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「おしぼり」文化を世界中に広める温冷蔵機器専門メーカー(タイジ株式会社・社長 堀江裕明氏)

キラリと光るスモールカンパニー

掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


飲食店などで出されるおしぼりは、いまでは当たり前のサービスの一つであるが、かつては高級料亭・旅館における特別なものだった。1964年に小型で安価な電気タオル蒸し器を開発したタイジがおしぼりサービスを一般化した。「温める」「冷やす」機器に関して独創的な商品群の開発・販売を手がける同社は、おしぼりを海外にも広める専門メーカーに成長している。

◇    ◇    ◇

日本独自のおもてなし文化である、おしぼりサービスがいま世界中に広まりつつある。欧米のみならずインド、東南アジア、中国、韓国、さらにはドバイ、エジプト、南アフリカ、ケニアなどの高級ホテルでも見られるようになっているという。

海外では和食・鮨などの飲食店よりも、むしろ美容・エステ業界で普及しており、汗や汚れを拭きとったり、マッサージを施すときに利用されている。

世界に向けておしぼりを広める立役者が川崎市川崎区に本社を置くタイジである。同社は現在、50か国以上に電気タオル蒸し器「ホットキャビ」や「クールキャビ」などを輸出。商社を通さない直接貿易が8割に達し、海外売上高比率は2割を占める。社員数50名ほどの規模では珍しいほど海外進出に成功している企業だ。

同社の堀江裕明社長(52歳)は次のように語る。

「飲食店においておしぼりを使う習慣は日本独自のもので、海外では美容業界で予想以上に普及していますね。回収・洗浄した衛生的なおしぼりを再度、提供する貸しおしぼり業者も欧米で増え、最近では東南アジアでも市場が広がっているんです」(以下、発言は同氏)

タイジはタオル蒸し器だけでなく、日本酒を自動的にお燗(かん)する酒燗器も製造しており、海外で日本酒の消費が伸びるなか、酒燗器の輸出も増加。今後、ますます和食が普及すると、酒燗器のニーズも高まるだろう。

国内でおしぼりサービスが始まったのは昭和30年代後半と言われている。高度経済成長期に、高級料亭や旅館の特別サービスとして温かいタオルが提供された。当時はおしぼりをお湯につけて絞ったり、蒸気で蒸すため、手間がかかった。

同社創業者である故・本間泰治会長は、妻の実家が傘の販売店だったことから、その外商として傘や繊維製品の販売を手がけていた。おしぼり用タオルも扱うようになり、今後、おしぼりサービスが広く普及すると読んで、専用の蒸し器の研究に取り組んだという。

昭和39(1964)年に安価で小型の電気タオル蒸し器「ホットキャビ」を開発し、同時にタイジを設立。本間会長の読みは的中して最盛期には年間3万台を出荷し、7~8億円を売り上げた。75年には全自動酒燗器も開発し、蒸し器と酒燗器の二本柱で安定した売上を上げるようになっていった。

娘婿として入社し経営改革に取り組む

だが、70年代後半に始まったオイルショックで一時的に受注が低迷。同社はアッセンブリーメーカーとして製造部門をもっていたが、合理化のため社外に製造委託するようになった。

一方で、いち早く海外進出に取り組み、87年には米国にホットキャビの輸出を開始。当時は商社を通した間接貿易が8割を占めており、利ざやを抜かれ、顧客の情報やニーズをつかむこともできなかった。

国内市場では競合会社が7社ほどに増えていたが、同社はシェアトップではなかったものの、品質のよさとブランド力を強みに大きく売上を落とすことはなかった。そのため市場開拓や製品開発・改良に注力することはなかったという。

90年代に入ってバブルが崩壊。気づけば市場規模は半減していた。ペーパータオルが普及し始め、コストダウンのためにおしぼりサービスを止める店が増えていたのだ。タオル蒸し器や酒燗器はその性能で他社製品との明確な差別化を図るのが難しい。同社製品は品質が評価されていたとはいえ、値下げ競争に巻き込まれていった。

