ビジョンを明確に打ち出して福祉・教育分野のIT化に貢献する(株式会社アルファメディア 社長 小湊宏之)
キラリと光るスモールカンパニー掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。
大学など学校向けの出席管理システム『かいけつ出席』を30校以上の大学に納入するなど、福祉と教育分野でITを活用して社会貢献することをビジョンに成長を続けているアルファメディアは、厳しい経営環境のなか、2012年度は過去最高の売上と営業利益を記録した。
2代目の小湊宏之社長は当初、社員の理解を得られず、社長を辞めようと思うほど追い詰められながら、必死で這い上がってきた。
◇ ◇ ◇
大学などで欠席者に代わって出席の返事をする「代返(だいへん)」は、このシステムの登場で過去のものとなるかもしれない。
アルファメディアが開発した出席管理システム『かいけつ出席』は、非接触ICカードと自社開発の携帯型カードリーダを活用して、どんな教室でも出席状況を把握できる。2006年に発売された。
従来の出席管理システムは設置型のカードリーダで、導入費用も高くなりがちだったが、カードリーダが携帯型の『かいけつ出席』は、価格は1台10万円。出席データもマイクロソフト・エクセルを使って管理できる手軽さから、30校以上の大学などに導入されている。全校で数百台を導入するケースから、学部単位で10台程度、教授個人で1台購入するなど、規模は様々で、累計1,000台近く販売している。
同社の小湊宏之社長(39歳)は、こう語る。
「当初はなかなか売れなかったのですが、この2年で20校以上に導入できました。あと2年で50校まで拡大し、最終的には100校を目標にしています」(以下、発言は同氏)
当初の『かいけつ出席』では、代返を防ぐことはできなかった。顧客からの要望もあったことから、富士通の特許「出席管理スキャナ装置」のライセンス契約を結び、11年に業界初の「代返防止版」を発売した。これは教室の机にICタグを貼りつけ、タグとカードの両方で認証するしくみで、1人が複数のICカードを持ち込んでも、いちいち席を移動して認証する必要があり、代返防止効果が高い。
代返防止システムがネットでバッシング
代返防止システムを発表すると、各メディアがこぞって取り上げ、全国紙から地方紙まで記事が掲載された。
ところが、喜ぶべきニュースがとんだ波紋を生むことになる。ある脳科学者が「ITは人を縛るために使うものではない。代返防止などナンセンスだ」とネット上で批判したのだ。すると、これが「2ちゃんねる」などの掲示板にコピーされ、学生や大学教授も批判に加わって、同社は激しいバッシングを受けた。
「もちろん、大学は本来、自由であるべきだと私も思います。でも、日本の大学の実態はどうでしょう。学生の学力低下が懸念され、国際的な競争力も落ちています。一方、講義に遅刻したり、休講が目立つなど、問題のある教官の存在も指摘されている。そうした異常な状況を解決して、大学本来の姿を取り戻すことが先決ではないでしょうか。『かいけつ出席』は、そのためのツールです。そうした意味合いをご理解いただければ、本当の意味の『自由』を縛ることにはならないはずです。もっとも、現時点では代返防止版より、手軽に使える標準版を購入されるお客様が大半です」
そもそもアルファメディアは、病院や金融機関の窓口で使われる呼び出し表示装置のソフトや業務ソフトの開発、そしてハードの開発・生産など、受託開発で成長してきた。
また、1999年にパソコンスクールを開校。富士通ラーニングメディアとの提携で、富士通オープンカレッジの運営も同年にスタートした。01年には、アプリケーション開発やシステム保守のために技術者を派遣する人材派遣事業も始めた。
03年に初めて企業向けの自社製品である勤怠管理システム『かいけつ就業』を開発、発売した。これは『かいけつ出席』と基本的なしくみは同じで、非接触ICカードや手のひら認証を利用して、社員の出勤や休日、勤務時間、遅刻時間などを管理する。
