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「惹きつけ力」で魅力を高め、全員で顧客サービスに徹する(株式会社都田建設・社長 蓬台浩明氏)

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掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


様々な情報発信によって顧客からのコンタクトをうながす都田建設は、モデルハウスをもたず、営業マンも置かない。なぜ、そのような手法が可能なのか。

主に木造の注文住宅を手がける都田建設(浜松市北区)はモデルハウスをもたず、営業マンもいないが、年間100棟を超える新築住宅を施工している。
これまでの施工実績は、静岡県西部と愛知県東部を施工エリアとする地元密着型の工務店ながら、約600棟に及ぶ。

その他、リフォームやガーデン・エクステリアも手がけ、都田町の本社にはインテリアショップとギャラリーを併設。ギャラリーは、地元の愛好家の個展をはじめ、着付けやピラティスなど各種カルチャー講座に利用され、近隣から多くの人が訪れる。
また、セミナールームでは蓬台浩明社長や社員が講師を務めるセミナーも開催。資金計画や土地探し、家づくりなど、蓬台社長が講師を務めたセミナーだけでも延べ70回、1000人以上が参加したという。

現在、11期連続の増収を継続中。財務体質も無借金の健全経営で、ここ数年の経常利益率はおおむね8~9%と、業界の平均を大きく上回っている。

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単に住宅を販売するだけでなく、お客様の生活全般に関わるサービス業でありたいと考えています。というのも、住宅はあらゆる人にとって生活の基点だからです。

仕事も家族も、趣味も健康も、人が生きていくうえで不可欠なものや人生をより豊かにしてくれるものは、ほとんど住宅を結節点としてつながっています。住宅とは、人生における「ハブ」なんですね。インテリアショップやギャラリー、そして様々なイベントは、ハブから伸びるスポークに相当するわけです。

そうした活動を通じて私どもに興味をもっていただければ、お客様に対する「惹きつけ力」が高まり、そこがお客様との接点になります。私どもの家づくりについての考え方や姿勢を間接的に表現することにもなる。
もちろん、営業的なねらいで始めたわけではありませんが、こちらからお客様へ積極的に働きかけることがないだけに、結果としてお客様との接点を増やす機会になっていると思います。

大手メーカーから個人工務店へ転職

私どもがモデルハウスをもたず、営業マンも置かないのは、できる限りコストを抑えて、より多くのお客様に理想の住まいを実現していただくためですが、以前は通常の営業活動を行なっていました。

いまでも実施しているのですが、私どもではお客様の住まいをお借りして現場見学会を開催しています。そこへ参加されたお客様を片っ端から訪問して、商談をお願いしていたんです。

すると、4件に1件くらいは成約に結びついていたのですが、年間の新築施工が30件くらいになったとき、思い切ってやめました。成約に至らなかった3件に費やした時間や労力も、残りの1件に振り向けるべきだと思ったからです。私どもと一緒に家づくりをしようと決めてくださったお客様に対して、結果的に4分の1しかスタッフや時間を割けないのは申し訳ないと思ったんです。

9年ほど前、先代から実質的に経営を任され、幸いにも成長軌道に乗り始めたころで、売上はのどから手が出るほど欲しかったのですが、我慢しました。こちらから働きかけられないのは、本当につらかったのですが、このとき我慢したことが現在につながったと思います。

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蓬台社長は1971年、和歌山県粉河町(現紀の川市)の旧家に生まれた。実家は築100年を超える古民家であった。粉河高校を卒業後、光電機械工学科を志望して静岡大学工学部に入学。これが浜松市との地縁となる。同大学を卒業後、オーストラリアで1年間のホームステイを経験。以来、住宅建築への興味が高まり、千葉大学工学部建築学科に編入学。卒業後、三井ホームを経て、98年に都田建設に入社した。職業安定所の紹介であった。

創業者で現会長の内山覚氏は丁稚奉公から起業した大工で、同社の実態は内山氏の個人商店だったが、蓬台社長は工務店ならではの現場仕事を学ぶため転職を決めた。3年後には独立するつもりで、内山氏もそれを了承して採用したという。

売上の多くは孫請けやひ孫請けのリフォームで、新築施工は年間2、3棟であったが、99年、蓬台社長が企画したパッケージ商品が評判となり、翌年以降は毎年、新築施工の受注がほぼ10棟ずつ増えた。大手メーカーと同等の建材を用いながら、坪当たり20万円近く安価に設定できたからだった。顧客を放り出すわけにもいかず、蓬台社長は独立の予定を5年後に延ばしたが、その後、ますます担当顧客は増え、やがて同社の経営を引き継ぐことを決意。内山氏から全面的な権限委譲を受け、2007年に2代目社長を継いだ。

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私自身、大手メーカーからの転職に躊躇はありませんでしたが、実際に働いてみると、やはり戸惑いを感じることはいろいろありました。

たとえば、当初は飛び込み営業をすることになって連日、近所のお宅を訪問して歩いたのですが、当然ながら門前払いで、塩を撒まかれたり犬に飛びかかられたりと散々でした(笑)。結局、2か月間成果はゼロで、3か月目にようやく床の張り替え工事を受注できました。

