理想の農業を追い求めひたすら走り続ける「サイボクハム」笹崎父子
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農業の復権が叫ばれて久しい。しかし政治の混迷、農業政策の一貫性のなさにより、農業人口は減るばかりである。食料自給率も主要先進国の中では最低レベルに落ち込んでいる。東日本大震災以降、円は売られてきており、今後、円高局面が円安に転じれば、食料確保はさらに難しいことになる可能性は高い。
そうした危機感からか、国際競争力を持った農業への積極的取り組みが目に付くようになってきたが、その先駆的試みとして、国内のみならず海外からも多くの人たちが研修や視察に訪れる種畜牧場が埼玉県にある。日高市にあるサイボクハム(埼玉種畜牧場)がそれだ。
サイボクハムは「農業のディズニーランド」などと呼ばれ、県内有数の集客力を誇り、年間380万を超える人たちが訪れている。本社の敷地はおよそ10万平方メートル(3万坪)。狭山丘陵の木々に囲まれて、レストランやカフェテリア、ミートショップ、農産物直売所、温泉施設、パークゴルフ場、それに自社牧場で育てた豚肉を用いたハム・ソーセージ工場や本社施設が敷地内に建てられている。いまの季節は桜が見事だ。
サイボクハム会長の笹崎龍雄は、1916年長野県生まれで、今年95歳ながらかくしゃくたるもので、この会社のモットーである「健体康心」の見本とも言うべき存在である。
優れた豚にこだわって
旧制東京高等農林(現・東京農工大学)を出て陸軍獣医士官となった龍雄は、フィリピン戦線から九死に一生を得て帰還すると、「帰国して祖国のために尽くせ」という山下奉文司令官の遺命を胸に、この地に種畜牧場、つまり種乳牛、種豚、種鶏の育種改良と繁殖を目的にした牧場を開く。その後、「日本人は豚をバカにするが、ご飯と良い豚肉こそが日本人を健康にする。頭脳をもよくする」と考え、育種の対象を豚にしぼる。
50年ころまでは、食うや食わずといった状況が続くが、本業の傍ら書き続けてきた著述『養豚大成』が、50余版、全世界で300万部も売れる大ロングセラーとなり、窮境を脱する。
龍雄はこの印税を元手に、日本で初めてイギリスからランドレース種豚を、ついでアメリカからハンプシャー種豚とデュロック種豚を原種豚として輸入、生産した子豚を種豚として全国に頒布した。
いずれも従来は輸出禁止だった折り紙つきの血統の種豚である。こののち、サイボクハムの種豚は全国の生産農家から引っ張りだことなる。優れた豚にこだわったのは、龍雄の本物に関する認識とかかわっている。
「いわゆる真・善・美は、認識論上の真と、倫理上の善と、審美上の美からなり、人類の求める理想形を指す。食品も豚も、この3つが備わってこそ本物だと言えるんです」
種豚生産から始まったサイボクのビジネスは、75年に新たな展開を見せる。獣医学部を出て4年前に入社した現社長の静雄が、父親の龍雄に「小売りをやろう」と提案したのだ。当時、半径1キロ内に農家が70軒ばかり点在しているだけの、超のつく田舎である。龍雄も慎重で、9回目の提案でようやく頷いたほどだった。
静雄は友人の牧場で1年あまりを精肉などの勉強に費やしたのち、6坪の店をオープンした。初日の売上げは2000円だったが、明日への希望につながる数字だった。
サイボクでは46年の創業から現在までの成長の軌跡を4つの時代に区切り、「草創期」を経てこの75年から96年までを「ミートピア構想」の時代と位置づけている。肉のユートピアを目指そうということだが、精肉の小売りを始めたのを皮切りに、79年には静雄が本場ドイツでハム・ソーセージの製造法を学んで帰国、ハム・ソーセージの生産、販売までの一貫体制を確立した。
「世界一」を提供し続ける
創業50周年を迎えたころに、龍雄の頭の中に生まれたのが「アグリトピア構想」。これからの農業は1次・2次産業、さらには流通までを統合した第4次産業化、つまり「食の一貫経営」を確立しなければならないとの考えに至ったのだ。
具体的には、より優れたハム・ソーセージ、加工品を製造していこうということで、97年にオランダ、99年からドイツの国際的食肉関連の競技会に参加、相次いで金メダルを受賞する。有名なDLG(ドイツ農業協会)主催のコンペティションではこれまで12年連続金メダルを受賞、金メダル総数は695個にも上る。流通面では、この時期、龍雄の下で学んで全国に散った農業青年や、サイボクの豚舎から生まれた有機肥料を使う農家が生産する減農薬、無農薬の野菜や米、花卉類を売る「楽農ひろば」をつくった。理想の農業の輪を全国に広げ、かつ肉関係以外へ手を広げようということでもある。
21世紀に入り、新たに打ち出したのが「ライフトピア構想」。これからのサイボクハムは生活文化のオアシスでなければならず、第5次産業とも言うべき「アメニティ農業」へと創造的に脱皮しなければならないと考えた。「農業のディズニーランド」を目指そうとしたのである。そこでまず牧場内にパークゴルフ場や安らぎ広場をつくり、04年には日帰り温泉施設「まきばの湯」を開業した。
龍雄の結節点ごとに描いた構想はいま年間380万人を集客し、安全で安心できる肉や加工品の供給は、自給率40%を切ろうとする日本の農業にひとつの希望を与えている。静雄は龍雄の描いた道をひた走りつつ、消費者に安全・安心、それにおいしさを含め「世界一のもの」を提供し続けたいと語る。それは日本の農業の生きる道でもある。
月刊「ニュートップL.」 2011年5月号
清丸惠三郎(ジャーナリスト)
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