同社は先代社長以来、「人に優しいマルチメディア」を経営理念とし、利用者がパソコンを使えなくても手軽にITのメリットを享受できるようなシステムをめざしてきた。そのため、『かいけつ就業』は誰でも使えるICカードをベースに設計した。
『かいけつ就業』は中堅中小企業を対象にしており、社内システムをもっていなくても、サーバと端末があれば利用できる。これまで30社ほどに導入されているが、まだまだ認知度は低い。現在はシステムの導入に100万円近くかかるため、小湊社長はパッケージ化などを進め、いずれは「30万~40万円に引き下げたい」と語る。
こうして、少しずつ「脱下請け」を進めてきた結果、現在の売上構成は『かいけつ出席』などの自社製品が1割、パソコンスクールや人材派遣事業などの自社サービスが2割を占めるようになり、下請けである受託開発を7割程度まで下げることができるようになった。今後は、自社サービスを5割まで引き上げることが小湊社長の目標だ。
ソフト開発事業者にとって厳しい経営環境が続いているにも関わらず、自社製品と自社サービスが好調で、12年度の業績は売上高が6億3,800万円、営業利益が4,600万円と過去最高を記録した。40歳手前にして経営者として着実な手綱さばきを見せる小湊社長だが、実はこれまで何度となく追い詰められ、「辞めたい」と本気で思ったこともあったという。
同社の創業は92年。小湊社長の父、小湊基行会長(70歳)が設立した。小湊会長はハード設計の専門家で、富士通に25年間勤務し、ワードプロセッサーなどの開発に携わった。しかし、これからはソフトの時代だと考え、独立して3名でソフト開発会社を旗揚げした。
小湊会長は長くボランティア活動を続けており、聴覚障がい者ともつき合いがあったことから、健常者とのコミュニケーションを円滑にするために、世界初の日本手話電子辞書「ムサシα」を96年に開発・販売した。ムサシαは、日本語を入力すると手話の動画が表示されるソフトだ。これが評価されて翌年、神奈川工業技術開発大賞を受賞。会社の知名度が上がった。
優秀な社員を引き連れ古参社員が独立
一方、小湊社長は大のIT嫌いで、会社を継ぐ気は少しもなかったという。大学卒業後、大手有線放送サービス会社に入社し、営業部に配属されたが、そのうち業績が悪化。リストラの対象となってしまった。
それを知った小湊会長は「うちで営業をやらないか」と誘った。心機一転、新たな挑戦を決意した小湊社長は、2000年に25歳で入社した。しかし、パソコン1つ使えず、社員から白い目で見られた。受託開発の営業先でも、顧客の話がまるでわからない。必死にメモして、事務所に戻って調べ、ようやく顧客の意図が理解できるという状態で、当然、成果は上がらなかった。
「辞めよう」と何度も思ったが、どうにか思いとどまって、2年も経つと、ようやく仕事にも慣れた。それでも、古参社員とはうまくいかなかったが、年齢が近い若手とは打ち解けるのも早く、仕事帰りに酒を酌み交わしたり、休日にドライブに出掛けるなど、親睦を深めることができた。ちょうどそんな時期、小湊会長が病に倒れた。脳梗塞だった。
幸い、小湊会長は一命を取り留めたものの、前年に続く2回目の脳梗塞で、経営への復帰は望めなかった。04年、小湊社長は、専務に就任。本格的な事業承継に備えたが、その直後、小湊社長を支えると約束したはずの古参社員が、優秀な社員を2人連れて独立。その後も、彼らの後を追って会社を去る社員が続き、社内は沈滞した。
「毎月のように社員が辞めて、2年間で20人以上は辞めたでしょうか。それでも人材が補充できたのは、当時のソフト開発業界が好況だったおかげです。社員が辞めるたび、その原因はすべて私にあるような気がして、残ってくれる社員にも、社員を育ててきた父にも、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
