骨伝導の技術を活用して、困っている人の役に立ちたい(ゴールデンダンス株式会社・社長 中谷 明子氏)
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「骨伝導」技術を活かした製品開発で高い評価を得るゴールデンダンスの中谷明子社長。専業主婦から起業し、幅広い分野へ骨伝導技術を導入することで「人の役に立ちたい」と言う中谷社長が、経営観を語る。
音の正体が空気の振動であることは、よく知られている。人間が音を感じるのは、空気の振動が耳のなかの鼓膜を震ふるわせ、それが蝸牛(かぎゅう)という器官を経て、脳に伝わるからである。
だが、鼓膜を経ることなく頭蓋骨に伝わる振動も、蝸牛を通じて、脳に認識される。そのしくみや音を「骨伝導」と呼ぶ。耳をふさいでも自分の声が聞こえるのは、骨伝導によって脳が音を認識するからだ。
ゴールデンダンスの中谷明子社長は、骨伝導技術を活かした製品開発に取り組み、2005年、オーディオ用ヘッドホン『オーディオボーン』を発売。一般的なヘッドホンの3倍近い価格だったが、1年間で約2万個を売り上げるヒット商品となった。
その後、音質の改善や軽量化に努め、防水仕様などの機能を付加した新機種を開発。後継機種となる『オーディオボーン アクア』は、全米家電協会が主催する世界最大規模の家電見本市「インターナショナルCES」で09年のイノベーションアワードを受賞。また、同年には一連の製品が日経優秀製品・サービス賞の「審査委員特別賞」を受賞するなど、骨伝導の技術を活用した製品力が、高く評価されている。
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昔に比べると、ずいぶん知られるようにはなったと思いますが、骨伝導という言葉自体、まだまだなじみが薄いですよね。字面から受ける印象もあって、脳への影響など、安全性についてご心配になる声もよく聞きます。
でも、骨伝導は身体に特別な負荷を強いるような技術ではなくて、ごく自然な音なんですね。医学的にも、健康に影響がないことは証明されてきました。日常生活では意識することがありませんが、私たちは日ごろ、言葉を発するたびに骨伝導の音を耳にしているんです。
自分の声って、機械に録音したものを聞くと、すごく違和感を覚えますでしょう。自分の声じゃないみたいに聞こえます。あれは、ふだん耳に慣れている自分の声が、鼓膜を通じて認識される音と、骨伝導の音をミックスした音だからなんです。前者を「気導音」、後者を「骨導音」といいます。録音された声は気導音だけですから、自分の声ではないように聞こえるわけです。
耳の不自由な人でも骨伝導で音が聞こえる
私どもが05年に発売した『オーディオボーン』は、独自に開発した骨伝導振動子によって、従来の骨伝導機器では再現が難しかった音域もカバーできるものでした。音漏れが少なく、鼓膜への負担が軽減されるので、長時間、聴いても疲れにくいことも利点です。
でも、そのころはまだ、会社といっても夫と私だけで、販路もなければ、派手に広告することもできません。「とりあえず」という表現は語弊があるかもしれませんが、とにかくまずはやってみようという感じで、楽天さんに出店したんですね。
ですから、SEO対策なんて手が回る余裕がなくて、ほとんど工夫らしい工夫もできませんでした。ところが、出店して1か月も経たないうちにカテゴリーの上位にランクインしたんです。そして、そのうち1位になると、それ以降、半年くらいの間、おかげさまで1位が続きました。
やがて、お客様のほうから量販店さんにお問い合わせをいただくことが増えたのでしょうね。量販店さんから私どもへ声をかけてもらえるようになって、徐々にお取り扱いいただくお店が増えていきました。
楽天さんも量販店さんも、担当の方は驚いていらしたんですが、それ以上にびっくりしていたのは、私たちかもしれません。望外の反響をいただいて、本当にありがたいと思っています。
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中谷社長は、夫の任德氏とともに02年、同社を創業。創業前は約16年間、専業主婦として家庭にあり、2女の母として育児に努め、損害保険会社に勤務していた夫を支えた。
結婚前の数年間、夫とは別の損害保険会社に勤務した経験しかなかった中谷社長が起業したのは、骨伝導が聴覚障碍者にとって朗報になることを確信したからだった。自宅の本棚にあるのは育児や料理関連の書籍くらいだったが、独学で骨伝導の技術や音響学、人体解剖学などを習得。「これからは、女性も社会に出て活躍すべきだ」という夫の勧めもあり、社長に就任した。本棚には、再び新たな分野の書籍が加わった。
骨伝導補聴器メーカーの販売代理店として創業したが、製品に対する顧客の要望や不満を改善するため、独自に製品の企画・開発に挑戦することを決意。それ以降、研究と開発は主に夫が担当し、中谷社長は営業や生産体制の確立に奔走した。最も苦労したのは、協力工場の開拓だったという。
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創業前年の秋、ある日、主人が会社から見慣れない機械を持ち帰ってきたんです。通常のヘッドホンや補聴器のように直接、耳にあてなくても、顔にあてるだけで音が聞こえるというんですね。
