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手づくりにこだわり帽子の楽しみを伝えたい(株式会社マキシン・社長 渡邊百合氏)

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掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


「神戸系ファッション」の老舗マキシンは、いまも職人の手作業で婦人帽子を製作し続ける。そのこだわりの原点は、どこにあるのか。

旧居留地と北野の異人館地区を南北に結ぶ「トアロード」は神戸のなかでも最も神戸らしい界隈の1つで、訪れる観光客も多い。その独特な雰囲気は、ゆるやかな坂道を挟んで建ち並ぶ各店舗の個性が、長い時間のなかで見出した調和がもたらすのだろうか。婦人帽子専門業マキシンの瀟酒な本店も、街並みに印象的な彩りを添える。

同社は1940年創業の老舗で、渡邊百合社長は3代目に当たる。上品でシックな「神戸系ファッション」に数えられる同社の帽子は、皇太子妃時代の皇后陛下をはじめ、現皇太子妃殿下や秋篠宮妃殿下もご着用になったという。また、オリンピックの日本選手団や各種博覧会コンパニオンの制帽も製作。航空会社、鉄道会社、ホテル、百貨店の他、警察庁、東京消防庁にも制帽製作の実績をもつ。

◇    ◇    ◇

私どもの帽子は、基本的に手づくりです。1階が店舗になっている本店の上階に工房がありまして、シャプリエと呼ばれる帽子職人が毎日50~100個ほど製作しております。

いまどき非効率なのかもしれませんが、すべての工程を機械でつくるようになったらマキシンの帽子ではなくなってしまう。そんな気持ちでいまも職人の手づくりにこだわるのは、何より被り心地のよさを大切にしたいからなんです。

たとえば、デザインが気に入って靴を買い求めたのに、サイズが窮屈なせいでほとんど履かなかったといった経験は、どなたにも思い当たることでしょう。逆に、足にフィットして疲れにくかったりすると、どんなときにも履きたくなってしまうもの。同じことが、帽子にも言えます。いくらデザインが魅力的でも、被っていて頭に違和感を覚えるようでは、長くご愛用いただけません。被っていると髪に同化してしまうような感覚の帽子こそ、理想的な帽子と考えています。

夫の急逝で3代目社長に就任

私どもには、これまで70年以上にわたって受け継いできた木型が1000個ほどあります。この木型に、蒸気を当てながら生地をなじませて帽子を成形するわけですが、その過程で職人によって施される微妙な加減が、帽子を被ったときのフィット感や頭との当たり具合に影響するんですね。また、縫製についても昔ながらの動力ミシンで1つひとつ仕上げますので、見た目の美しさはもちろん、長くご愛用いただけるだけの丈夫さも備わります。

ただ、そうして手づくりにこだわっていると、事業の飛躍は難しいのかもしれません。でも、創業者も2代目も、売上のみを追うようなことはありませんでした。事業の拡大より、自分の目の届く範囲で経営することのほうが大切だと考えていたんですね。
そんなふうに言うと、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、本当のところはもっと単純で、義父も夫も自分が納得できないような帽子はつくりたくなかっただけだと思います。売上はもちろん大切なのですけれど、それはあくまで「よい帽子」をつくり続ける延長線上に得られるものだと考えていたはずです。ですから、マキシンという社名を選んだのでしょう。これは、「最高」「最上」を意味するラテン語に由来しています。

創業者が社名に託した帽子づくりの自負とこだわりは、なんとしても次の世代につないでいきたい。社長に就任して以来、それだけは忘れないようにと、常に戒めてきました。

◇    ◇    ◇

渡邊社長は、中堅総合商社に勤務する商社マンの家庭に生まれた。地元神戸の大学を卒業したのち、語学力を活かして70年に開催された大阪万博でエスコートガイドのサブリーダーを務める。そして、万博閉幕の2か月後、創業者利武(としたけ)氏の長男浩康(ひろやす)氏と結婚。72年には札幌オリンピックでチーフコンパニオンの大役を果たし、その後は2女の出産を経て、育児に専念した。

夫浩康氏は84年、利武氏の死去にともない2代目を継いだ。同年のロサンゼルスオリンピックで初めて日本選手団の制帽製作を受注し、88年のソウルオリンピックでも引き続き制帽の製作を担った。だが、92年に51歳の若さ闘うで急逝。香港出張中の急性心筋梗塞であったという。

当時の渡邊社長は、化粧品輸入業を始めた実家の母を手伝っていて専業主婦ではなかったものの、マキシンの経営にはいっさい関わりがなかった。帽子についても素人同然だったが、他人に経営を押し付けるわけにはいかない。大混乱のなか、亡夫の跡を引き継いだ。

