万年赤字で廃止寸前のローカル線を公募社長が観光鉄道として再生(いすみ鉄道株式会社・社長 鳥塚亮)
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千葉県いすみ市と大多喜町を走るいすみ鉄道は14駅、約27kmを結ぶローカル鉄道だ。万年赤字に悩み、第三セクターとして細々と生き残っていたが、ついに存廃をかけて社長を公募。航空会社を辞めて就任した鳥塚亮社長は、自身の鉄道マニアの一面を活かして斬新な工夫を次々と打ち出し、観光鉄道として再建に成功している。
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千葉県の房総半島沿岸部に位置するいすみ市の大原駅から内陸部の大多喜町にある大多喜駅を経て上総中野駅まで、14駅、約27キロメートルをつなぐいすみ鉄道には、週末や休日になると多くの観光客が集まる。
いまどき珍しい非電化のディーゼルカーで、トーベ・ヤンソン原作のムーミンのキャラクターたちが描かれた車両が目印だ。ただ、それ以外にとりわけ目を引くものがあるわけではない。沿線も自然豊かな風景が続くが、集客力のある観光資源があるとも言い難い。
同鉄道のポスターには「ここには“なにもない”があります」というキャッチコピーが謳われている。いすみ鉄道の鳥塚亮社長(52歳)は、次のように語る(以下、発言は同氏)。
「私たちは、ローカル線のよさをわかってくれる人にだけ来てもらえればいいと考えています。正直に言えば、当社のポスターを見た人の10人中9人は来ないでしょう。残り一割の人が『行ってもいいかな』と思い、実際に鉄道に乗りに来てくださるのは、さらにその一割程度だと思います。でも、妙な期待を抱かれて『なんだ、何もないじゃないか』と言われたくない(笑)。だから、開き直って最初から宣言したのです」
実は、同鉄道が本社を置く大多喜町には徳川家康の功臣として四天王の1人に数えられた本多忠勝の居城があった。大多喜藩10万石の拠点、大多喜城は明治初頭に取り壊されたが、その後、天守が再建されて博物館となっている。地元では、忠勝を主人公に大河ドラマを制作してもらおうとNHKに対して運動しているが、鳥塚社長は忠勝人気などに期待せず、あくまでも鉄道そのものが事業になる「ローカル線のファンビジネス」をめざして様々な施策を実行し、実績を上げてきた。
赤字ローカル線は全国的な問題で、なかなか解決の糸口が見出せない。いすみ鉄道も例外ではなく、最近まで利用客が減少し続け、毎年1億円を超える経常損失が続いていた。
もともと木原線としてJR東日本が運営していたが、1987年7月に第三セクターとして千葉県や大多喜町、いすみ市などが株主となって引き継ぎ、いすみ鉄道株式会社となった。
運転士になりたかった鉄道マニアが社長に就任
だが、経営は悪化する一方で、2005年、千葉県や沿線自治体の首長を委員とするいすみ鉄道再生会議が設置された。06年には輸送人員が年間50万人と、いすみ鉄道が営業を開始した88年の45%まで落ち込んだという。経営改善に向け、上下分離方式として線路の修繕は沿線自治体が補助。地域住民も協力して再生に取り組み、08~09年を検証期間として、存廃を判断することになった。
改善策の一環として、鉄道関連グッズの販売やファンクラブ設立などが検討され、民間から経営者を登用することが決まった。08年に千葉県のバス会社、平和交通社長だった吉田平氏が同鉄道の社長になったが、09年に千葉県知事選挙出馬のために辞任。同年再公募されて、応募者123人のなかから元ブリティッシュ・エアウェイズ旅客運航部長というキャリアをもつ鳥塚氏が選ばれた。
鳥塚氏は父親が千葉県勝浦市の出身で、幼少のころからいすみ鉄道に何度も乗っており、しかも、子供時代から新幹線の運転士になりたいと思い続けていたという。大学卒業後も国鉄就職をめざす筋金入りだったが、折悪しく国鉄民営化で新卒採用が5年間なくなり、やむを得ず航空会社に入社した。