そのときは、骨伝導なんて聞いたこともありませんから、「まさか」と思って試してみたら、本当に聞こえるんです。「何、これ!」と思って、本当に驚きました。
そして、ようやく出合ったのかもしれないと思いました。実は、主人とは以前から、何か人の役に立つことがしたいという話をしていたんです。骨伝導なら、鼓膜を経る必要がありませんから、耳が不自由な方の役に立てるかもしれません。早速、私たちは知人に試してもらうことにしました。その方の奥様は、耳が不自由だったんです。
試していただくと、信じられないくらい明瞭に音が聞こえたそうです。もう諦めかけていたけれど、ひさしぶりに夫婦で会話ができたとおっしゃって、泣いて喜んでいただけました。私ももらい泣きで、もう感動です。このとき、骨伝導をもっと多くの方に知っていただきたいと心から思いました。
この感動がなかったら、何の取り柄もない自分をわきまえずに起業することもなかったかもしれません。起業してからも、このときの感動や多くのお客様からの温かい声が、どれだけ励みになったことか。人の役に立ちたいと思って起業しながら、逆にお客様から助けていただいたような気がします。
ニュースキャスターのイヤホンにも技術を活用
私は経営者の家庭に育ったわけではありませんし、主人もサラリーマンでしたから、経営者という存在を具体的に考える手がかりが身近にありませんでした。創業してから、経営者としてどうあるべきか、手探りで少しずつ考えてきたつもりです。
そういう過程で感じたのは、当たり前かもしれませんが、いろんなタイプの経営者がいていいんだ、ということです。世の中には、女性でも優秀な経営者がたくさんいらっしゃいますが、私がそういう方の真似をしても、しょせん真似でしかありません。私は私なりに、自分らしい経営者をめざそうと思ったんです。私自身は何もできませんから、従業員がもつよい部分を引き出す触媒みたいな存在になりたい。
そのためには、本人すら気づいていないかもしれない長所を察知して、そこを伸ばすように応援しないといけません。ある意味、子育てと似ているのかもしれませんね。
ですから、もちろん厳しいことも言います。でも、たとえその場ではわからなくても、いつか思い出して、理解してくれたらいい。そんな経営者でありたいと思っています。
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骨伝導の特性を活かし、同社では様々な用途に対応した製品開発に取り組んできた。昨年、NHKと共同開発した「骨伝導キャスターイヤホン」は、その一例である。音漏れやハウリング(マイクとスピーカーによる発振現象)がなく、騒音のなかでも明瞭に聞こえることなどから、ニュースキャスターの使用が順次、計画されている。
また、西日本高速道路(NEXCO西日本)の関連会社と共同開発したのは、骨伝導通信システム『阿吽(あうん)』で、これによりヘルメットがスピーカーがわりになる。騒音のなかでも、両耳をふさがず通信できるため、高速道路の保守作業中に多発している作業員の死亡事故の防止が期待されている。
同様に、建設現場や土木、港湾、飛行場など、騒音のなかで作業を強いられる現場作業員の通信手段としての用途のほか、自衛隊や消防、警察、各種イベント会場、飲食店などへも、骨伝導技術による同社の通信機器の導入が検討され始めている。
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従来の無線システムでは、作業中に危険を知らせる連絡があっても、騒音にかき消されて聞こえなかったり、無線連絡に集中するあまり、身に迫る危険音に気づかなかったりして、作業員さんが不幸な事故に巻き込まれるケースが多かったようです。でも、骨伝導の技術を使うことで、そうした危険が解消されます。極端な話、耳栓をしていても通信ができるわけです。
また、コールセンターのように、騒音のなかで長時間、イヤホンを使用しなければいけない職場でも、骨伝導は役立てていただけると思います。ほかにも、おそらく用途はいろいろあるでしょうから、お客様のお知恵も借りながら、新たな製品の開発にも積極的に取り組んでいきたいですね。
用途が広がるたび、喜んでいただける方も増えると思うと、つくづく起業してよかったと感じるんです。もちろん、主婦の仕事は尊い役割ですが、ある程度の年齢になって子育ても終わると、パートに出ようと思っても働き口はなかなか見つからないでしょう。もし、10年前に起業していなかったら、いまごろ毎日、テレビ三昧で、せいぜい近所の奥様とランチに出かける程度だったかもしれません。
そう考えると、私は本当に人生を得した気分なんです。専業主婦でも、ちょっと勇気を出して一歩でも踏み出してみたら、充実した人生を送ることができると実感しました。以前は、人前でお話することすら考えられないくらい、引っ込み思案で、何をするにも消極的な性格だったんです。
大変なことは当然、ありますが、苦労しただけ得るものも喜びも大きい。機会があれば、今後はそういう私の経験も、世の中の女性にお伝えしたいと思っています。
月刊「ニュートップL.」 2012年9月号
編集部
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