経営が傾くなか、創業メンバーだった本間会長の従兄が同社を去り、タオル蒸し器の製造・販売会社を立ち上げ、同社の技術者や生産管理の専門家のほとんどが従兄の会社に移っていった。開発メーカーであるべき同社に技術者がいなくなるという異常事態となった。

そんな事件が起きた直後の94年、本間会長の娘婿として堀江社長が入社。金融機関の営業として活躍していた堀江社長は中小企業への入社に不安を感じていたものの、もともとモノづくりに興味を抱いていた。

「経営状態を分析してみると、価格競争が災いして年々利益が下がっていました。人材採用もしておらず社員の平均年齢は46歳ぐらいで組織が高齢化しており、新製品開発にも取り組んでいなかった。危機感がなく、世の中の環境変化についていってなかったんです」

34歳で入社した堀江社長は約4年間、会社をじっくりと観察し、事業についての勉強を重ね、98年に常務に昇進すると大なたを振るい始めた。

まず営業に値引き販売の禁止を命じた。堀江社長が考案した「カルテシステム」を導入して製品の納品先と使用目的をすべて確認、記録し、メンテナンスや部品交換の時期を顧客に提案するようにした。同時にメンテナンスやアフターサービスの充実とスピードアップに努めた。

当時、同社は自社製品を活かして3店のレストランやビアホールを経営していたが、いずれも赤字に陥っていた。堀江社長は思い切って閉鎖し、社員の配置転換や降格人事も実行。店舗を任されていた古参社員は反発し、処遇に納得のいかない数名が同社を去ったが、幸いなことに大番頭格の社員が改革を支持し、バックアップしてくれた。本間会長には「勝手なことをするな」と怒られたが、このままでは倒産すると押し切った。

「義父や古参社員にとっては荒っぽく見えたかもしれませんが、私としては直すべきところを直せば会社はよくなると確信していたんです」

負の部分を整理し終えると、前向きな改革に移った。苦しいなかでも技術系の人材を中途採用し、新卒採用も始めた。

製造については複数の協力会社に委託していたため、使用する部品がバラバラでコストアップの要因となっていた。設計を統一して部品を共通化するとともに商品ラインナップの見直しにも取り組み、製造コストを削減する一方、サイズや色のバリエーションを増加。パステルカラーや木目調などデザインを重視し、商品の独自性、差別化に力を入れ始めた。

海外の美容業界でタオル蒸し器が普及

飲食店中心だった取引先も、新規開拓によって美容・エステ業界、病院、介護・福祉施設などの分野に広げていった。

ただし、飲食店ではビニール袋入りのおしぼりが一般的だが、美容や医療、介護などではスタッフが利用者や患者の顔や身体を拭くために使うので、濡れたタオルをそのまま蒸し器に入れることで、蒸し器内で発生する蒸気量が多くなり、故障を引き起こしやすくなる。そのため、より耐久性の高い蒸し器に改良する研究開発に取り組み、技術力の向上も図っていった。

海外事業のてこ入れにも取りかかった。営業方針の合わなかった担当者をはずし、世界各国で営業力のある代理店を探して契約を結び、商社に頼らない直接貿易に切り替えたのである。

欧米のホテル・レストランや美容業界を対象とする展示会に積極的に出展すると、むしろそうした業界から引き合いが届くようになり、2004年頃から、美容関連商品を扱うイギリスの大手商社と取引を開始。ホットキャビを数百台規模で受注するようになり、海外への直接販売に弾みがついた。

「国内市場が縮小するなか、当社には海外進出が必須でしたが、その対応には苦労しました。電機製品の輸出に関してはEUや世界各国で安全規格、環境規格、リサイクル義務などがあり、製品の外見は同じでも、各国別に仕様を変えなければなりません。数万台売るのも数百台売るのも手間は同じ。だから、同業は手を出さなかったのでしょうが、それなら当社がやろうと、むしろやる気になりましたね」

