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光造形の草分けとして鋳造にも取り組みメイドインジャパンの底力を世界に発信(株式会社ジェイ・エム・シー 社長 渡邊大知)

キラリと光るスモールカンパニー

掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


誰でも自在に立体造形ができるという「3Dプリンター」が注目を集めている。
渡邊大知社長率いるジェイ・エム・シーはいち早く2000年から光造形を使ったものづくりに取り組み始め、現在は3Dプリンターを含めた樹脂の立体成型専門企業として、またアルミニウムやマグネシウムなど非鉄金属の鋳造専門会社として、業界でも高い評価を受けている。

◇    ◇    ◇

紙に印刷するプリンターのように樹脂を薄く積み上げて三次元のオブジェクトを造形する「3Dプリンター」が注目を集めている。

3Dプリンターを使えば、誰でも手軽に工業製品を製造でき、「卓上工場」も夢ではなく、21世紀の産業革命が起きるとする報道もある。

だが、早くから3Dプリンターによる製造や光造形に取り組み、業界の草分けとしてその長所も欠点も知り尽くすジェイ・エム・シー(以下、JMC)の渡邊大知社長(39歳)は冷静に次のように語る。

「3Dプリンターといっても装置は10万円から1億円まで様々で、すべて同じに扱うのはおかしい。この分野の専門でない方々の多くは誤解していると思います。3Dプリンターは思い通りの形を素早くつくることはできますが、加工精度が低い。精密な部品をつくることは不可能で、むしろ小学校の図工の授業に使うのが一番だと僕は思います」(以下、発言は同氏)

産業革命と騒いでいる人からすると、「小学校の授業がふさわしい」というのは理解できないかもしれない。渡邊社長が言いたいのは、ものづくりの楽しさがこれほど体感でき、自由な発想を形にすることができる機械はほかにないということだ。

どんな不思議な形でも、光造形機や3Dプリンターを使って造形できる。その楽しさに触れた子供たちがものづくりに興味を抱き、その中からスティーブ・ジョブズのような人物が出てくることを渡邊社長は願っているのである。

光造形と非鉄鋳造で試作・小ロット生産に対応

JMCは、2000年に光造形機を導入して、本格的に造形サービスを始めた。光造形機は、紫外線を照射すると硬化する特殊な樹脂を使い、紫外線レーザーを当てながら一層ずつ硬化させる。そうして積層していくことで造形する。

複雑な形状や滑らかな曲線などを短時間でつくれるメリットがある反面、樹脂単価が高いため大きなサイズではコストも時間もかかる。精度は100ミリに対して±0.15ミリ程度と、マイクロメートル(0.001ミリ)単位で精度を求められる精密切削加工にはかなわない。

したがって、大量生産を前提とした精密な試作品づくりには不向きで、ラフスケッチやポンチ絵から形を起こしたり、最終製品の形状や部品の組み合わせ状態の確認、あるいは少量多品種の工業生産用に用いられる。

3Dプリンターも同様のメリット・デメリットがあり、光造形のように紫外線レーザーで樹脂を積層する方式やプリンターヘッドから樹脂やノリを吐出し、紫外線ランプで硬化させるインクジェット方式などがある。

JMCはアルミニウムやマグネシウムなど非鉄金属の鋳造も手がけている。木材や樹脂で精密な木型を削り出し、そこから砂型を作製する精密砂型試作鋳造を得意とし、1個からの小ロットに対応する。

鋳物というと古いイメージだが、渡邊社長は「自動車や産業機器業界では非鉄鋳造へのニーズが高い。鋳造はこれから面白くなります」と言う。

JMCでは光造形と鋳造を合体させた「Q-TAC(光造形焼失鋳造法)」という技術を3年かけて開発、特許を出願している。これは、光造形でつくったモデルを木型の代わりにして砂型に埋め、高温で燃焼させてから金属を流し込む工法だ。木型作成が不要になるので、納期を短縮することができる。

365日昼夜稼働で圧倒的な短納期を実現

JMCの昨年度の売上は6億円。光造形と3Dプリンターによる事業が4割、鋳造が6割を占める。光造形でいったん試作してから、アルミ鋳造を依頼する顧客が多いという。

取引先は230~250社で、毎月5件ずつ新規が増えている。業種は自動車の外装・内装品が最も多いが、そのほかは多岐に渡り、歯科、時計・宝飾、文具、パソコン、携帯電話、プリンター、メガネなどだ。ホームページを通じた注文が多い。

「私たちは製造業でありながらサービス業に近い。見積もりは夜でも受け付け、1時間で回答します。他社には真似できません。注文の7割は相見積もりなし。リピート率は8割以上です。注文の量や額でサービスに差はなく、同じ納品スピードと品質で顧客に届けます。したがって、高額の取引でも値引きしません。とはいえ、価格が高いわけではなく、相場より2~3割安い。一般より倍以上のスピードで、安いのですから値引きには応じられないのです」

同社の経常利益率は製造業としては高く、10数%に達する。来期は20%が目標だ。これだけの短納期を実現しているわけは、業務プロセスの分散化と社員の多能工化にある。同社では、業務を細かく分解して、各プロセスの生産効率を上げている。

たとえば、見積もり依頼をメールで受けると、返事を綴る作業と、見積もり額を算出する作業、見積もり書を作成する作業をそれぞれ別の社員が担当して、1人に完結させない。これは「仕事を属人的にしない」という渡邊社長の独特の哲学がベースにある。

