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入浴も可能な人工乳房を開発、乳がん患者の笑顔を取り戻す(株式会社池山メディカルジャパン 社長 池山紀之)

キラリと光るスモールカンパニー

掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


乳がん患者が急増するなかで、乳房切除手術をした女性たちは、従来通りの生活ができずに悩んでいる。
池山メディカルジャパンは、つけたまま入浴、スポーツもできる、これまでにない人工乳房を開発した。
乳がん患者だけでなく、医療関係者からも高い支持を得ている人工乳房はどのように誕生したのか、池山紀之社長に聞いた。

◇    ◇    ◇

国立がん研究センターによれば、2004年以降、乳がん患者は毎年5万人を超えるという。女性が一生の間に乳がんになる確率も、14人に1人の割合と年々増加傾向にある。乳房を温存する手術法も進歩しているが、がんの進行が進んでいる場合など、乳房をすべて切除しなくてはならないケースも少なくない。

失なった乳房を再建するためには、自身のお腹や背中の筋肉、脂肪などを切り取り、胸に移植する「自家組織再建法」や、人工物を使って再建する「インプラント法」があり、保険も適用されるようになった。だが、再び身体にメスを入れる再建手術に抵抗感をもつ患者も多く、手術が失敗するリスクもある。

そうした患者の選択肢は、シリコンなどでつくられた人工乳房となる。従来から人工乳房は販売されていたが、胸に当てて専用のブラジャーで支えるタイプがほとんどだった。装着したままでは風呂に入ることができず、スポーツもできない。市販のブラジャーを使うこともできず、悩んでいる女性は多いという。

池山メディカルジャパン(以下、池山メディカル)は、こうした女性患者の要望に応える人工乳房を開発し、06年から販売を開始した。患者や医療関係者からも高い評価を得ている。

同社の人工乳房は、「市販のブラジャーを使用できる」「そのまま入浴したり、シャワーを浴びることができる」などをセールス・ポイントにしている。専用の粘着剤で胸に貼り付けるため、入浴してもスポーツをしても簡単には外れない。粘着剤は肌の弱い人にもかぶれにくい素材で、はがすときには剥離剤を使う。

人工乳房を開発した池山紀之社長(55歳)はこう語る。

「乳がん患者さんのうち、約4割の方が乳房切除を行なわざるを得ません。また、すでに乳房を切除された方は全国で30万~40万人いるといわれていますが、その中で乳房再建手術を希望する方の2割は、高血圧や高齢などの理由で手術ができず、再建手術を受けても、2割の方が失敗してしまったというデータもある。人工乳房しか選択肢がない方も多いのです。乳がんの患者さんは、それまでの生活を普通に続けたいだけです。スポーツもやりたいし、友だちと温泉にも行きたい。しかし、乳房を失った患者さんの多くは外出すら避けるようになり、自宅に引きこもってしまう方も少なくないのです」(以下、発言は同氏)

こうした人々に池山メディカルの人工乳房は喜ばれ、受け入れられている。だが、製作スタッフの人員が限られており、要望に応えきれてはいないのが現状だ。

「現在のところ、年間で500~600人分の人工乳房しかつくれず、これまで7年間で提供できたのはわずかに3,000人分だけです。われわれが『ブレストケア・アーティスト』と呼ぶ製作スタッフを、もっと増員できるように養成しているところです」

現在、ブレストケア・アーティストは20名。勉強中の予備軍も40名いるが、おおよそ3年間の修業が必要だという。95%が女性で、年齢は20代後半から50代までと幅広い。基本的には池山メディカルの社員ではなく、外部の個人事業主として仕事を請けている。今後、3年間で少なくとも100人、できれば200人まで増員したいと池山社長は考えている。

スタッフの教育・育成は、池山社長が10年に設立した「一般社団法人日本人工乳房協会」から委託を受ける形で、池山メディカルが運営する「ブレストケア・アーティスト・スクール」で行なっている。

乳房を失なった悩みを聞くカウンセリングも重視

「技術的に難しいのは、お客様に合わせた人工乳房の彩色ですね。最終的にはお客様に来社していただき、一対一で向き合って色を調整します。お客様は裸のままですから、できるだけ短時間ですませたい。しかし、技術が未熟だと3時間近くかかることもあるほど、決して簡単な作業ではありません。また、この仕事にはコミュニケーション力が重要です。カウンセリングから型取り、調整など最低でも5回はお客様に会い、要望をしっかりと理解しなければなりません。さらに、体型の変化とともに10~15年ごとに人工乳房をつくり直さなければならないので、お客様の信頼を得て、長い付き合いのできる人でなければ務まらないのです」

同社の人工乳房はすべてオーダーメイドで、料金は約30万~90万円。料金の差は製作スタッフの技量の差だという。健常側の乳房の型取りを行なった後、左右の大きさや身体の色と合うように、2~3か月かけて丁寧に製作される。

ただ注文どおりにつくるだけでなく、池山メディカルでは最初の段階からカウンセリングを重視している。社員として、看護師などの経験をもつ10人のカウンセラーがおり、乳房を失なった心の痛みや悩みなどをじっくりと聞くという。

「人工乳房をつけて、とにかく温泉に行きたいとおっしゃる方もいれば、乳房を失ったことでご主人との関係がうまくいかなくなったという方もいます。人工乳房でそうした心の傷を埋めることができるのか、お話をうかがうことが第一です」

同社にはブレストセンターという相談窓口があり、名古屋、東京、熊本、京都に設置している。各センターにはカウンセラーとブレストケア・アーティストを配置し、両者で対応する。また、顧客の自宅や病院などへ出張するサービスもある。