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2代目が亡くなったのは4月2日で、翌日には帰国する予定だったんです。元気な人でしたから、誰も想像できなかったと思います。事件性がないことを現地の警察に説明したり、伝染病の疑いがないことを医師に証明してもらったり、帰国に必要な手続きは勝手のわからないことばかりでしたが、多くの方にお力添えいただいたおかげで、どうにか4日の深夜、夫を連れて帰ることができました。
それからお通夜とお葬式を済ませて、役所に届けを出して、銀行や保険の手続きをしているうち、毎月10日の決済日がきます。25日には従業員にお給料を払わないといけない。悲しむ暇もないというより、夫が亡くなったという事実を受け止める余裕がありませんでした。

そうしたなかでも覚悟を決めたのは、お通夜の晩でしたでしょうか。結局、そうするより他に現実的な選択肢がなかったんです。あれこれ悩んでいる時間はありませんから、とにかく私がお引き受けするしかない。そして、お引き受けする以上は、自分にできる限り精一杯のことをしようと思いました。

しかしながら、経営者として具体的に何をどうすればよいのか見当もつきません。どなたかに教わるものでもありませんから当然なのですが、ふと1人だけ、それを教えてくれる人がいることに気づきました。といいますのも、夫は生前、仕事の話をいろいろと聞かせてくれていたんですね。もちろん、込み入った仕事の話はありませんでしたが、その日はどなたにお会いしたとか、この時期はどんな仕事で忙しいとか、日常における断片的な話は聞かせてくれていたんです。

そうした記憶を探りながら、様々な会議の議事録を引っ張りだしてきて、夫がどんなことを話していたのかをたどりました。そうして私の記憶と議事録を突き合わせるうち、おぼろげながら私のなかに「あるべき姿」が浮かび上がってきたような気がします。

また、夫から聞いていた話は、私がお取引先などへご挨拶にうかがうときにも役立ったんです。もちろん、ほとんどの方が初対面なのですが、お名前だけは耳にしていた方もいらっしゃったものですから、たとえ初対面でもまったく存じ上げない方とは思えないんですね。もともと人様とお会いするのが苦にならない性分ではありましたけれど、おかげでずいぶん気持ちが楽になれました。

そうした経験もあって、いまそれぞれ取締役として私を助けてくれている娘たちには、些細なことも話すように心がけています。そして、社外の方とお目にかかるときには同席させるようにもして、私の役割や仕事の経緯なども理解させるように努めています。

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同社の帽子づくりは、業界でも有数のシャプリエによって牽引されてきた。その一人が常任顧問でもある山口巌(いわお)氏で、97年には神戸市によって「神戸マイスター」の認定を受けた。08年には兵庫県技能顕功賞を受賞。53年の入社以来、製作した帽子は10万個を超える。

また、オートクチュールを専門とするモディスト(デザイナー兼モードアドバイザー)の大平(おおだいら)千鶴子氏は09年、フランスで開催されたサマーハットフェスティバルにおいて特別賞を受賞。翌年には同フェスティバルで総合第1位に輝いた。いずれも、帽子業界においては世界的な評価といわれている。

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おかげさまで山口や大平のように社外からも高い評価をいただく者がいると、他の社員にはよい刺激になって、全社的な技術のレベルも上がっていくと思います。しかし、私どもの帽子が何か特定の色に染まってしまってもいけないと思うんです。コンサバティブな帽子もあれば、芸術性を追求した帽子もあっていい。「マキシンに行けば、どんな帽子でもある」と言っていただけるくらいでないと、私どものような規模の会社は生き残っていけないと考えています。

一方で、伝統的なマキシンらしさも失わずに同居させないといけません。「どんな帽子でもある」メーカーでありながら、決して「何でもあり」ではない。その兼ね合いは、お客様に教えていただくしかないのかもしれません。売り場からの情報を注意深く検討して、読み解くわけです。

誰にも必ず似合う帽子がある

たとえば、様々な種類の帽子が並んでいるなかで、ある帽子が売れたとします。数字だけを見ていると単に「1」でしかありませんが、それがどう売れたかが大切なんですね。長い間、店頭に飾っていてようやく売れたのか、店頭に出てすぐに売れたのかでは大きく違う。欲しい帽子の代わりにお求めいただいたのかもしれませんし、2個買いたかったけれど在庫がなかったための1個かもしれない。そういった事情を現場の担当者からできるだけ聞き集めるように心がけているんです。

帽子は、服や靴のように不可欠の商品ではありませんから、なじみのない方にとっては「食わず嫌い」な面もあって、ご自分には似合わないと思い込んでいる方も少なくないようです。でも、どなたにも必ずお似合いになる帽子があります。

似合わないと思っている方は、まだ似合う帽子に出会っていないだけなんですね。その出会いをお手伝いするのが私どもの仕事だと思うんです。帽子の可能性を追求して、1人でも多くの方に帽子を被る楽しみをお伝えしていきたいと思います。

月刊「ニュートップL.」 2011年5月号
編集部


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