多彩な商品とサービスで観光客から期待される施設になる(農業生産法人 有限会社シュシュ・代表取締役 山口成美氏)
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長崎空港からクルマで15分。大村湾を一望する丘に広がる「おおむら夢ファーム シュシュ」には、年間約49万人の観光客が訪れる。ビニールハウスの直売所を県内有数の観光地に育てた山口成美代表取締役が、成功の秘訣を語る。
長崎県は、後継者難などで耕作を放棄された荒廃農地が全国で最も多い自治体の一つといわれている。大村市北部の福重地区も例外ではなく、農家の多くは高齢で、若者が去った農村の過疎は進んでいた。
1993年、故郷崩壊の危機に歯止めをかけるべく、8軒の専業農家が「福重地区農業農村活性化協議会」を発足させた。議論が重ねられ、3年後、農産物直売所「新鮮組」がオープン。ビニールハウスを利用した簡易直売所だったが、翌97年に地元産の果物を活用した「手作りジェラート シュシュ」が併設されると話題を集め、その年、大村市の人口の倍近い17万人が訪れた。
2000年、農家の自己資金をもとにレストランやパン・アイス工房、収穫体験施設を整えた「おおむら夢ファーム シュシュ」をオープンさせると、集客力が飛躍。年間来客数は約36万人に増えた。以後も着実に増え続け、現在では49万人に達する。
同様の施設は全国にも少なくないが、多くは第三セクターや農協が主体で、農家による運営は珍しい。同施設を運営する農業生産法人「シュシュ」の山口成美社長も養豚や果樹栽培の兼業農家で、自家も含めた同市の農家約120戸の農産物を取り扱っている。
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このあたりは気候が温暖で、昔から果樹園が多かったんです。四十数年も前から、一部の農家が「梨狩り」や「ぶどう狩り」を企画してお客様に喜ばれていたといいますから、いわゆる観光農園の先駆けでもあったようですね。
ところが、梨の旬はせいぜい8月と9月で、ぶどうだって8月から10月の3か月間程度です。地元がにぎわうのは、そのときだけなんですね。1年間を通じて、お客様に足を運んでもらえる地域になりたいというのが、私どもの出発点でした。
特産品がなかったから多彩な展開もできた
単純に考えれば、いつも何かが旬を迎えるように、たくさんの種類の果物を栽培すればよいわけですが、言うまでもなく、1年や2年でできるほど簡単ではありません。まずは自分たちにできることから始めようということで、農産物の直売所からスタートしました。
そのころから一貫して心掛けてきたのは、お客様から期待される施設になることですね。フランス語で「お気に入り」という意味の「シュシュ」と名乗ったのも、そういう願いからで、いつ誰と行っても、常に楽しいサービスやおいしいものがある。そんな存在になりたかったんです。ですから、商品やサービスについてはできるだけ多様に、多彩な広がりを意識してきました。
たとえば、収穫体験で言えば、暑い時期には梨狩りやぶどう狩りができて、秋にはみかん、寒くなるといちご狩りが楽しめます。体験教室なら、「手作りウィンナー教室」やいちご大福をつくる「大福教室」、「フラワーアレンジメント教室」など、10種類のコースが設定されていて、1年間に8000人ほどのお客様が参加されています。
その他、手作りパンとアイスの工房があり、旬の野菜や果物を用いたアイスやシャーベットは年間約60種類ほどにもなります。洋菓子も販売していて、ランチバイキングのレストランでは大村湾を一望しながらバーベキューも楽しめる。1日1組限定のレストランウェディングは、昨年、25組のカップルにご利用いただきました。
もちろん、食材は大村産にこだわっています。直売所だけでも、およそ250種類の商品が並んでいますが、お米も野菜も、豚肉だって果物だって地元で生産できるのは、やはり土地の豊かさのおかげなんですね。ただ、それほど多彩な展開が可能なのは、大村が特定の農産物の産地ではなかったからだと思います。もし、大村が全国的に名の知れた特産品をもっていたら、私どもの活動も限定されていたかもしれません。
そういう意味で、一般的には弱点とされるところを逆手に取って、それを強みにできたとも言えそうです。
60年、山口社長は大村市の兼業農家に生まれた。79年、長崎県立大村園芸高校を卒業し、大村市農協に就職。営農指導員として、主に畜産農家の指導に携わった。
90年、父親を亡くしたことを転機に12年間勤めた農協を辞め、就農。農産物直売所「新鮮組」をオープンするまで専業農家に転じたが、その6年間は農業の喜びと実状を肌で感じる貴重な経験となった。その経験が、地域の将来を憂う農家との結束を強めた。
その後、98年に「シュシュ」の前身となる「かりんとう」を設立して取締役、03年に社名を有限会社シュシュに変更して代表取締役に就任。05年には洋菓子工房をオープンさせ、「新鮮組」も増築して、施設の充実に努めた。現在、総敷地面積は約1万5000平米に及ぶ。
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いまから20年くらい前、全国には500万人近い農業従事者がいましたが、ほぼ半減して260万人になってしまいました。しかも、その平均年齢はすでに65歳を超えてしまっています。10年先とか、20年先の農業のあり方を議論すること自体が、難しくなってきているわけです。
