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高い目的意識と職人の力で不可能とされたチタン瓦を開発(株式会社カナメ・社長 渡部 渉氏)

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掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


都内最古の寺院・浅草寺が改修工事を終え、屋根にチタン瓦を葺いたことで注目されている。
素材の欠点を克服し、不可能とされたチタン瓦を開発したカナメの渡部渉社長は、どんな思いで挑戦を成功させたのか。

飛鳥時代の628年に縁起が遡さかのぼるという浅草寺(台東区)の本堂と宝蔵門は、いま屋根にチタン瓦を乗せている。同寺は、有名な雷門をくぐって両側に商店が並ぶ仲見世をゆくと、2階建ての宝蔵門を経て本堂に至る。2007年に宝蔵門の屋根がチタン瓦になり、昨年11月末、本堂の屋根もチタン瓦に変わった。本ほん瓦かわらぶ葺きの屋根を全面的にチタン瓦に変えた大寺院は、他にない。しかし、屋根の重厚な質感は歴史的大伽藍の偉容を損なってはいない。

軽量でありながら強度や耐久性・耐蝕性に優れたチタンは、メンテナンスが不要なため屋根材にも利用されてきたが、従来は屋根面を平坦に葺く「平葺き」にしか用いられなかった。チタンはスプリングバックと呼ばれる復元力が強く、プレス加工を施すのが困難とされたからだ。

渡部渉社長のもと、カナメは5年間におよぶ試行錯誤を重ねて、土瓦の独特な形状をチタンで再現することに成功した。

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浅草寺様の宝蔵門の改修が終わったころ、ある瓦の業界組合から10人ほど視察に来られたそうですが、どなたも金属瓦と気づかず、あとでチタン瓦と聞いて驚かれたといいます。実際、私自身もたびたび様子を見に行きましたが、いまだにあれが金属瓦だとは信じられません(笑)。

そもそもチタンは土瓦の色に似た灰色の金属ですが、私どものチタン瓦には独自の彩色と表面加工が施してあって、にぶく底光りするような「いぶし瓦」の光沢を再現しています。しかも、宝蔵門の場合は色合いが微妙に異なる2種類、本堂では3種類の瓦をランダムに配することで、土瓦ならではの焼きムラを表現しました。その重厚で荘厳なたたずまいを見上げるたび、いまでも様々な感慨を覚えるのですが、正直なところ、達成感よりもどうにかみなさんにご迷惑をかけずに済んだ、という安堵感のほうが強いように思います。

想像以上の難物だったチタンの復元力

チタン瓦ができるまで、社寺建築における金属屋根の主流は銅瓦でした。ところが、いわゆる酸性雨によって腐蝕が進むケースが見られるようになり、多くの社寺から対策を求める声が寄せられました。そこで、銅に代わる新たな素材としてチタンに着目したわけです。2001年ごろでした。

チタンは高価な金属素材ですが、ご承知のように航空機材や人工骨にも利用されるほど耐久性が高く、いったん施工すればメンテナンスいらずで半永久的にご利用いただけます。さらに、チタンは軽量なので、建物にかかる負担も少なくて済む。チタン瓦の重さは土瓦の13分の1です。浅草寺様の場合は特殊な瓦や施工が必要でしたが、それでも従来の5分の1に軽減されました。

このように、長期的に見たコスト面を考慮しても、また劣化した瓦が屋根から落下するような事故があると大変ですから、参拝客の安全を配慮しても、チタン瓦のメリットは大きい。浅草寺様から私どもに声をかけていただけたのは、そうした理由からでした。

ところが、実はまだそのとき、チタン瓦は完成していなかったのです。厚さ0.3mmのチタン板をプレス加工して瓦の形状をつくるのですが、スプリングバックが解消できず、いくら金型をつくり変えてもシワや「切れ」が生じてしまう。部分的に縒れてしまったり、先端部分が裂けてしまったりするのです。

そうした困難は、もちろんわかっていました。それでもチタン瓦に挑んだのは、素材メーカーさんの技術革新が進んで、加工しやすいチタン板が供給されるようになっていたからです。簡単ではないけれど、私どもで培った技術力なら、なんとか実現できると踏んだのでした。ところが、実際に加工してみると想像以上の難物で、なかなか結果が出ない。そうこうしているうちに完成予定日は近づいてきますから、日々、焦りが深まるばかりです。ご迷惑をかけるわけにはいかないという気持ちで、必死に改良に努めました。

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2006年6月から1年間の工期が予定された浅草寺宝蔵門改修工事では、2層にわたる屋根の面積は約1080m2におよび、約4万枚の瓦を葺き替えることになっていた。

1964年の再建以来、42年を経て、その屋根は大きな破損こそ認められないものの傷みと汚れがひどく、一部には割れた瓦が落下した形跡もあった。高さは、雷門の約2倍にあたる22.7m。都内有数の観光スポットとして、工事期間中も通常の参拝環境を維持しなければならず、立入禁止区域は設定できない。

