ブランド確立に精魂傾けたもう一人の創業者ソニー・大賀典雄
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ソニーの創業者といえば、誰もが井深大、盛田昭夫を挙げるだろう。だが、この人もまた創業者の一人だったという思いが今は深い。社長としては5代目だが、嘱託社員ながら創業間もなくからのメンバーであり、その存在感は大きく強烈で、井深、盛田に次ぐ印象を社内外に与えていた。さる4月23日に亡くなった大賀典雄である。
「ソニーの主要な製品開発で、私がまったく関わっていないのは『ウォークマン』だけ」という本人の言葉が、存在感の大きさを象徴しているだろう。今日、日本企業では最も強力とされる「ソニーブランド」も、この人の芸術的センスと一貫したブランドに関する認識がないと確立されなかった。
「お前なんか辞めてしまえ」
筆者が大賀と最後に会ったのは、出井伸之に社長の座を譲って3年ほどした98年秋のことだった。80年代後半、大賀の主導で「ハードとソフト」の両輪経営を目指し、結果、巨額の借入金で苦しむことになったソニーが、ゲーム機「プレイステーション」、パソコン「VAIO」などを相次いで発売、「ソニーの復活」が賑やかに叫ばれていた時期だった。
その時期を捉え、筆者は編集プロデューサーとして、ソニー広報マンだった旧知の若手作家を起用して、ある夕刊紙にソニーに関する連載ドキュメントを仕掛けたのである。連載は好評裡に進んだが、やはり大賀や出井に直接取材しないと迫力が出ない。ソニー広報と様々に遣り取りして、大賀とのインタビューが実現したのである。
大賀は1930年静岡県生まれ。長じて東京芸大で声楽を専攻、バリトン歌手を目指してドイツに留学したという経営者としては異色の経歴をもつ。芸大卒業と同時に、井深に薦められてソニー(当時・東京通信工業)の嘱託社員となっている。帰国間もなく、盛田の「二足のわらじを履けばいい」という言葉に乗せられてソニーに入社、いつの間にかビジネスの世界にどっぷり漬かることになる。
大賀は昔風に言えば六尺近い大男で、体重もピーク時は二十貫を優に超えていた。中途半端が嫌いで、企画説明などで気に入らないと、その社員に向かって「お前なんか辞めてしまえ」と言うのが口癖だったと聞く。
浜松の大きな材木商の子息で、芸大に入学すると東京両国に一軒家を買い与えられたというから、苦労知らずであるとともに怖いもの知らずだった。しかも日本人離れしたバタ臭い風貌をしており、そんな上司からバリトン歌手の声量で「お前なんか辞めてしまえ」と言われれば誰でも気が滅入ってしまう。温厚な井深、愛嬌のある盛田と違い、社員はもとよりマスコミ関係者から大賀がちょっと距離をもたれたのは当然と言っていいだろう。筆者も、事改めてインタビューしたいと思うことはそれまでなかった。
しかし会ってみると、案に相違した。大賀は実に率直に、そして明確にこちら側の質問に答えてくれた。2人の創業者のこと、自分のこと、そしてソニーの経営のことなどなど。何といっても興味深かったのは、当時、14人抜きと報じられて話題となった、末席常務出井伸之の抜擢の一件だった。
まず大賀はソニーの社長の条件とでもいうものについて、こう述べた。
「何といってもリーダーシップ。これがなければ、どうしようもない。それから言語明瞭でないといけない」。
日本人経営者によく見られる、禅問答のような何を言っているかわからないようでは困るというわけだ。
「同時に国際企業であるから、語学に強く国際性があること。加えて、そのときどきのカレント技術に対する嗅覚をもっていることです。あとは若くて、ある年数をトップとして組織を引っ張っていける人でないといけない」
こうした選択基準から、大賀は、1937年生まれで当時57歳だった出井を自らの後継社長に据えたのである。とは言うものの、大賀に迷いがなかったわけではないらしい。93年秋に病気で倒れた盛田には、別に意中の役員がいた節があったからである。しかし大賀は自分の判断基準に基づき出井を選ぶと以後は微動だにしなかった。
現在の窮状をどう思う…
いま改めて振り返ってみると、先にあげた条件に加えて、ソニーブランドを確立するために精魂傾けた大賀には、広報宣伝やマーケティングに精通する出井こそ適任だという確信があったのであろう。書き手の元ソニー広報マンは、大賀も出井も鼻っ柱が強く、人を人とも思わないところがある。大賀はそこを買ったのかもしれないと、当時、言っていた。
確かに方針が揺れ動く経営者は組織にとって害悪以外の何物でもない。しかし余りにもかたくなで、第三者の意見を聞かない経営者は唯我独尊に陥る。出井丸は船出こそ極めて順調だったが、後半は唯我独尊の嫌いが無きにしも非ずで、解任同然にして会長の座を追われた。
そしていま、ソニーはネットワークサービスから、一億人を超す個人情報が流出したと報じられている。出井の後を受けたハワード・ストリンガーCEO兼社長体制にもほころびが見え始めている。出井にしても、ストリンガーにしても、大賀の指摘する「そのときどきのカレント技術に対する嗅覚」がいささか欠けていたのではなかろうか。たとえば出井は、「トリニトロン」に拘泥するあまり、液晶TVへの対応を誤り、ストリンガーはネットワークビジネスにおけるガードシステムの重要性を見逃した。
大賀は、いまのソニーの窮状を泉下で、どういう思いで見ているのだろうか。「お前なんか辞めてしまえ」と毒づいているかもしれない。
月刊「ニュートップL.」 2011年6月号
清丸惠三郎(ジャーナリスト)
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