「運航を統括するマネジャーになり、賃金や労働条件も恵まれていましたが、ちょうど50歳を目前にして新しいことにチャレンジしたいと思っていた矢先に、いすみ鉄道が社長を募集していることを知ったのです」
面接では、単なる交通機関ではなく観光鉄道に刷新し、地域の広告塔になることなどを訴え、前職で輸送や安全管理を統轄してきたことを説明した。
鳥塚社長はもともと自身の鉄道マニアの一面を活かして、副業として全国の鉄道の先頭車両から撮影した映像をDVDとして販売するための会社を1992年に設立。現在までに570タイトルを制作している。夫人とパート1名で運営している小さな会社とはいえ、経理や商品づくり、販促なども経験していた。そのことを再生会議の委員に伝えたのが決め手の一つとなったのだろう、狭き門を突破し、見事に採用となった。
ブランド化戦略でムーミン列車を導入
鳥塚社長は就任後、最初の朝礼で社員たちにこう語りかけたという。
「皆さんは鉄道のプロなのだから、私は運行管理には口を出さない。しかし、1つだけ言っておきたいことがあります。それは、いすみ鉄道をブランド化すること。友達や家族から『よい会社で働いているね』と言われる会社にしたい」
経営再建というと、その多くは人件費を含めたコストの見直しから着手し、人員整理が始まるのが通常だ。社員たちは戦々恐々としていただろう。だが、鳥塚社長は1人もクビにしないと宣言したのである。
「入社してびっくりしたのは、コストカットできないほどギリギリの状況のなか、皆、安い給料でがんばっていたことでした。周囲からは赤字だから会社をつぶせとか、バスに代替すればいいと言われていても、腐らずに懸命に働いていた。それほどチームとして団結していたのです。私が会社の方向性さえ示せれば、皆、まじめに取り組み、一緒に会社を立て直せるだろうと確信しました」
鳥塚社長はブランド化戦略の第一弾として、ムーミンのキャラクターを導入することにした。ターゲットは30~40代の女性。彼女たちに注目してもらうのが最適と考えた。
「ムーミンファンは30代以上の女性が多い。しかも、ムーミンは他人と争いをしない平和の象徴なんです。たとえば、ピカチュウもかわいいのですが、それが登場する『ポケモン』は戦いのゲーム。もう、勝った負けたの時代ではないと思うのです。ムーミン谷と房総の里山の風景はぴったりです」
ちょうどムーミンの版権元の企業に鳥塚社長の友人が在籍していたことも幸いした。版権料は規定の料金を支払っている。
こうして、09年10月からムーミンのキャラクターたちが車両を飾るムーミン列車が走り始めると、それが話題になった。翌10年3月頃になって、春の訪れとともに、土日に観光客がやってくるようになり、狙い通り、30~40代の女性が集まった。母親を連れてきたり、母子三代で訪れる客もあり、久しぶりに鉄道が賑わった。
手応えを得た鳥塚社長は、社員全員にムーミンのキャラクターを覚えるようにと命じたが、中高年の社員は気乗りしない様子だった。ところが、社員が家にキャラクターのパンフレットをもって帰ると、その夫人や娘が興味津々で、孫を連れて、家族で鉄道に乗りにやって来るようになった。社員にとってそれは誇らしい出来事だった。
枕木オーナー制度や車両サポーターを開始
ムーミンの携帯ストラップやキーホルダー、マグカップなどのグッズも開発し、売り出した。いすみ鉄道関連グッズや食品も開発。車両を模した箱に入ったもなかや、「い鉄(てつ)揚げ」という揚げせんべいなどが人気で、土日は飛ぶように売れるという。
レールの下に敷く枕木1本にメッセージと名前を入れる「枕木オーナー制度」も始まり、年間1口5,000円で、全国から支援者が300人集まった。
