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倒産した家業の技術を引き継ぎ、潰れない「紙ダル」を生み出す(株式会社TAMU・社長 田村克彦氏)

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掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


一見、想像もできないが、TAMUの「紙ダル」は300キロの荷重にも潰れない強度をもつ。
たった6名で開発に成功した同社の強さは、どこにあるのか。

2005年に初めて愛媛県優良リサイクル製品に認定されたTAMUの「和樽」は木製の樽を模した紙箱で、重量は木樽に比べてはるかに軽いが、木樽以上の強度をもっている。

たとえば、直径23.5センチ、高さ6.7センチの製品は、愛媛県工業技術センターによって圧縮降伏荷重331キロという試験結果を得た。
その重量の負荷がかかっても箱が潰れないということで、実際、体重100キロの人間が箱の上で飛び跳ねてもへこみさえしない。
この「和樽」をはじめとする同社の「紙ダル」シリーズは、いずれも300キロ程度の負荷に耐える。

開発されたのは03年で、当時、田村克彦社長と妻の明美専務の他、従業員はわずかに4名。
だが、紙器製造会社で30年前後の職歴をもつベテランばかりであった。
熟練の技術力が「紙ダル」のアイデアを生み、その信じがたい強度を実現した。

◇    ◇    ◇

(田村社長)
ほとんどの紙には、製造工程で繊維が一定の方向に送り出されるため「目」があります。
いわば繊維の向きが目となっているわけで、それと平行方向には強度が弱く、垂直方向に強い。
紙目に沿って力が加わると破れやすく、直角方向から力を加えると破れにくいんですね。

私どもの「紙ダル」は、2枚の紙を貼り合わせて強度を高めているのですが、そのとき紙目が交差するように合紙するのが第一の工夫です。
さらに、円筒状になった側面の上下の縁を丸くカール加工するのが工夫の2点目で、それによって縁に加わる圧力を分散させることができました。

どちらも単純なアイデアですが、実際に加工するとなると簡単でない。
紙は「生き物」といわれるほど湿度に敏感ですから、合紙する場合も、その日の天候などを考慮しないと、あとになってズレやシワができてしまいます。
貼り合わす部分を美しく仕上げるには、紙の伸縮を計算してミリ単位の調整を加える必要があるんです。

生真面目さを見込まれ、市役所職員から転身

また、カール加工についても同様で、加工部分に90~100度の熱と圧力を加えて曲げるわけですが、やはり湿度などに応じた微妙な加減が不可欠です。
しかも、工程に手間がかかるためコスト面のハードルが高かったのですが、私どもでは機械メーカーさんと共同で専用の機械を開発し、工程を削減してコストを抑えることができました。
木箱に比べると、コストは半分くらいで済みます。

その他、「紙ダル」には冷凍冷蔵耐性もあります。
加えて、紙コップのような下細りの形状のため積み重ねて保管でき、在庫スペースをとらないこともあって、洋菓子や果物、弁当やおせち料理など、おかげさまで幅広い用途にご利用いただいています。

しかしながら、地方都市の零細企業ですから知名度も人手も足りなくて、当初はなかなか販路が広がりませんでした。
もっとも、いまも17名と小所帯ですから、販路開拓が最大の課題であることに変わりはありません。

いまでこそ「紙ダル」関連の売上が3割を超えるまで拡大しましたが、創業してしばらくは通常の紙箱で食いつなぐような状況でした。
2年くらいのち、ご縁をいただいた兵庫県の高級洋菓子店「ツマガリ」様に採用され、創業5年目でようやく黒字化できたというのが実情です。

創業を後悔するようなことはありませんでしたが、正直なところ、われながらずいぶん冒険したものだと思わないでもありませんでした(笑)。

◇    ◇    ◇

田村社長は1953年、愛媛県生まれ。

76年、広島大学を卒業して松山市役所に勤務した。
農林水産課や年金課、監査委員事務局などを経験し、90年末、主任の肩書で退職。
義父の急逝によって、紙器製造会社の4代目を継いだ義兄を補佐するためだった。
82年に結婚した妻の明美専務は、創業者の曾孫に当たる。

1年間は現場で働いて知識や技術の習得に努め、翌年から総務全般の責任者となった。
零細企業の多い紙器業界にあって、従業員120名の家業は有数の中堅企業だったが、不況の影響もあって経営状態は徐々に悪化。
やがて、経営方針をめぐって義兄と意見が対立するようになり、97年、退職を余儀なくされた。
当時、44歳。

その後、職に恵まれず4回の転職を経て、ある病院の事務長に落ち着いたが、03年、再び転機が訪れる。

家業の倒産であった。

負債総額は約17億円。
創業90年の伝統の火は、絶えたかに見えた。

客観的に見れば、経営者の親族とはいえ家業を離れて6年間、紙器業界と無縁に過ごした田村夫妻に家業への義理はない。
だが、倒産から3か月後、わずかな自己資金と友人・知人からの借入れでTAMUを創業した。
田村社長の50歳での挑戦に、老舗を支えた4人のベテラン職人が加わり、消えかけた火は再び灯された。