こうして世界各国にタイジのホットキャビは広まり始め、現在、海外売上の4割を米国が占め、残り3割ずつを欧州とアジアが分け合う。今後は中国を中心にアジアでの伸びが期待できるという。だが近年、外見を真似た質の悪い中国製のコピー品が大量に出回るようになった。

「当社の製品は、品質とブランド力で海外でも知名度を誇ります。高級ホテルなどの入札では必ず当社が指名されますし、耐久性や機能、デザインにこだわるお客様は当社の製品を選んでくださいます」

とはいえ、コピー製品の流通を座して見ているわけにいかない。あえて中国でパートナーを探し、合弁会社を作って生産する計画を進めているという。

新商品開発も積極的に手がけるようになった。夏場には冷たいおしぼりが求められるが、コンプレッサーを用いれば装置が大型になる。そこで、ペルチェ素子という冷却用半導体素子を使ったタオル冷やし器を開発し、06年に発売。ペルチェ素子は一方の面が吸熱し、反対面が発熱するため、熱膨張による変形などが影響して故障しやすかった。故障のメカニズムを解析し、素子に負荷がかからない工夫を施すなど、2年ほど試行錯誤を繰り返して業界で初めて実用化したのである。

それ以外にも同社は、紫外線を発する殺菌灯つきのホットキャビや、冷温切り替え可能なキャビなど業界初の商品を立て続けに開発している。

酒燗器の改良にも取り組んだ。酒燗器はステンレス管の中を酒が流れるときにヒーターで周囲から温める仕組みだが、ステンレスに酒が触れることで味が変わる欠点があった。そこで、耐熱ガラス管を用いて、マイコン制御で自由に温度を調節できる酒燗器を98年に開発。これも業界初だった。

2000年代に入ると、オープンキッチン型やビュッフェ型のレストランが増えるにしたがって、調理した料理を一時的に保温するためのランプ型ウォーマーのニーズが高まった。それまで外国製しかなかったが、同社はデザイン性の高いランプウォーマーを10年に開発し、新たな売れ筋商品となっている。

トッピング用の食材を冷やしたり温めたりするフーズクーラーやフーズウォーマー、ビュッフェ用に調理品を冷やすクールプレートや温めるプレートヒーター、冷蔵・温蔵用ショーケース、コンビニ向けの保温用おでん鍋や肉まんの保温ケースなど、食べ物を最適な温度で提供するためのあらゆる温冷蔵機器の専門メーカーとしての地位を同社は確立していった。

その結果、同社の経営が安定する一方、同業他社の多くは倒産あるいは撤退した。堀江社長が03年に現職に就任すると、その直後に会社の建て直しを見届けるように本間会長はこの世を去った。

ローテクな製品ほど様々なアイデアが活かせる

最近では輸入製品も取り扱うようになり、フローズンドリンクやジェラート製造機が好調な売れ行きを示している。

堀江社長は商品開発の方針を3つ掲げている。1つめが「ホスピタリティー」であり、おしぼりに始まるおもてなしの心を伝えるサービス機器に特化すること。2つめが「小型化」によって、大手企業と競合しない分野で勝負すること。3つめが「とにかくやってみよう」の精神で、社内外からの提案やアイデアがあればまず取り組むことを徹底している。

「当社の製品には高い技術力は必要ありません。いわば“ローテク”なのですが、だからこそ様々なアイデアを活かせる。人がやらないこと、差別化を図ることで、なんとかこれまで生き残ることができていますが、隙間を見つければ新しい技術や機能がなくても伸びる商品はあります。社員も積極的に自ら考えるようになってきました。世の中にないものを生み出すメーカーの仕事は面白いですね」

タイジに入社以降、気の休まる暇はなかったという堀江社長だが、「考えて作り出したものがお客様に使われているのを見るのがうれしい」と語るその顔には、みなぎる自信があふれているように見えた。

月刊「ニュートップL.」 2012年10月号
吉村克己(ルポライター)


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