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従業員の自主性を重んじて「日本一、働きたい会社」をめざす(株式会社ハローディ・社長 加治敬通氏)

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掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


福岡県内を中心に食品スーパーを39店舗展開するハローデイは、18期もの間、増収増益を続けている。
消費不況をはね返す好調は、何が要因なのか。

スーパー業界の総売上高は、消費税率が5%に引き上げられた1997年から昨年まで、14年連続で前年実績を下回り続けている(日本チェーンストア協会調べ)。それだけに、ハローデイの18期連続となる増収増益に注目する関係者は多く、同社がいま「最も視察されているスーパー」であることは間違いない。

福岡県を中心に展開する39店舗のいずれを見ても、店頭のユニークなディスプレイが目につく。ジャングルのように演出されたグレープフルーツ売り場、噴水を思わせる白いオブジェを囲むパスタやワイン、幾何学模様に仕切られた壁にはめ込まれた赤や黄のパプリカ……。

手の込んだ飾り付けや陳列は明らかに他のスーパーとは異なるが、好調の要因は店頭の華やかさだけにあるわけではない。売り場を工夫する従業員の積極的な姿勢にこそ、その本質がある。倒産寸前の苦境から脱して成長路線に転じた加治敬通社長がめざしたのは、従業員が「日本一、働きたい会社」にすることだった。

◇    ◇    ◇

基本的に、ディスプレイはすべて現場のアイデアで工夫されていて、私どもで「パートナー」と呼ぶパート従業員さんの手になるものも少なくありません。どんな売り場に飾るかは自由裁量ですから、本当に面白いですよ。個性的なアイデアがどんどん出てきます。もっとも、ときには「ちょっとやりすぎかな」と思えるディスプレイもありますが(笑)。

お客様に教えてもらった改善のヒント

そもそもの始まりは、ささいなきっかけでした。95年ごろだったと記憶していますが、あるとき、売り場のほうから従業員たちの笑い声が聞こえてきたんです。どなたからかキューピー人形をいただいたとかで、それを店頭に飾ったり、ポーズをつけたりして遊んでいる。実に楽しそうなんです。「そんなに面白いなら、おもちゃ屋さんでいろいろ買ってきて、部門ごとに売り場を飾ってみたらどう? 最優秀部門には昼メシをごちそうするよ」。

そんな成り行きで始まったのですが、いろいろと工夫しているうちに部門間でのコミュニケーションが円滑になり、やがてお客様から「面白い」と褒めていただけるようになって、ますますやる気になります。なにより、楽しいんですね。楽しんで工夫を重ねるうち、私どもの特徴的なディスプレイとして定着しました。

売り場は正直です。つまらないと思って商品を並べても、つまらない売り場にしかなりません。従業員自身も楽しんで、どうやったらお客様に喜んでいただけるかと考えながら売り場をつくると、その前向きな気持ちが伝わるものなんですね。
「やれ」と言われるのではなく、従業員が自発的に「こうしたい」と思ってはじめて、お客様の手が商品に伸びる売り場ができる。ですから、従業員に「働きたい」と思ってもらえる会社にしないといけません。

私がそのことに気づけたのは、逆に「働きたくない」と思われても仕方がないような状態を経験したからでしょう。私が入社したころ、私どもはいつ潰れてもおかしくない状況でした。取引先からは信用を失いかけていましたから、商品が入らなくなることもしばしばで、私どもを見限った社員がパートナーさんを引き連れて他店に移っていったこともありました。悔しかったですね。この時期の経験が、私の原点なのかもしれません。もうこんな悔しい経験はしたくない。潰れない会社にしたい。そのためには、従業員に誇りをもって楽しく働いてもらうしかありません。「日本一、働きたい会社」をめざす限り、会社は潰れないだろうと考えたのでした。

◇    ◇    ◇

加治社長は1964年、旧小倉市に南隣する福岡県苅田町に生まれた。家業はのちにハローデイとなる小売店「かじや」で、現会長の父久典氏が58年の設立以来、およそ30年間で16店舗まで拡大させた。だが、多忙のあまり家族と食事すらできない父の姿に、加治社長はいつしか反発を覚えるようになる。

87年、東京の駒澤大学を卒業すると、他社修業のためスーパーに勤務した。幼いころから、将来は家業を継ぐと信じて疑わず、実際、それ以外に自分の進むべき道はないとわかってはいた。それでもまだ、加治社長は父に対する複雑な感情を否定できずにいたという。