また、飛び込み営業の一方で、リフォームの仕事があるときは現場監督として作業を管理するのですが、現場では年長で経験も豊富な大工さんたちに叱られっぱなしです。そして、一日の仕事が終わるとゴミの整理をします。大きなゴミ箱のなかに入って作業をしていると、「親に大学を二つも出してもらいながら・・・」と、自分の選択が本当に正しかったのか、不安に思うこともたびたびありました。

ところが、そういう現場でしか経験し得ないこともあって、よい勉強になりましたね。現場に行くと、きれいな釘が落ちていたり、端材というにはもったいないような建材があちらこちらに転がっている。それらはゴミとされるわけですが、もとはといえば、お客様のお金で買いそろえたものです。ムダなコストを抑えた家づくりは、細かい部分にも配慮しなければ実現できないことをあらためて感じました。

翌年からは、パッケージ商品の好評が転機となって新規施工の受注も増え、3年目には社員の採用など、実質的な経営についても任されるようになりました。以来、内山とは互いの役割分担を明確に決めたわけではありませんが、自然と棲み分けができて、内山はオーナー兼大工といった感じですね。叩き上げの職人ですから現場で仕事をすることが多く、経営については、ありがたいことに私の思うようにさせてもらっています。

毎週のバーベキューで一体感を醸成する

そもそも私が独立をめざしていたのは、ムダなコストを省いて、高品質でありながら低価格な家づくりを実現したかったからでした。ですから、それが可能な環境さえ整えば「器」自体はどうでもよくて、起業そのものへのこだわりや憧れも特別なものはありません。むしろ、内山をはじめ徐々に増えていく仲間たちと一緒に仕事ができる環境は何ものにも代え難く、あえて独立することに意義を見出せなくなったと言うべきかもしれませんね。

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01年、30歳で実質的に経営を継いだ蓬台社長が「サービス業」への転換を打ち出し、それを浸透させる過程では、考え方の違いから同社を去る社員もいた。だが、蓬台社長はユニークなアイデアを次々に実践して、一体感の醸成に努めてきた。その典型は、毎週木曜日、昼休みに全社員が参加するバーベキューだろう。

その日は午前中、部署を超えて編成された5つのチームごとにミーティングなどを行ない、12時になるとコンロと洗い場がある本社の庭に移動。炭から火を起こし、当日のリーダーが調理を担当。全社員分の予算は1万5000円で、メニューはリーダーが決める。料理が皿に盛りつけられるまで、約20分。そして、食事にも約20分。食後、食器や鉄板を洗い、コンロ周りや床タイルの掃除も済ませ、13時には仕事が始まる。08年8月以来、すでに150回を超えたが、まったく同じメニューは1度もなかったという。


また、顧客と社員の心理的な距離感を縮めるため、社員同士も愛称で呼び合う。蓬台社長も例外ではなく、社員はみな「ダイちゃん」と呼ぶ。ちなみに、内山会長は「さとちゃん」である。

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私がバーベキューを思いついたのは、正式に社長に就任して初めて迎えたお正月でした。でも、1週間のなかでもお客様が最も多い週末に実施するのは難しく、平日しかできそうにありません。基本的には全員が参加すること、毎週、行なうことなど、様々な条件を考えると、平日の昼休みに行なうのが最もふさわしいという結論になりました。

毎週、というのは頻繁すぎると思われるかもしれませんが、何かを習慣化するには月に1回程度では少なすぎる。忘れてしまうんです。私は、バーベキューを会社の体質として定着させたかったので、毎週恒例のイベントにしました。

ところが、わずか1時間の昼休みに後片付けまでできるのか、私自身も不安だったので、それからしばらくは自宅で実際にリハーサルしてみたり、様々に検討してみました。そうして、「できる」と確信したのが8か月後だったわけです。

手本を示す意味でも、最初の3回は私がリーダーを務めました。そのころ社員は35人ほどで、予算は1万円です。自宅でひそかにリハーサルを重ねた甲斐あって、2回はうまくいきましたが、3回目にラーメンの麺が団子のように固まってしまって、みごとに失敗しました。いまだに、あのときの失敗を超える失敗は誰もなし得ていません(笑)。

時間が限られているため、手際よく調理しなければならず、毎回、どんなメニューが喜ばれるかと知恵を絞ります。そして、火起こしや買い出し、盛りつけなどの係に指示して、リーダーは全体への目配りもしなければいけません。

そういう点で、これは全社員が参加したレクリエーションであると同時に、様々な役割を担ったスタッフたちが、決められたルールのなかで目標を実現するために協力し合うプロジェクトなんです。互いを愛称で呼び合いながら、毎週、バーベキューを続けてきたことは、社内の結束を高めるうえで非常に効果があったと感じています。

もし環境が整うなら、ぜひ様々な業種で実践していただきたいですね。

月刊「ニュートップL.」 2011年7月号
編集部


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