十勝産小麦100%のパンで地産地消のすばらしさを伝えたい(株式会社満寿屋商店・社長 杉山 雅則氏)
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父の代から地産地消に取り組んできた「ますやパン」の杉山雅則社長は、2009年にオープンした店舗「麦音」で十勝産小麦を100%使用したパンづくりを実現した。杉山社長が、そのこだわりを語る。
実は、わが国でパンの原料となる小麦は大部分が外国産で、国産小麦が占める割合は1%にも満たない。日本めん用の63%、菓子用の22%と比べても、パン用小麦の国産比率は極端に低い。パンに適した品種が少ないうえ、収量や栽培しやすさなどの点で日本めん用などの国産小麦に劣っていたからだ。
帯広市を中心に6店舗を展開し、地元で「ますやパン」と呼ばれ親しまれてきた満寿屋(ますや)商店の杉山雅則社長は、地産地消を追求し、十勝産小麦100%のパンづくりに挑戦。2代目の父健治氏以来、小麦粉の安定的な入手ルートの確保やブレンド割合の研究など、20年近い試行錯誤を経て、2009年にオープンした店舗「麦音(むぎおと)」で、全商品100アイテムの100%十勝産小麦使用を実現した。さらに、他の店舗でも十勝産小麦の使用に努め、現在、全店舗の使用率は約85%。ことし中には、100%を達成する見込みという。
そうした取り組みが評価され、10年に北海道が主催する「第3回いってみたいお店北海道表彰」大賞を受賞。11年度には、杉山社長が農林水産省から「地産地消の仕事人」に選定された。
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十勝平野は国内最大の畑作地帯で、小麦についても、全国の作付面積の約4分の1が集中しています。他の作物に比べて、小麦は機械化された大規模農業に適しているからなんですね。十勝には大規模農家が多くて、農家の1軒あたりの耕作面積は、平均40ヘクタールを超えるといわれています。
ところが、遠く太平洋を越えて、1万キロ以上も離れた国から輸入した小麦を使ってパンをつくっています。目の前に大きな小麦畑が広がっていて、ご近所の農家が懸命に育てた小麦があるのに、わざわざ外国産を使わなければいけないなんて、おかしいですよね。父も私も、そんな素朴な疑問を原点にして、地産地消に取り組んできました。
ただ、パンの場合、その原料についての関心は、決して高くはありませんでした。小麦は製粉してから口にするので、ごはんと違って、農作物としての姿が想像しづらいからかもしれません。
また、パンは食文化としての歴史が浅く、日本人が本格的にパンを食べるようになったのは戦後です。食糧難の時代に粉食が奨励されて、アメリカから大量の小麦が入ってきました。ですから、そもそも日本のパン業界は海外から輸入した小麦を前提として始まったわけです。そのあたりにも、産地への関心の低さの理由があったのかもしれません。
でも、いまやパンは日本人の食卓に欠かせない主食になりました。1世帯あたりの支出額で見ると、パンに使う金額は米を上回っているんですね。食糧自給率を高める意味でも、日本人が食べるパンには、日本で収穫された小麦がもっと使われていいと思うんです。地元で収穫された原料を使うのが、食文化の基本だからです。
たとえば、いわゆるフランスパンは細長い形状ですが、あれはフランスで伝統的に栽培されてきた小麦にグルテンがあまり含まれていないからなんです。日本めん用の品種に似て、食パンほどには膨らまないんですね。ですから、できるだけ表面積が大きくなるように、ああいう形状のパンがつくられるようになったといわれています。輸入小麦からスタートした日本とは事情がまったく異なりますが、地産地消の意義を考えるとき、フランスの小麦とパンの関係は、示唆深いと思います。
十勝に住む人が地元の価値を知らない
私どもでは、ことし中に全店舗で十勝産小麦の使用率100%を実現する見込みです。北海道農業研究センターが開発に成功した「ゆめちから」という品種のおかげです。95年以来、13年がかりで誕生した待望の新品種なんです。
いままでパンづくりに欠かせない強力粉はカナダ産の高品質銘柄に依存せざるを得ませんでしたが、これによって、国産でもグルテンを多く含む「超強力粉」が、ことしからようやく出回ることになりました。今後、「ゆめちから」の収穫量が増えれば、100%国産小麦のパンがつくりやすくなると思います。
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満寿屋商店は、1950年、杉山社長の祖父健一氏が創業。その母の名である「マス」に、世相を反映して「おなかが満たされ幸せになるように」との願いが込められた屋号という。82年、杉山社長の父健治氏が2代目を継ぎ、5年後には支店「ボヌールマスヤ」を開店。全国で初めて北海道産パン用小麦「ハルユタカ」を使用したパンを販売した。
小麦農家や製粉業者の協力を得て、地産地消への取り組みは軌道に乗り始めたが、92年に健治氏が急逝。杉山社長の母で現会長の輝子氏が3代目を継いだ。輝子氏も地産地消への取り組みを受け継ぐ一方、地元密着型店舗を志向して積極的な出店を進め、帯広市内の他、隣接する芽室町や音更町に計5店舗を展開。07年、長男の杉山社長に交代し、会長に就任した。