◇    ◇    ◇

(田村社長)
市役所には15年近く勤めたものですから、義兄のもとで働くようになったときには勝手の違いに戸惑うことも少なくありませんでした。
しかも、紙についてはまったくの素人でしたが、公務員らしい生真面目さが見込まれたのでしょう。

元従業員と挑戦した「マイナスからの再出発」

ただ、実際に働き始めると、自分でも意外なほど紙器製造の現場を心地よく感じました。
大学では食品工業を勉強していたので、市役所で年金を担当するより適性があったのかもしれません(笑)。
現場といっても見習い程度の仕事しかできませんでしたが、このときの経験が家業への愛着になり、のちの創業へとつながったように思います。

創業を決意した理由はいろいろありますが、最も大きかったのはやはり「仕事を続けたい」という従業員の気持ちに動かされたことでしょうね。
そう言うと、義侠心で火中の栗を拾ったように聞こえますが、そんなに格好のいい話じゃなくて、彼らの意欲と技術が倒産によって行き場をなくすのが惜しかったんです。
若い従業員は再就職の見込みもありますが、中高年の転職が厳しいことは、私自身が身にしみて感じていました。
家業を離れたとき、もう二度と紙器製造の世界には戻るまいと決めたつもりでしたが、再び挑戦したいという気持ちがどこかにあったのかもしれません。

もちろん、すべての従業員に再び働く場を提供できればよかったのですが、現実的には難しい。
再就職のあてはなくても「新しい紙器をつくってみたい」と訴えてくれた一部の従業員に声をかけ、結果として6名での再出発になったのでした。

とはいえ、倒産した家業と同じフィールドで勝負するのですから、環境はより厳しくなります。
しかも、一時は家業の役員でもあった私が元従業員とともに仕事を始めるわけで、倒産によってご迷惑をおかけした取引先の方々から見れば、私どもに対する不信感は当然のものだと思います。
そうした意味で、マイナスからのスタートである現実を痛感させられることもたびたびありました。

◇    ◇    ◇

家業と取引のあった近隣の企業への営業活動は、創業の挨拶であり謝罪行脚ともなったが、理解を示してくれた企業も多くはすでに他社との取引を始めていた。
結果として新規開拓が営業の中心となり、現在では売上の5割ほどを県外との取引が占める。
営業を主に担ってきたのは、かつて田村社長が紙器業界から離れていたころ、司会業で家計を支えた経験のある明美専務だった。

創業当初は中古の加工機械が1台しかなく、売上も立たず苦しいなかで「紙ダル」の開発に取り組んだが、熟練の職人たちが以前から研究を重ねていたこともあって3か月後、製品化のメドが立った。
専用の機械の開発によってコスト面の課題をクリアすることができたのは、創業から10か月後のことである。

紙の性質を知り尽くした熟練技と創造性で完成した「紙ダル」は、家業の倒産を徹底的に分析した田村社長の基本方針を体現した製品でもあった。

◇    ◇    ◇

(田村社長)
紙器の需要自体が減り続けるなかで、大手企業は機械化を進めてコストを抑え、価格競争が厳しくなりました。
この流れは、いまも基本的には変わりません。
それに対抗すべく、義兄も設備投資に取り組んだのですが、結果的にはそれが裏目に出てしまいました。

再び潰れることだけは絶対にできませんから、私は小さくても強い会社であらねばならないと考えました。
そのためには、当然ではありますが、他社に追随されにくい付加価値を生み出す必要がある。
汎用品の大量生産ではなく、お客様のご要望を実現する小ロットの特殊な製品を志向すべきなんですね。

まさに零細企業の定石ですが、そう考えた末にたどり着いたのが「環境」というテーマでした。
「紙ダル」を開発したころには、すでに環境問題への取り組みが企業の使命であるといった認識が定着しつつありましたが、実際には「環境問題ではお金にならない」という雰囲気もあったように思います。

ですが、紙器業界に身を置いていながら環境問題を軽視する手はない。
遠からず、プラスチックや木の容器から紙器へ切り替わっていくはずで、むしろそうなるべきだと感じました。
プラスチックや木の容器と勝負できる強度やコスト、意匠性などを実現すれば、ビジネスチャンスは必ずある。
すべてが紙でできた「紙ダル」は、そういう考えから生まれました。

ですが、資金面にも人材面にも乏しい現状は、恥ずかしながら、道半ばどころかようやくスタートラインに立てた程度でしかありません。
「紙ダル」の用途もいっそう拡大させて、少しでも環境問題の解決に貢献できれば、私どもの存在意義もあるだろうと思います。

月刊「ニュートップL.」 2011年4月号
編集部


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