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航空宇宙、自動車などの機械部品を摩擦から守る固体潤滑剤のトップメーカー(株式会社川邑研究所・社長 川邑正広氏)

キラリと光るスモールカンパニー

掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


あらゆる機械部品には摩擦が生じるため、滑らかに機械を動かす潤滑剤が不可欠だ。
とくに過酷な使用環境では、グリスや油などを補完する鉱物など固体の潤滑剤が使われる。

固体皮膜潤滑剤の分野で従業員30人ながら高い技術力を有する川邑研究所は、その第一人者として日本の航空宇宙や自動車、光学機器産業などを支えてきた。小惑星探査機「はやぶさ」の成功にも貢献している。

◇    ◇    ◇

精密機械や部品そのものを扱うわけではないが、1980年代半ばに始まった純国産ロケット「H‐IIロケット」以降、日本の宇宙開発に関わり、貢献してきた企業が、東京・目黒区に本社を置く川邑研究所である。
同社は機械部品の摩擦を軽減し、滑らかに動かす固体皮膜潤滑剤における日本の第一人者だ。固体皮膜潤滑剤は、グリスや油などの潤滑剤だけでは通用しない高面圧、高温、超低温、真空などの過酷な環境で使われ、部品表面に塗料のように塗布することで潤滑機能を発揮する。

グリスや油などの潤滑油は、高い荷重などで油膜が切れると、機械同士の〝かじり〞が発生して故障を起こしやすいが、固体皮膜潤滑剤は固体の膜をつくるため、かじりが起きにくい。

真空の宇宙空間では潤滑油が蒸発してしまうため、外部に露出する可動部分では固体皮膜潤滑剤が必須である。

同社の川邑正広社長(49歳)は、次のように語る。

「潤滑剤としての寿命はグリスのほうが圧倒的に長いので、あくまでも流体潤滑が主役ですが、固体潤滑剤はグリスの不得意な分野を補完するものです。当社に仕事を依頼されるお客様は製品開発などで困っていることが多く、当社はその問題を解決する〝処方薬〞を調合し提供しているようなもの。ですので、同業大手と比べると生産する潤滑剤はわずかな量です。とくに宇宙関係では大きな利益を上げることはありません。ただ、難しい仕事に挑戦させてもらえるのはありがたく、やりがいがありますね」(以下、発言は同氏)

小惑星・イトカワの微粒子を持ち帰った探査機「はやぶさ」の開発にも協力し、2010年には、その貢献に対して大手企業や大学などの研究機関とともに宇宙開発担当大臣感謝状を授与されている。

自動車の小型化を実現する影の立役者

固体皮膜潤滑剤を製造するメーカーは大手系列もあるが、彼らはいうなれば〝市販薬〞づくりが主体で、汎用性の高い標準品を販売している。

一方、川邑研究所はオーダーメイドの注文生産が中心で、顧客の要望に応じて特注の潤滑剤を〝処方〞する。もちろん、長年の経験から用途や金属材料ごとに自社標準品も備えており、それらが適合するケースもあれば、微調整、あるいは配合をゼロから設計することも多い。

固体皮膜潤滑剤として最も身近なものは、調理の際に焦げ付きを抑えるために施されるフライパンなどのテフロン加工だ。

「固体潤滑剤の材料として一般的に使われるのは、天然鉱石の二硫化モリブデンと、黒鉛とも呼ばれるグラファイトです。当社では、おもに二硫化モリブデンを用いますが、その粉末を樹脂や溶剤に溶かして塗布したり、メッキに含んで表面に付着させるんです」

機械部品表面に固着させることで潤滑剤として機能するのだが、固着方法や材料の配合には様々なノウハウがあり、その蓄積が同社の強みになっている。

二硫化モリブデンやグラファイトの分子は積層構造になっており、縦方向の力には強いが、横方向の力が加わると、積み重ねたトランプがスルッとずれるように滑り、潤滑作用をもたらす。その応用範囲は広く、自動車、光学機器、精密機器、家電からプラント、発電所、航空宇宙といった重工産業でも利用されている。自動車ではミッションギア関係やエンジン内部にあるピストンなど、こすれ合う摺動部品に対して用いられる。

