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徒手空拳で地道に海外市場を切り拓き硬度計の世界的メーカーに(株式会社フューチュアテック・社長 松澤健次氏)

キラリと光るスモールカンパニー

掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


あらゆる工業製品の安全性を保証する基礎ともいえるのが、材料の硬さを測る硬度計である。

その専門メーカーとして、フューチュアテックは国内のみならず海外でも35か国に代理店を置き、40か国に輸出する世界的なブランドを確立している。
「品質とサービスを武器に日本企業の底力を世界に示す」と力強く語る松澤健次社長に聞いた。

◇    ◇    ◇

あらゆる工業製品は、材料の硬さを測定したうえで作られている。なぜなら、その製品の機能や安全性を保証するためには、その製品を構成する部品すべてが適切な硬さをもっていなければならないからだ。

たとえば、自動車は1台当たり2万〜3万点の部品で構成されるが、すべての部品が開発・試作段階ではもちろん、量産や出荷段階でも必ず、硬さを測定される。たった1つのネジが規定の硬さを満たしていなければ、走行時に破損して大事故につながりかねない。いわば、製品の安全性を保証する基礎ともいえる硬さを測る重要な測定機が「硬度計」である。

工業製品の安全性を保証する硬度計の専門メーカーとして、フューチュアテックはわずか33人の会社ながら、世界的なブランドを確立し、海外35か国、37社の代理店と提携して40か国に直取引で製品を輸出する。売上高海外比率は約70%にも達するという。

同社の松澤健次社長は「硬度計は、金属だけでなくプラスチックやガラス、木材をも対象とします。ほぼすべての製造業が硬度計を必要とするといっても過言ではありません」と語る(以下、発言は同氏)。

硬度計は工業材料の硬さを測るだけでなく、溶接部の測定にも利用される。溶接による材料の熱影響も安全性に大きく関わるからだ。同様にメッキや熱処理による変化を受けた材料の測定にも使われている。

工業製品ばかりではない。食品や錠剤、歯科で使われるインレー(詰め物)などにおいても硬度計が用いられ、適切な硬さか、歯触りなどはどうか調べられている。

同社は摂氏1,500度を超すような高温、原子炉、航空宇宙といった特殊な環境でも使える硬度計も特注で請け負い、製造する。まさに硬度計のトップメーカーである。

世界で初めて開発した全自動式システム

硬度計は、用途によってビッカース式、ロックウェル式、ブリネル式の3種類がある。

最も普及しているのが、「ビッカース式」で、ピラミッド型に加工したダイヤモンドの先端部を一定荷重で試験面に押し込む。そうしてできたくぼみの大きさを顕微鏡で読み取り、自動的に試料の硬さを算出する。硬い材料を含め試験できる応用範囲が広いという。

ただ、荷重を小さくしてメッキ層など微小な局所の硬さを測る場合はマイクロビッカースを、高荷重を要する試料の場合はマクロビッカースを用い、通常は装置を使い分ける必要があった。フューチュアテックが開発した「ロードセル式マルチビッカース硬度計・FLC‐50V」は、こうした手間をなくして小荷重から高荷重まで1台で対応。価格は250万円だ。

「ロックウェル式」硬度計は、円錐形のダイヤモンドおよび鋼球を使って荷重を与えるもので、広い面積の試料の硬さが測定できる。測定が素早く簡単にできるのも特徴だ。

「ブリネル式」は古い測定法であり、鋼球で荷重を与える。高荷重でくぼみが大きいので、試料の平均的な硬さを測るときに使われ、鋳物や非鉄金属などに適している。

鋼など焼き入れ処理した合金では、「ジョミニー試験」という世界統一の硬さ測定法がある。同社はロックウェル式硬度計を用いた「全自動ジョミニー硬さ試験システム」を開発。
国内外の製鉄会社に導入されている。このほか、「全自動薄鋼板ロックウェル硬さ試験システム」もラインナップ。「全自動」の硬度計を手がけるのは世界でも同社だけで、その技術力が国内外から高く評価されている。