そうした状況を考えると、もう時間がありません。新規就農者や後継者を育てていかないといけない。でも、現実は厳しくて、都会で働く息子がUターンを希望しても、親は素直に喜べない状況が続いています。実際、息子に苦労はさせたくないから、「帰ってきたってメシは食えんぞ」と言って、自分の代で終えようとする農家を何人も知っています。よほど経営を工夫しないと、専業農家として生きていけない時代なんです。
僭越かもしれませんが、私どもはそういう厳しい環境を克服するための、1つのモデルケースでありたいと考えてきました。そして、願わくばこれからの農業を担う世代に希望を与えるような存在になりたい。
そのためには、農業を儲かる産業に変えなければいけません。単に農産物を生産するだけじゃなく、付加価値を高める努力と知恵が必要です。収穫体験も体験教室も、まさにそうした意図で始めたものでした。農家が梨を収穫するのは労働ですが、お客様が梨を収穫すれば、それは娯楽に変わります。しかも、お客様と一緒になって、農地を喜びの場へと変えるわけですから、モチベーションも高まります。
当然、農産物をジェラートや洋菓子などに加工するのも、付加価値を高めるためです。お中元に1ケースの梨を贈られても、うれしいには違いないけれど、冷蔵庫に入らないから困りますよね。ところが、それがジュースになっていれば喜ばれます。しかも、「シュシュ」でしか買えないオリジナル商品なら、なおうれしい。
ちょっとした工夫を加えるだけで、付加価値は高まります。そうした工夫が、お客様をリピーターに変えるのではないでしょうか。
細かな配慮で女性客を呼び込む
また、より直接的な就農支援として、07年からは団塊の世代に向けた「農業塾」も始めています。これまでに300名近い方が塾生になっていて、農機具の使い方や栽培方法はもちろん、ブルーベリーのジャムづくりなども学んでいただきました。塾生さんが育てた芋を使った焼酎は、商品として販売もしていて、おかげさまで大変、好評です。
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地域活性化と農業支援への取り組みが高く評価され、同社は07年に全国地産地消コンクールで農林水産大臣賞、09年には「グリーンツーリズム大賞2009」を受賞した。「シュシュ」の成功は各界から注目を集め、現在、全国の自治体などから年間に1万人以上の視察者が訪れる。山口社長自身、06年からは長崎県観光マイスターとしても活躍。「シュシュ」は、いまや県の玄関口である長崎空港から最も近い観光地としての評価を獲得しつつある。
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おかげさまでたくさんのお客様に来ていただけるようになったのは、「女性の視点」を大切にしてきたからではないかと考えています。これはもうオープン当初から気をつけてきたことで、いまも全従業員中、8割は女性です。
私どもはとにかくアイデア勝負で、お客様に喜んでいただける商品やサービスを休みなく実現していかないといけません。ですから、私自身も社長室に座っている時間はほとんどなくて、農家ですから出社前には家内と一緒に農作業に汗を流して、会社に顔を出したら、お客様を送迎するマイクロバスの運転手も、何でもします。
すると、この垢抜けた運転手が社長だとは思わないから(笑)、みなさんバスのなかで率直な感想をいろいろ話すわけですが、よく聞いていると、やはり女性が主導権を握っているんですね。お客様の声からアイデアの種をいただく一方、女性に喜ばれる施設でなければ、お客様は増えないと確信しました。
ですから、ぶどう畑なら地面の段差を利用して、お子さんでも簡単に収穫できるようになっています。いちご畑には回転式ベンチ栽培を取り入れて、お子さんや車いすの方でもちょうど胸の高さで収穫できる。直売所の商品構成もレストランのメニューも、女性従業員の感性が反映されることが第一で、私が何を言っても相手にされません(笑)。
ただ、そうして細かいところにも配慮しているのは、少しでも多くのお客様に来ていただきたいからではありますが、私どもの目的は観光客数を増やすことではありません。儲かる農業に変えたいという目標も同じで、儲けのために農家が犠牲になるようでは本末転倒です。最終的には、やはり大村市や長崎県、ひいては九州、さらには日本の農家にとって、プラスになるような経営でなければ意味がないと思っています。
あくまで軸足は、第一次産業としての農業にあります。しかし、農業を活性化させるには、他の業界も巻き込んでいく必要がある。そこで、私どもでは製造や加工の第二次産業と販売・サービスの第三次産業を一貫した存在を目指すことによって、それらを掛け合わせた「第六次産業」でありたいと考えています。農業がそういう存在になれれば、農村の嫁不足も少しは解消するかもしれないと期待しているんです。
そういった大きな目標を掲げ続けて、農業を夢のある産業に変えていきたいですね。
月刊「ニュートップL.」 2012年2月号
編集部
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