「以前はグリスを使うことが多かったのですが、自動車の小型化が進み、部品の単位面積当たりの荷重である面圧が高まり、固体被膜潤滑剤が必要になっているのです。いまでは大半の自動車メーカーの部品に採用されています」

直接の取引先は、自動車部品の表面処理メーカーだが、新規車種の開発段階から同社の潤滑剤が組み込まれて設計される。自動車が高速で走行中に、急にエアコンのスイッチをオンにするといった過酷な使用場面でも、大きな摩擦負荷に耐えるため、固体被膜潤滑剤が活躍しているという。

「いわば、性能を保証する〝保険〞として、耐久性を上げるために当社の潤滑剤を選んでいただくケースもあります。グリスで車内を汚さないように固体被膜潤滑剤を使いたいという理由もあるようです」

一眼レフカメラの海外進出を支えた

新規車種の開発では、最終的な耐久テストとして砂漠地帯の長時間走行などの段階で設計上の性能が出ず、同社に駆け込む自動車メーカーもある。発売スケジュールなどが決まっているなか、設計変更をしている余裕はない。固体被膜潤滑剤を使うことで問題が解決できるか一週間以内に結論をほしい、という緊急の依頼もある。

「そうしたときはピンポイントで潤滑剤を調合し、試します。ある程度、直感でやるわけですが、必ず何らかの成果を出さないといけません。綱渡りも多いですが、それができるのも長年、固体皮膜潤滑剤を手がけてきた当社の強みですね」

H‐IIロケットの開発に参加したときも、いろいろな固体皮膜潤滑剤を試したが、最終的には初めに提示した潤滑剤が一番ふさわしかったという。経験をベースにした直感は勘ではなく、ノウハウなのだろう。

川邑研究所の固体被膜潤滑剤を世に知らしめ、同社が成長するきっかけをつくったのが一眼レフカメラである。1950年代半ば、国内のカメラメーカーが海外進出を始めたとき問題となったのがメンテナンスだった。それまでは、シャッター羽根とズームレンズの鏡胴には薄く潤滑油が塗られていたが、くっついて動かなくなってしまう故障が起こりやすかったのだ。そこで、潤滑油から固体被膜潤滑剤に替えたところ、故障が激減した。「50年以上経ったいまでも同じものが使われています。カメラメーカーにはとても感謝されました」と川邑社長はうれしそうに語る。

このほか、エアコンのコンプレッサー内部に組み込まれているシャフトや、プラントのバルブ部品、発電所のタービン、免震構造の柱を支える土台などにも同社の潤滑剤が使われる。つまり、使用頻度が高い、高熱や危険な化学物質を扱う、高面圧な環境など、過酷な状況こそ固体被膜潤滑剤の出番なのだ。

貴金属の選鉱・製錬から出発した100年企業

固体被膜潤滑剤メーカーは、ドイツや米国にもあるが日本企業の競争力は高く、とくに特注品をつくる同社と競合するような企業はない。「絶えず自分自身との戦い」と川邑社長は言う。海外の日系メーカーなどに多く輸出し、売上高海外比率は現在、50%を超える。

08年のリーマン・ショック後は売上が落ち、半年間は赤字に陥ったが、その後は業績を回復し、いまは以前の水準まで復調している。従業員30人で、昨年度の売上高は10億円に達している。

川邑研究所は、1911(明治44)年の創業、100年の歴史をもつ長寿企業だ。

創業者で川邑社長の祖父である春松氏は、高知の出身。東京物理学校(現東京理科大学)に在学中、知人の依頼で当時、入手困難になっていた靴墨を開発して売り出すなど「町の発明家」の顔をもっていたという。

自らモーターを手づくりし、粉をつくる粉砕機も開発。貴金属の選鉱・製錬の研究をおもな業務とするようになった。

「祖父は私が高校一年生のときに他界しましたが、厳格な明治の男で、近寄りがたい怖さがありました。ただ、困っている人に頼まれると弱い質で、問題を引き受けては解決し、喜んでもらうのが楽しみという人だった。顔が広く、祖父が築いた人脈のおかげで、いまでも仕事が舞い込むことがあるんです」