商社マンから転身し父の会社で販路を開拓

現在、日本で硬度計を製造するメーカーは同社以外に、測定機器大手のミツトヨ、秋田県にあるマツザワのみ。欧州でもオーストリア、イタリアに数社ある程度で、米国では大手分析機器メーカーのLECO社が販売するが、すべてフューチュアテックからのOEM供給である。最近、中国製が増えているが、アジアでは同社のブランドが圧倒的に信頼されているという。

同社はOEMも含めて現在、年間1,100台ほどを製造・出荷する。2009年度はリーマンショックの影響を受け、売上は前年度比38%減だったが、翌年度は36%増とV字回復。11年度は21%増で売上高11億円と過去最高を記録し、12年度は12億円を見込む。

フューチュアテックの創業は1995年であるが、実は松澤社長の父・榮七氏が敗戦直後の46年に創業した松澤精機が母体となっている。

榮七氏は戦中、硬度計のトップメーカーだった明石製作所に勤めた。戦後、独立して松澤精機を設立し、63年まで明石製作所の下請けとして硬度計を製作。その後、自社ブランドの硬度計を開発し、製造販売を手がけるようになった。

次男である松澤社長は、65年に早稲田大学を卒業して独立系商社に入社し、オーストラリアから鉄鉱石を輸入する仕事を担当。同国への海外駐在の話が持ち上がったとき、榮七氏は「会社を手伝ってほしい」と松澤社長を口説いた。商社マンの仕事が面白くなっていた松澤社長だったが、父からの再三の要請を受け入れ、67年に松澤精機に入社。取締役営業部長として、父の開発した硬度計の販路開拓に力を注いだ。当時、父とともに兄が経営していた松澤精機は年商2,000万円ほどで、社員数は10数人だった。

「入社したとき、業界には15ブランドの硬度計があり、競争が激しい時代。私は自社開発した唯一の製品をライトバンに積み込み、全国を回って代理店を探し販路を開拓しました。硬度計は様々な業種で使われるため、代理店を通すのです」

その後、国内だけでなく海外にも販路を広げた。といっても伝手はなかったので、欧州各国の商工会議所に手紙を送り、硬度計の専門商社を紹介してもらった。その商社ににわか作りの英文カタログを送り、反応があった企業と少しずつ取引を広げていった。78年には、韓国を訪れて代理店を開拓。台湾でも優良な代理店と巡り会うことができ、アジア市場も地道に切り拓いたという。

松澤社長が販路を拡大する一方、榮七氏も製品開発を続け、メーターのデジタル化を世界で初めて実現すると、国内の製鉄会社がこぞって導入。その後に開発した完全自動化システムも製鉄会社などから高い評価を得たことで、「技術や実績で明石製作所を抜いたと感じた」(松澤社長)という。85年頃のことだ。

当時、大田区京浜島に構えていた工場を拡充し、社員数も50人にふくれあがったが生産が追いつかず、秋田県にある30人ほどの工場と硬度計の製造で提携した。この会社が前述したマツザワの前身である。

90年には経営に行き詰まった明石製作所が清算され、硬度計部門が大手のミツトヨに吸収された。このとき、松澤社長は大きな危機感を抱いたという。

突然の自己破産で売る商品がなくなる

結果からいうと、松澤精機の売上は予想したほど落ちなかった。実は硬度計は寿命が長く、少なくとも30年間は使用できる。そのため、買い換え需要が少なく、新規を開拓し続けなければならないからだ。

組み立てには微妙な調整やいくつもの試験項目があり、1台ずつ職人が丁寧組み立てには微妙な調整やいくつもの試験項目があり、1台ずつ職人が丁寧に組み付けを施す必要がある。定期的にメンテナンスを行ない、使用するうちに発生する狂いを正す「校正」というサービスも必須で、その手間もかかる。つまり、効率的に大量生産できる製品ではないので、大手には扱いづらい。