頻繁にジョブローテーションを行ない、営業、製造、経理など社員が複数の業務を担当できるように教育している。新しい分野の仕事を次々と任されるため、社員は絶えず「慣れない」し「落ち着かない」が、そうした状態が、社員を活性化すると渡邊社長は考えているのである。

「この仕事はあの人にしかできないとか、職人を超えた神の手というのが嫌いなんです。Aさんしかできないとなると、それがステータス化して、Aさんは人に技術やノウハウを教えず地位を守ろうとする。当社は医療関係の仕事も手がけるので、人によって品質が違う職人仕事では困るのです。安定して平均化された品質や納期を確保するために分散処理が必要でした」

手術・治療の練習用として臓器モデルをつくる新事業

JMCでは、これまでに培った技術を活かして、昨年6月から「モノロイド(monoroid)」というブランド名で医療分野に参入した。これは、臓器や血管、骨などを光造形によって再現した樹脂モデルを母型として、シリコーン製モデルや人体の組織に近い感触をもつ樹脂材料モデルをつくるサービスだ。

たとえば心臓や複雑に湾曲した血管などを再現し、手術や治療の練習用として医療現場で利用される。JMCは直接病院と取引するのではなく、医療機器メーカーに納品している。

「最近では世界的に犬や豚を使った動物実験を控える動きがあり、練習台としてのモデルが必要になっているのです」

モノロイド事業は好評で、利益率も高い。同社の手がける高品質の臓器モデルはほかになく、海外からも注目されている。すでにフランス、シンガポールや韓国などに輸出され、今後はアメリカ市場を狙いたいという。

渡邊社長は1974年生まれ。幼少期は裕福な家庭に育ったが、小学校時代に両親が離婚。以来、父と離ればなれになった。

「中学生くらいになると、おカネは大事だし、成功したいと強く思うようになりました。車や着る物がほしいわけではなく、むしろ消費することにいまも興味がありません。漠然とですが、いつか会社をつくりたいと思っていました」

スポーツが得意で、山梨県下の高校に特待生として進学し、ハンドボールで活躍した。ただ、優等生とはほど遠く、不良まがいに暴れていたという。

高校を卒業すると、プロのスポーツ選手をめざした。周囲と協調しなければならない団体競技は性に合わなかったため、個人競技でプロの道が拓けるボクシングを選んだのである。ファイティング原田氏のジムに通って、食い扶持を稼ぐために植木職人になった。

「植木職人は若くても月40万円ほど稼げるので、友達にうらやましがられましたが、年を重ねても収入が増えないので、私には一生続けるのは難しい仕事でした」と渡邊社長は語るが、ここで職人の世界を体験したことが、後にJMCに入社して仕事を属人的にしないしくみの構築などに活かされたという。

毎日ジムに通ってトレーニングに励み、1年後にはプロデビューを果たす。運動神経には自信をもっていた渡邊社長だったが、プロボクサーの世界は厳しかった。5年間で2勝6敗1分けだった。

「デビュー後に2敗、3敗するようでは大成しない。3連敗したらやめると決めていたし、才能の限界を感じました」

「日本発のものづくり」にこだわる

24歳でボクシングに見切りをつけ、結婚。その前に父親に会いたいと渡邊社長は思い、探すとすぐに居場所がわかった。

「16年ぶりの再会だったので、互いに大いに盛り上がりました。父は損害保険代理店業務を中心とした会社を1人で経営しており、盛り上がった勢いで、その会社を手伝うことになったのです(笑)」

99年、25歳のとき、渡邊社長はJMCに入社。当時、業務のごく一部として外注先にものづくりを委託する仕事をしていた。それが、光造形の研磨作業だった。もともと渡邊社長は保険事業には興味がなかったことから、ものづくりを担当することになり、営業や検品、梱包などを1人で請け負った。そのうち、外注では飽き足らず、内製化することにして、2000年に中小企業支援の助成金を借りて4000万円もする光造形機を購入した。

「当時、光造形を理解している人はほとんどいませんでしたが、面白い技術ですし、いずれ需要も伸びていくに違いないと思ったのです」

渡邊社長はホームページを作成して、光造形サービスを宣伝すると同時に、見込み客にDMを送り続けた。顧客は少しずつ増え、4年後には1億円の売上になった。社員も少しずつ採用し、7人に増えた。

だが、ビジネスが軌道に乗り始めると、渡邊社長と父の亀裂は修復できないところまで広がってしまったという。

「父とは方針が合わず、毎日のように口喧嘩をしていました。結局、父が身を引いて、僕が当社の全株を買い取ることになったのです」

こうして、2004年に渡邊社長は代表に就任した。考え方が合わなかった社員3人が退職したが、JMCは渡邊社長のもとで生まれ変わった。

05年、愛知万博のトヨタグループ館で展示するロボット開発に参加。06年には、たまたま知り合った鋳造会社の3代目と意気投合し、会社を合併。その経営者だった鈴木浩之氏は現在、JMCの専務として鋳造部門を統括している。

渡邊社長は「いいものをつくることが楽しい」と言う。メイドインジャパンの再構築を図りたいと、「いくぞ、メイドインジャパン!」というキャッチフレーズを掲げ、日本発のものづくりにこだわっている。

そのために、製造業に関心をもつ子供たちを育てようと、今秋にはスマートフォンなどからデザインを送って、3Dプリンターで造形するサービスを安価で提供する予定だ。

いまでも「何よりおカネが大事」と言って憚らない渡邊社長だが、その背後には「日本のものづくりを安売りしない」という決意があるに違いない。

月刊「ニュートップL.」 2013年7月号
吉村克己(ルポライター)


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