第二次世界大戦が始まると、当時の大蔵省の依頼を受け、同社内に造幣局目黒研究室を設置した。金や銀を増産するための選鉱・製錬を研究していたが、その過程で金に含まれる不純物を取り除く必要性から二硫化モリブデンの特性も研究し、潤滑剤として優れていることを知る。だが、当時は潤滑剤としての利用は考えていなかった。

海軍の技術研究所からも委託を受け、電波機器などの研究も行なったという。当時、同社の敷地を海軍に無償で貸していたが、防空壕を掘る際にガス管が邪魔だから切断するという海軍に対して、「ガス管の先に住む住民が困るようなことは許さない」と春松氏が大げんかし、結局、ガス管の下に防空壕を掘らせたという逸話が残っている。軍にもおもねらない気骨があったのだろう。

終戦後の食糧難の時代には、長期航海に出る船乗りが栄養補給できるよう、大豆の製粉化に取り組むなど、同社は一貫して粉砕技術を軸にしている。

固体潤滑剤の世界に踏み込むきっかけは、二代目社長で現相談役の川邑社長の父・正男氏がもたらした。出征していた正男氏が抑留されていたシベリアから戻ると、戦友が自動車部品を扱う仕事を始めていた。「輸入した部品の潤滑の不具合を直すことができない」とその戦友がこぼすのをたまたま耳にした正男氏が、二硫化モリブデンから潤滑剤ができるのではないかと思いつき、春松氏と一緒に開発を始めたのだ。

以降、固体潤滑剤の研究やビジネス化は正男氏が中心になって進めてきた。

それまでに培った金の製錬技術で、純度の高い二硫化モリブデンを精製していたことで特性の優れた固体潤滑剤の開発に成功。だが、仕事は単発でまとまった受注は少なかった。

躍進のきっかけとなったのが、前述した一眼レフカメラへの採用である。50年代半ばから業績が伸び、59年には固体被膜潤滑剤の研究開発に重点を置くようになった。自動車の普及が本格化すると、エンジンなどに固体被膜潤滑剤が使われるようになった。近年、自動車の小型化によって高面圧への対応の必要性が増し、さらに採用率が高まっている。

潤滑に関する専門家が集まった総合力が強み

三代目である川邑正広社長は、大学の専攻は化学だが、博士号を機械工学で取得した。固体被膜潤滑剤は化学と機械工学がベースとなるので、メカニックに関する知識もなければ、効果的な潤滑の方法も理解できないからだ。

摩擦や潤滑に関する学問領域は「トライボロジー」と呼ばれるが、化学、機械はもちろん、物理学、熱力学、流体力学、金属・セラミックなどの材料科学から電機・電子工学まで広い範囲の知識が求められる。

同社の従業員30人のうち技術者は20人。その顔ぶれは多彩だ。トライボロジー出身者をはじめ、金属、材料、化学、電気など各分野の専門家が集まっている。開発、施工、評価、製造などの部門にそれぞれ配属されているが、組織は縦割りではなくフラットで、リーダーや管理職はいない。案件に応じて必要な人が自然に主導し、関係者が相談しながら仕事を進めていくのだという。

「当社はベテランが多く、各人の裁量に任せている部分が大きい。組織立っておらず、会議を開くことも稀ですが、そのぶん、皆が率先して動くので結論は早いですよ。営業もいません。お客様の困りごとを解決し、喜んでもらうという祖父の人柄が原点で、いまでもそれが強く残っているんです。困っているお客様がいると、皆、俄然力が入るようで、採算抜きで手がけてしまうこともしばしば(笑)」

案件に対してどの潤滑剤が適しているかをスクリーニングし、試験する評価の仕事も大切だが、同社ではその評価試験用の機械も手作りする。必要なものは自作していた春松氏の精神は、こうしたところにも生きているのだろう。

月刊「ニュートップL.」 2012年2月号
吉村克己(ルポライター)


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