理念に沿う仕事ならまず受けて黒字化を工夫
専務に就任した04年の売上は、3億8,000万円。翌年以降、4億6,000万円、5億3,000万円と数字上は好調だったが、内部はガタガタだった。
「かつては社員とよく飲みに行っていましたが、04~05年の1年間は1度も機会がありませんでした。社員に対して疑心暗鬼になり、嫌われているのだろう、何か言ったらまた辞められてしまうと、話しかけることさえ躊躇していました」
追い込まれた小湊社長を救ったのは、先輩経営者のひと言だった。「社員が辞めるのは仕方がない。最後は経営者1人でもやれるんだ。でも、君が将来、何をやっていきたいのか、いま社員に話さなければ、さらに辞めるだろう」と言われたのだ。
このとき、初めて小湊社長は自社の理念を振り返った。父が掲げた「人に優しいマルチメディアをあなたと共に創造する」という言葉に加味したうえで、「社員が将来を託せる企業として、福祉・教育・企業/個人のIT化を中心に仕事を通して社会に貢献していきます」というビジョンを打ち出した。これを機に、福祉と教育分野でITを活用して役立つ仕事をしたいというアルファメディアの姿勢が鮮明になった。06年から事業計画を立てるようになり、業績も好調だった。だが、試練はまだ続く。
経営に自信をもった小湊社長は、08年に33歳で社長に就任。その直後、リーマンショックが襲いかかった。売上は激減、09年は4,000万円の赤字に転落した。小湊社長は受託開発の新規開拓にかけずり回るが、まったく注文が取れない。自社の強みは何かとの問いに、「何でもできます」と答えて、商談相手をあきれさせたこともあった。
そして、ついに倒産寸前まで追い詰められた。
「社長を辞めるか」
そのとき、小湊会長は息子にこう尋ねたという。10年のことである。
「辞めます」
銀行から提示された融資条件が「会長の復帰」だったこともあり、小湊社長は自分が居座る限り会社の信用を回復することはできないと判断した。
すると、会長は「バカ野郎!そんな簡単に辞めるなんて言うほど、腹を括っていなかったのか」と、激怒した。「お前のやりたいことがまったく見えない」と会長から叱責された小湊社長は、福祉と教育で貢献したいと本気で思っていなかった自分に気づいた。
仕事ほしさに考えもなく新規開拓にかけずり回っていた愚かさに気づいた。再度、自社の強みを見直し、『かいけつ出席』の価値を見出した。これは単なる業務効率化ソフトではなく、大学の競争力を上げ、学力を上げるツールだとわかったのだ。社員にもそのことを丁寧に話すと、営業の姿勢も言葉も変わってきて、自然に売れるようになった。顧客の声を聞いて代返防止機能もつけ加えた。
行政から障がい者の就労支援を手伝ってほしいという依頼もあり、10年からITスキルを障がい者に教える事業も始めた。それまでは、儲かるかどうかで仕事を選んでいたが、理念・ビジョンに沿う仕事なら、まず受けて黒字化を工夫するという姿勢に変わった。
すると、不思議なもので出会いの機会も広がり、高崎商科大学の竹上健教授という教育工学の専門家と知り合い、10年から視覚障がい者のための歩行支援システムの共同開発が始まった。
これは、ヘッドフォンに内蔵した2台の小型カメラで前方の空間を検知し、障害物や段差などの危険を音で知らせる装置だ。とくに、駅のホームや下り階段からの転落事故を防ぎたいと小湊社長は考えている。すでに試作機はできあがっているが、2年後の実用化をめざして実証実験中だ。
紆余曲折はあったが、いまでは社員と思いを共有できるようになり、酒席をともにする機会も増えた。昨年からは主任以上の社員と月1回、将来の会社づくりを話し合うようになった。
小湊社長は、真の経営者としての第1歩を踏み出したようだ。
月刊「ニュートップL.」 2013年9月号
吉村克己(ルポライター)
掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。