95年、松澤社長は松澤精機から独立し、販売や輸出入を手がける商社としてフューチュアテックを設立。当時、松澤社長の兄が社長として松澤精機を仕切っており、松澤社長は自分が独立して、製販の分業体制を築いたほうがよいと考えた。

ところが、新会社を設立してわずか13日後に突然、松澤精機が自己破産した。松澤社長の知らないところで松澤精機はバブル崩壊に巻き込まれ、多額の損失を抱えていたのだ。

「予想もしておらず2日間ほど頭の中が真っ白になりました。いきなり売るものがなくなってしまったのです。当時、海外でも15社の代理店と提携しており、事情を説明して出荷を待ってもらいました。大半はわが社との提携を続けてくれましたが、一部は他社に流れてしまいました」

松澤精機の突然の倒産で国内の代理店も顧客に製品を納入できずにいた。松澤社長は頭を下げて取引の継続を依頼したが、「自己破産することを事前に知っていて、独立したのだろう」と疑われ、怒鳴りつけられたこともあった。

苦境に立たされた松澤社長であったが、1日も早く製品を作らなければ代理店は逃げてしまう。幸い、松澤精機から技術、開発、営業担当の社員7人が、フューチュアテックに入社したことで、設計のめどは立ったものの、部品を加工し、組み立てる工場も人員もない。そのとき、もともと松澤精機と取引のあった岩手県の鈴木機械という機械加工・設計・組み立てメーカーが生産を引き受けてくれた。

「鈴木機械の社長には、以前からとてもお世話になっていました。おかげさまで、10か月弱という短期間で1号機を製造することができたのです」

日の丸を背負って質の高いものづくりを

以降、フューチュアテックは毎年のように新しい機種を開発し続け、さらに海外の販路開拓も進めてきた。

円高が進むと国内での部品加工のコスト負担が重くなるため、15年ほど前から少しずつ台湾での委託加工を増やし、現在では部品加工はすべて台湾で行なっている。同社が国内で組み立てを手がけ、鈴木機械には複雑な自動化システムなどの製造を請け負ってもらう。

海外代理店とはOEM供給を除いてすべて円建てで取引している。部品輸入も円建てなので、現在は円高のメリットを受け、12年度の利益は過去最高になるという。

06年、タイ・バンコクに校正・メンテナンスを手がける現地法人を設立。ASEANでの地歩を着実に固めている。

中国では同社のコピー製品が出回っているが、外観は似ていても中身は別物だという。

「まだまだ大きな差があります。われわれがしっかりとものづくりを続けることで、本物の硬度計を残していきたい。僭越ではありますが、日本ブランドの代表として日の丸を背負っている意識は強いです」

今後は中国でも精度の高い硬度計の需要が高まると見て、松澤社長は中国市場の拡大を図っている。10年にはベトナムにも駐在員事務所を開設し、同国の隣国であるカンボジアやミャンマーにも目配りする。

このほか、BRICsもターゲットに入れ、すでにブラジル事業所を設置。インド企業との取引も増え始めている。昨年からはロシアの開拓に着手した。欧州では現地ブランドの人気が根強いが、07年にイタリアに駐在員事務所を開設して、虎視眈々と販路拡大を狙う。

製品ラインナップの拡充にも取り組み、08年に試料を切断・研磨して樹脂に埋め込み硬度を測定する試料作成機を開発。新市場開拓の武器にする。

松澤社長はいまも毎月2回は海外に飛び、代理店の教育や情報交換、新規開拓を続けている。

「海外進出をめざすのであれば、あれこれ考える前にトップが出ていって、現地の人と食事でもしてコミュニケーションをとること。言葉はさほど気にしなくていい」

徒手空拳で海外市場を切り拓いてきた松澤社長の言葉には、これからの中小製造業の経営者がもつべきマインドが現われているのではないだろうか。

月刊「ニュートップL.」 2012年5月号
吉村克己(ルポライター)


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