参拝客の安全を確保するためにも、チタン瓦には屋根の上での作業時間を可能な限り短縮できるような構造上の工夫も求められた。

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途中、何回も行き詰まりました。そのたび、形状の変更によってシワや「切れ」を防ぐことも考えたのですが、そうすると段付き本瓦葺きという荘厳な大伽藍のたたずまいが失われかねません。

伝統的な瓦葺きの形状だけは、どうしても譲れない一線でした。それに、完成まであと一歩、というところまでこぎ着けていましたから、あと一歩が難しいのだけれど、そこであきらめたら5年近い努力がムダになってしまう。

考え得る形状や加工方法は、すべて試したと思います。いったい、どれくらいの金型をつくったでしょうね。

そうして、ようやくスプリングバックを抑える金型にたどり着いたわけですが、できてみればちょっとした工夫のようでも、やはりそれだけの試行錯誤を経たから見えた解決の糸口でしょう。

また、素材メーカーさんの協力も決め手の一つでした。ご努力いただいて、従来のものより柔らかいチタン材を提供していただけたんです。金型の設計と素材のどちらが欠けても、チタン瓦は実現できなかったと思います。

現場加工を最小限に抑えるための新たな工法は、厚生労働省認定「現代の名工」でもある私どもの技術顧問が中心となって確立させました。要は、チタン瓦の両側に溝をつけて隣り合う瓦と噛み合わせ、スライドさせて組み付けるようにしたんです。それによって、現場で職人がチタンを叩いたり延ばしたりする板金加工の手間が省けることになりました。チタン瓦という最新の技術と伝統の技がうまく融合できたと自負しています。

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渡部社長は1946年、喜多方市で建築板金業を営む家庭に生まれた。中学卒業後、家業を継ぐべく父要氏のもとで働き始めたが、雪深い冬は仕事がないため宮城県仙台市の同業で働いた。ちなみに、現社名は父の名前に由来する。

そうした生活を6年間、続けるなかで屋根工事の技術を磨くと、やがて丁寧で素早い仕事ぶりが顧客の間で評判となり、積極的な営業活動も奏功して、業容は拡大していった。さらに、屋根職人が増えると能力給を導入して作業効率の向上を図り、事業は成長軌道に乗った。

その後、78年には業界初となる和風金属瓦を開発し、自社工場での生産に乗り出す。また、同年には神社仏閣など古典建築研究部門を発足させ、90年には屋根工事だけでなく寺院の新築工事にも参入を果たした。社寺建築の屋根改修・施工の受注件数は、95年ごろから連続して日本一となっており、累計3200件を超える。

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自分でも不思議なくらい、お客様とのご縁に恵まれて、次から次へとお仕事をいただいてきました。目標をもって努力していると、ありがたい巡り合わせが数珠つなぎに広がっていくんですね。私がこの仕事を始めたころの目標は、10年後に喜多方市で一番の会社になることでした。

中学2年生のときでしたか、親父に呼ばれて将来、跡を継いでくれと言われたんですが、子供心にも感心したのは、「おまえが継いでくれたら、10年後には喜多方で一番になる」と言うんですね。私は、地元の信用金庫への借金が返せず、行員さんに頭を下げる母の姿を見ていました。親父は借金の額も月々の収入もすべて教えてくれたので、家業がどのような状況にあるか、だいたい想像がつきます。法人でさえない小さな家業です。それでも悲観的な話をせず、後継者である私が将来に希望をもてるよう、夢を与えてくれたんです。

親父はさらに、15年後には福島県で一番になって、20年後には東北六県で一番になると言うんです。中学生ながら、「よし、やってやろう」と思わないではいられませんでした。

意識を高めれば新事業の種も見える

そうして目的意識が明確になると、身の回りも違ったふうに見えてきます。いまでもよく幹部社員に言うのですが、たとえば小さな食堂に入っても、ただ「うまかったなあ」って満足しているようでは学びがない。

なぜ、その食堂はおいしい食事を提供できるのか。その店の従業員は何人で、時給はどれくらいなのか。立地と坪数から想像すると家賃はどれくらいで、客回転がどれくらいで、すると利益はどれくらい見込める……と、常に意識を高めていれば、周囲に様々なヒントを見出すことができる。そういう目線と思考を習慣づけると、必ず精度が上がるんです。

同様に、自分の現場でそういう意識を働かす。いくらでも見えてきますよ、何気ない日常のなかの改善点が。そして、新たな事業の種も見えてきます。
私どもの事業の変遷はまさにそうした意識の積み重ねで、一般住宅の屋根工事に始まり、茅葺き屋根の改修も手がけ、ゴルフ場や公共工事などの大型施設の改修にも取り組みました。やがて、社寺の改修から新築にも進出して、近ごろは環境問題をテーマに、屋根と太陽光発電が一体化した「PVウェーブパネル」を開発しました。

ただ漫然と目の前の仕事をこなすだけだと、身の回りに転がっているヒントが見えなかったと思います。
もちろん、新たな挑戦を続けるなかには失敗もありました。でも、挑戦の結果としての失敗は怖くない。むしろ挑戦しない企業風土こそ怖れるべきでしょうね。

月刊「ニュートップL.」 2011年2月号
編集部


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