また、同社では乳房再建手術の支援も始めた。摘出手術前に乳房の型を取り、脂肪量を計量する「MT計量法」を開発、特許も取得した。これまで医師の目分量で再建していたため、アンバランスになることもあったが、この計量法によりきれいな乳房が再建できるようになったという。

再建後の乳房に装着する人工乳頭も製作、提供していて、再建手術の増加とともに注文数も増えている。オーダーメイドである人工乳房の製作と違い、レディメイドで製作できるため、今年度は5,000人分、来年度は1万人分まで用意できると池山社長は見込んでいる。

池山メディカルには患者から感謝の手紙やメール、電話がよくあるという。ご本人からは「手術後、初めて温泉に行くことができた」、夫からは「妻が昔のように明るくなった」「一緒に外出できるようになった」という喜びの声が届いている。

「お客様が、旅行の途中で名古屋を通ったから、と立ち寄ってくれたりします。親戚のようにお付き合いいただいている方が、何人もいますよ」

欧米やアジアなど海外からの来訪客も多く、今後は海外拠点も検討したいという。

画期的な前立腺治療用器具を開発したが…

池山社長は1958年、名古屋市に生まれた。家業はガソリンスタンド経営だったが、小さいころから医療に興味をもち、医療器具の技師となる。82年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学し、耳、鼻、指用のインプラントを学んだ。帰国後の85年、父の会社に医療事業部を立ち上げ、指や耳用のインプラントやシリコン製の指などを製作した。

その後、ある泌尿器科の医師と共同で、前立腺肥大を治療する「尿道ステント」の開発に着手。これは、形状記憶合金でつくられた医療器具で、閉塞した尿道に挿入し内部から広げるという機能をもつ。従来、前立腺肥大の治療には、薬剤やレーザー光、電気メスを用いた方法があるが、一定期間の入院が必要だ。しかし、ステント治療なら短時間ですみ、入院は不要となる。

開発は難航したが、そのアイデアは画期的で、日本だけでなく世界からも注目された。アメリカのベンチャーキャピタルの援助も決まりかけたが、その直後の2001年に米同時多発テロが起きる。世界貿易センタービルに本社を構えていた同社の被害は甚大で、計画は頓挫した。また、共同開発していた泌尿器科の医師が急逝するという不幸も重なってしまう。

あきらめかけたところに、世界的ヘルスケアメーカーから商品化の話が持ち込まれた。なんと事業計画の規模は、06年に6,000億円を見込んでいるという。池山社長はこれを好機ととらえ、03年、父の会社から独立してウロメディカルジャパンを設立。友人、知人から1億5,000万円の出資金を集めた。証券会社も参加して、3年後には医療機器の承認を受け、上場しようというビジネススキームを描いた。

治験も進み、治療を受けた患者たちの回復ぶりは驚くほどだった。ところが、ほどなくその大手メーカーが泌尿器の医療器具部門を売却、事業から撤退することになり、尿道ステントの話も立ち消えになった。多くの成果が上がり、3年近くデータを収集したにもかかわらず、厚生労働省は医療機器認証申請を差し戻し、治験のやり直しを命じた。もはや資金が尽き、さしもの池山社長も事業の撤退と会社の清算を考えた。

ところが、思ってもみなかったきっかけで新事業が生まれる。実は、池山社長の妹が95年に乳がんを患い乳房を失っていた。数年後の家族旅行でのこと、温泉に入ろうとしない妹に尋ねると、「乳房を失った状態で入れるわけがない」と聞かされた。手術痕は夫と娘にしか見せていないことを初めて知った。その妹が池山社長に手術痕を見せて、「人工乳房をつくって」と言ったのである。

乳房を失った妹のために人工乳房を開発

そのとき、妹から3つの要望を挙げられた。「洋服の上から自然に見え、触っても違和感がないこと」「普通のブラジャーが使えること」「そのままお風呂に入り、シャワーも浴びられること」。

池山社長は尿道ステントと並行して、人工乳房の研究を始めた。人工の指や耳はつくったことがあるが、乳房は初めてだ。まずはブラジャーの勉強をしようと、女性用下着売り場で店員に怪しまれながらブラジャーを何着も購入した。いろいろな女性に事情を説明、頭を下げて乳房の型を取らせてもらい、本物そっくりに試作品をつくった。

しかし、うまくブラジャーに収まらない。人工乳房は自然の乳房と違い柔軟性にかけるため、寄せて上げるブラジャーには入らないのだ。患者が手術前に使っていたブラジャーを採寸し、それに合わせた人工乳房をつくればいいと気づくのに何年もかかった。胸に貼り付けるための粘着剤を世界中から取り寄せ、自らの胸に人工乳房を貼り付けて風呂に入るなどの実験を繰り返した。

こうして05年、妹からの要望をクリアする人工乳房が完成した。同時期に尿道ステント事業が挫折する。会社の清算を考えつつも、せっかくだからと事前にエントリーしていた日本乳癌学会で発表した。すると想像以上に好評で、乳がん患者の現状に心を痛めていた医師たちが患者の紹介を約束してくれた。尿道ステントに代わる事業になると池山社長は確信し、さらに研究を重ねて06年に販売を開始。09年には黒字化した。

乳がん患者にも温泉を楽しんでもらいたいと、温泉旅館やホテルに働きかけ、患者に配慮した宿を紹介する「ピンクリボンのお宿ネットワーク」を12年に立ち上げ、現在、111軒が加入している。

池山社長は製品を妹にプレゼントした。妹は喜んで母親と一緒に温泉へ行ったが、意外なことに、2回目以降の入浴からは人工乳房をつけなかった。持ち歩けるだけで安心なのだという。人工乳房は胸の傷だけではなく、心の傷も埋めることができたのだろう。

月刊「ニュートップL.」 2014年3月号
吉村克己(ルポライター)


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