杉山社長は、76年生まれ。帯広柏葉高校卒業後、航空工学への興味から第一工業大学に進学。だが、食品関係のアルバイトを通じてパン職人への関心が強まり、卒業後の99年、アメリカ製パン科学研究所(AIB)に留学。2000年に帰国し、東京で製粉会社に就職した。02年、満寿屋商店に入社。東京営業所長として勤務したのち、04年、帰郷して専務に就任。3年後、4代目社長を継いだ。
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家業に入社して帰郷したとき、高校を卒業して北海道を離れてから、ちょうど10年が経っていました。その間、鹿児島、アメリカのカンザス州、そして東京と移り住むなかで、地元を客観的に見ることができたのでしょうね。帰郷してみると、十勝のよい面が目につきました。そして、あらためて十勝ブランドのすばらしさに思い至りました。
ところが、残念なことに、地元の人たちはその魅力に気づいていないように感じました。観光資源としての価値はともかく、地元の人が豊かな生活を実現するための価値です。それは、満員電車に乗らずに済むということであり、広い土地に安く住めるということでもあります。ですが、何といっても農作物や畜産物、そして海産物も豊富な環境は、十勝の最大の魅力であり、他の地域では味わえないオンリーワンの価値だと思います。
しかしながら、十勝に住む人が十勝ならではの恵みを享受しきれていない。私は、家業を通じて、そういう矛盾を解消したいと考えました。そして、構想から5年後に実現できたのが、「麦音」という店舗なんです。
石窯を使った出前教室で子供の食育に取り組む
この「麦音」は敷地面積が約8000平方メートルで、敷地内には広い庭と小麦畑もあります。単独のベーカリーとしては、おそらく日本で一番広いと思います。店舗の屋上には風車が設置されていて、それが風を受けると、その力が石臼に伝わって十勝産の小麦粉を挽きます。そして、それを用いたパンを焼く石窯では、地元の木材ペレットが燃料になっています。
店舗にはカフェスペースが併設されていて、その場で焼きたてのパンを召し上がっていただけます。オープンテラスの目の前の畑では「ハルユタカ」が栽培されていて、帯広農業高校の生徒さんが授業の一環として、それを育ててくれているんです。そして、収穫後には「ばんえい競馬」を引退したばん馬に畑を耕してもらうイベントも開催しています。
おかげさまで、「麦音」には平日でおよそ700人、休日には1200人くらいのお客様にご来店いただいています。イベントなどがあると、多いときには2000人以上ものお客様がお見えになりました。
あくまで統計上の数字ですが、十勝の人口は約35万人で、パンの市場規模は40億円くらいなんですね。そのうち、製造小売のベーカリーの売上は13億円程度なのですが、私どもの年商は約9億円です。それほど地元のみなさんにご利用いただいているわけですから、私どもが十勝産の小麦にこだわるのは、むしろ当然の責務と自負しています。
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十勝産小麦の利用とともに、杉山社長は子供の「食育」にも力を入れている。「麦音」でのパン教室の他、杉山社長が軽トラックに石窯を積んで地元の小中学校などに出向く出前教室も開催。基本的にはボランティアで、05年に始めると間もなく評判となり、地元の行政を通じて依頼を受けるようになった。
当初は杉山社長が一人で担当していたが、対応しきれなくなったため、昨年は専門のスタッフを配置。昨年の開催実績は85回で、延べ参加人数は5800人を超えたという。
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ピザ教室は、まず小麦粉をこねることから始めます。でも、小麦粉に水と塩を加えてこねていても、子供にとっては粘土遊びと同じなんでしょうね。食べ物をつくっているという意識はうかがえません。そして、生地をピザの形に整えて、好きな野菜を載せる。ここまでは、粘土遊びの延長です。
ところが、それを窯に入れてピザが焼き上がると、本当に子供の顔つきが変わるんですね。自分がこねくり回していた生地が食べ物に変わるという驚きは、大人が考える以上の衝撃なのかもしれません。そして、それを食べてみると、当然ながら、おいしい。なかには、生涯、忘れがたい記憶として、その経験を心にとどめる子供もいるでしょう。
地元の食材を味わう幸福とか、おいしいものを食べる楽しさを知れば、人生は間違いなく豊かになります。そして、食べ物にまつわる楽しい思い出は、「食」についての健全な価値観にもつながるのではないでしょうか。おおげさに聞こえるかもしれませんが、いま、そうした価値観をもつ子供を育てなければ、日本の農業はいつか、成り立たなくなるような気がしています。
売上にも利益にも直接、結びつくわけではないので、出前教室は私の道楽みたいなものです(笑)。
でも、10年単位で将来を考えたとき、その意義は決して小さくないと思う。今後も、できるだけ多くの子供がよい思い出をつくるお手伝いをしていきたいですね。
月刊「ニュートップL.」 2012年8月号
編集部
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