しかし、他社での勤務が3年になろうかという89年、そうした感情的なもつれを氷解させる転機が訪れた。

◇    ◇    ◇

「会社を潰そうと思う」と、父が言うんです。びっくりしました。そんな弱気な父を見たことがなかったからです。

そのころの私どもはまさに倒産寸前で、年商60億円に対してほぼ同額の借入金があり、営業利益は1億円の赤字でした。加えて、当時は金利が高く、利払いだけで6億円近くになります。様々な原因があったと思いますが、最も大きい理由はレストラン経営などの多角化が裏目に出たことでしょうね。さすがの父もお手上げで、もはや倒産するしかないが、16店舗のうち、かろうじて利益の出ている店舗が2つある。赤字の店舗はすべて売却して会社を清算するから、残る2店舗はおまえに任せる、というのです。

それを聞いて、もうどうしようもなく自分を恥じました。結局、私は逃げていただけなんですね。父の考えを知ろうともしないで、勝手な思い込みを募らせていただけだということに気づきました。
それ以来です、覚悟が決まったのは。むしろ父に頭を下げて、スーパーの経営を勉強させてくれと頼み込みました。そして、当面は店舗の売却を見合わせてもらい、その間に私はある店舗の店長となって、その再建に取り組むことになりました。

とはいえ、まだ20代の若造ですから何から始めてよいのかわかりません。まずは近くのスーパーに学ぼうと考えました。品揃えや陳列方法、店舗のレイアウト、接客態度など、繁盛しているスーパーのよいところをそっくりまねようと思ったんです。

そのうち、近所のスーパーから学べるところを学ぶと、こんどは足を伸ばして他地域のスーパーも参考にしました。やがて、それもひと通り済むと、もうめぼしいお手本が手近にありません。ならば、いっそお客様に直接、お尋ねしてみようと、ご来店いただいたお客様からご要望を教えていただくようになりました。

すると、実に様々なヒントをいただきました。たとえば、お菓子売り場でお年を召した女性が何か考えていらしたので、話をうかがってみると、あるお菓子を買おうかどうか迷っておられる。大好きなお菓子なんだけれど、独り暮らしなので1袋は食べきれないというわけです。
なるほど、と思いました。お客様の声に耳を傾ければ、私どもには想像もできなかったニーズが隠されている。翌日、10個入りのそのお菓子をばらして1個ずつお売りするようにしたところ、こちらが恐縮するくらい喜んでいただけました。

そうして毎日、必死で新しいことに取り組みました。とにかく、学べることは何でも取り入れて、生まれ変わらないといけない。1年が経ったとき、おかげさまでその店舗は8,000万円の純利益を計上していました。その後、遊休地などを整理して、どうにか借入金は20数億円にまで圧縮できました。そして、売上は40億円、営業利益は黒赤ほぼトントン。ようやくスタートラインに立てました。

思い上がりをたしなめてくれた一言

消費者の声を積極的に取り入れると、業績は徐々に上向き始めた。やがて、運転資金に悩まされることもなくなった92年、250万円をかけて店舗を改装したところ、評判となって一段と繁盛しはじめた。以来、現在まで、新規出店も含めた新装・改装の回数は100回におよぶ。
同時に、そのころから増収増益を重ねることになるが、その過程も決して平坦ではなかった。

◇    ◇    ◇

お恥ずかしい話ですが、業績が回復し始めると私一人の手柄だと勘違いするんですね。もちろん、お客様のご要望や他のスーパーから得たヒントのおかげとわかってはいるけれど、気持ちのどこかに傲慢さがあったのでしょう。
従業員は思うように動いてくれないし、私と同じレベルで悩みを共有してくれる相談相手もいない。経営者とは孤独だと、あるとき年長の経営者に漏らしたんです。

すると、その方にえらく叱られました。そうして君は周囲を指差して非難しているが、そのときの自分の手をよく見てみなさい、と。人差し指を誰かに向けると、親指以外の3本は自分を向くわけです。他人の欠点を指摘するとき、実は自分にもその3倍は欠点があることを忘れてはいけない。そんな自分にも、手を差し伸べてくれる方がいる。倒産しそうな会社でも一緒に働いてくれた従業員、商品を納めてくださる取引先、商品を買ってくださるお客様。そうした存在を忘れて、自分一人が手柄も悩みもすべてを背負い込んでいると考え違いをしていないか――。

この日はずっと、涙が止まりませんでした。

振り返ってみると、私どもはずいぶん変わりました。20年前には潰れかけていたのに、結果として18期連続増収増益という望外の実績を残すことができ、19期目も達成できそうです。売り場も従業員も、すべてが変わったのでしょう。

しかし、一番変わったのは私かもしれません。以前なら、店頭で欠品を見つけると担当者を叱りつけたものですが、「昨日はたくさん売れたんやなと、まずは感謝できるようになりました。そのうえで、「でも、今日も品切れしていたらお客様に申し訳ないよな」と言える。

ときには感情的になることも、従業員を厳しく叱ることもあります。でも、よいことも悪いことも、ありがたいと思える。そうして感謝できること自体、ありがたいことですね。

月刊「ニュートップL.」 2011年3月号
編集部


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