、その不満に全部私が1人で対処していた。社員は年下ばかりで何の権限も与えていませんでしたから。せっかく雇ったアルバイトが2、3か月で辞めていき、社内の雰囲気はどんどん悪くなっていきました。
そうなれば、作成間違いや商品違いなど仕事上のミスやトラブルが起こりがちになります。クレームも増えましたが、その対応を代わってやってくれる人はいない。クレーム電話では「社長を出せ」が常套句ですけど、当社はそれを言われる前に私に電話が回ってきたのです。お客様の元まで頭を下げにいくこともしょっちゅうで、そうこうするうちに、精神的にキャパオーバーになりました。
社長の仕事ってなんでこんなにしんどいんやろうと、朝、会社に行くのがつらくてつらくてしようがなかった。いまから考えたら完全にうつの症状でしたね。
“もやしのような会社”と言われ一念発起
そんなとき、大企業で勤務経験をもち同じようにECコマースを展開していた知人に恥を忍んで相談したのです。
すると「君の会社は大地にもやしが1本ぐんぐん背丈を伸ばしているようなもの。そんなことしていたらいずれ倒れてしまう。会社というのは、ピラミッド型の組織にして太くて頑丈な幹をつくっておくことが大切だ」と忠告された。
このとき初めて、自分がしてきた飲食店経営と会社での組織のあり方の違いに気がつきました。管理と名のつくものはすべて社長がやるものだと思い込んで仕事を抱え込んでいたんです。こんな組織では、いま以上には会社は大きくならないし、人の生活を便利にすることもできないと反省しました。
そこで、すぐに企業の総務や人事でキャリアをもつ年上の人を2人雇い、一から組織づくりをしてもらいました。アルバイトばかりでなく、正社員雇用もしていった。「インターネットでお客様を幸せにする」という経営理念をつくり、朝礼をはじめ、経営理念やクレド、マニュアルを作成して……と、社員が明るく働く環境づくりによいと教えられたことは全部忠実にやってきた。これでようやく会社と呼べる組織になって、私の負担はうんと軽くなりました。その後もヘッドハンティングや人材紹介会社を使って管理職クラスの人を集めてきました。
教育体制も整えました。昔は自社のホームページで気づいたところは、自分でちょこちょこ修正したりしていたんですけど、「社長がそんなことをしたら若い社員が育たないじゃないですか」とリーダー格の社員から怒られるので、最近は手を出していません(笑)。
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藤田社長は印鑑という商材は基本的にはネット通販に向いていないと感じている。ネット通販は化粧品やインクカートリッジなどリピートが不断に起こる商品が有効で、ハンコのように長期に使う商品は不向きだからだ。リピーターがあまり期待できないとなれば、サイトへの誘導がポイントになる。そのため、同社は創業以来、Webマーケティングには他のECコマースの何倍もの力を注いできた。実際、ビジネスサイトにおいて同社のバナー広告を見ることは多い。
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初期のころはホームページのデザイン性や更新頻度が当社の強みでした。他の同業者の多くが実店舗をもちながらやっていたせいか、サイトのつくりが雑だったり長く更新されていなかったりした。また、ハンコの売り方にもこう売るべきだという既成概念があったのでしょう。その点、素人の私は自由な見せ方や売り方ができました。デザインに関しては海外サイトをよくお手本にしていました。
ネットショップで重要なのはブランディングだと思っています。ネットでは、どこを経由して自社のサイトに入ってきたのかがすべてわかるのですが、1番多いのが、「ハンコヤドットコム」の社名検索から来店される方です。ハンコを買おうと思った人が「そういえばハンコヤドットコムというのがあったな」とすぐ思い出していただけるまで、露出度を高めておくことが大事ということです。
そのため、PPC広告やその一種であるリスティング広告、SEO対策やアフィリエイトなどWebマーケティングのしくみは徹底的に勉強しました。新しい広告手法が登場すれば、一度は試してみた。後から知ったことですが、グーグルが日本に進出して、02年に「アドワーズ」というリスティング広告を始めたときの第一号出稿者は当社だったそうです。
ネット広告ばかりでなく、設立して間もないころから全国紙に広告を定期的に出してきましたし、08年からはテレビCMも流し始めました。新聞やテレビの広告料金はネットとは比較にならないくらい高額ですが、これもブランディングのためと割り切っています。
Webマーケティングの知識と技術を新事業に
商売のやり方では、「やらない」と決めているものを2つもっています。1つは怪しげな付加価値はつけないこと。業界では開運ハンコなどと売られているものも少なくありません。当社も、かつて問屋さんの勧めで「開運証明書」を付けて販売した商品もありましたけど、どこか胡散臭くてすぐにやめ、以後そうした分野には一切手を出していません。
もう1つは価格勝負です。創業時に比べると、印鑑の相場は3分の1くらいになりました。それには当社も一役買ってきたのですが、プライスリーダーとなったいまは、これ以上の価格勝負をするつもりはありません。ネットには激安店も誕生していますけど、相手にはしない。他社との差別化はブランディングでやろうということです。
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古い体質をもつ業界だけに、創業以来アウトサイダー扱いされてきた。数年前、業界の会合に招かれ壇上に登ったとたん「何でこんなヤツを呼んだんだ」と聞こえよがしのヤジが飛んできたという。実店舗で営業する業者から見れば、ネットショップは自分たちの既得権益を侵し、秩序を乱す存在に見えるのだろう。印鑑の市場規模は3,000億円と言われるが、藤田社長は実質的には500億円くらいではないかと読んでいる。そのうちネットショップが5%として25億円、ハンコだけで15億円近く販売する同社は半数以上のシェアをもつことになる。
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電子認証が浸透しつつあり、すぐにはなくならないとしても、印鑑市場は縮小傾向にあることは間違いありません。そこでいま、台湾と欧米への進出を進めています。欧米では事前に代表者名のスタンプを銀行に届けておけば小切手を振り出すときに手書きのサインでなくても通用する制度が広がっているのです。そうなれば日本の印鑑と変わりありません。
当社は黎明期の時代から様々な集客や販売ノウハウ、広告スキルを蓄積してきました。その知識と技術は、専業のコンサルタント会社を上回るものがあると思います。これからはこの資産をベースに新事業としてWebマーケティングに乗り出していきます。ネットショップを開いたのにうまくいかないという会社に、当社が作成したソフトやノウハウを提供していく。それによって当社はもっと大きくなれるし、人の生活ももっと便利にできます。それこそが当社がミッションとする「インターネットでお客様を幸せにする」ことだと思うのです。
月刊「ニュートップL.」 2014年4月号
編集部
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