車両サポーター制度も導入、年会費5,000円で会員証や1日フリー乗車券がもらえる。現在、600人ほどが会員となっている。年会費5万円を支払えば車両オーナーになれる制度もある。60人ほどが車内に名前プレートを掲示している。50万円のプレミアム車両オーナーになると、年に1回、路線を一往復する車両を希望したときに貸し切ることが可能。現在、3人がオーナーになっている。
こうした努力が実り、土日や休日には観光客が集まり、10年4~6月は売店収入が前年の4倍、輸送人員も1.6倍に増えた。沿線の住民や学校の生徒たちも熱心にイベントの手伝いや寄付、枕木オーナーなどの支援活動を行なった。再生委員会ではこうした結果を受け、同年8月に、いすみ鉄道の存続を決定したのだった。
「一言で言えば、ローカル線は素材ビジネスなんです。鉄道は時刻表通りに走るだけで、あとはお客さんが楽しみ方を決める。食事や案内付きの観光ツアーも流行ることもありますが、基本的には私たちは自分で楽しむことのできるお客さんを相手にしています。鉄道として人は連れてくるから、あとは沿線住民たちが町中で食事や娯楽を提供するなど、おもてなしをしてほしいと思っています」
鳥塚社長は観光鉄道をめざしているとはいえ、住民の足としての鉄道が基本であり、町中で住民と競合するようなレストランなど関連ビジネスを展開するつもりはないという。
700万円の自己負担で運転士の訓練生募集
10年3月、いすみ鉄道は驚きの運転士訓練生募集を発表した。訓練費700万円を自己負担し、社会人から運転士を募集する全国初の試みである。
運転士になりたかった鳥塚社長らしいアイデアで、40~50代の男性で、比較的生活にゆとりがあり、かつて運転士になりたかった鉄道マニアが集まると想定した。実は、いすみ鉄道の運転士はJR東日本から出向した50代後半のベテランが多く、近い将来、運転士のなり手がいなくなってしまう事態も起こり得るからだ。しかし、ディーゼルカー免許をもつ運転士はほとんどおらず、集めるのは難しい。経営再建中に若い人材を採用するのも憚られた。
それならば、自分で人生のリスクがとれる中高年男性をターゲットにしてはどうかと考えたのである。ところが、鉄道を管轄する運輸局は前例がないと首を縦に振らない。交渉は半年続いたが結論が出ず、本省(国土交通省)に送られた。鳥塚社長は半ば諦めかけたが、なんと3日後に了承の連絡が届いた。本省ではローカル線の窮状を理解していたのだろう。
募集の結果、一期生は30人応募があり、4人が採用された。意外なことに鉄道マニアは2人だけで、残りの2人は65歳まで安定して働ける仕事をしたいと応募してきた。2年間の訓練期間中、自己負担金の半分が給料として訓練生に支払われ、残りで旧国鉄時代最後のディーゼルカー車両「キハ52」を2台購入した。レトロな同車両はマニアの愛好の的だという。
採用した4人と追加募集した1人は無事、免許を取得し、晴れて同車両を運転している。さらに現在4人が訓練中で、今後も数人募集予定とのこと。この運転士募集は、50歳になっても新たな働き方を選べる、中高年の励みとなる好例として、一時、メディアで話題となった。
累積債務はまだ残っているものの、10年度から単年で黒字に転換。鳥塚社長はいすみ鉄道のブランドをさらに強化し、その力によって首都圏でグッズや土産物の販売、房総沖の魚と鉄道グッズでマニアをもてなす居酒屋といった様々なビジネスを展開して、売上を10億円程度まで拡大する計画だ。
「ローカル線がいらなくなったから捨てるというやり方は間違っています。先輩たちが守り、築き上げてきたこの鉄道をわれわれの代で終わりにせず、次の世代に引き継いでいくのが使命だと思っています。ローカル線には日本の問題が凝縮されている。それを再生し、おカネを生み出す仕組みをつくることにやりがいを感じています」
鳥塚社長の挑戦は、ローカルにとどまらず、日本全体を勇気づけることだろう。
月刊「ニュートップL.」 2013年5月号
吉村克己(ルポライター)
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