「できない」は言わない方針で世界初の常温接合装置を開発した真空技術のパイオニア(株式会社ムサシノエンジニアリング・社長 宮本和夫氏)
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日本の真空技術は世界トップクラスだが、その中でもムサシノエンジニアリングは従業員わずか14名ながら、日本初、世界初の製品をいくつも抱える開発型企業として、高い技術力をもち独走する。とくに真空中で異素材同士を完全に一体化できる常温接合装置は世界に例がなく、画期的な製品や加工法への応用が期待されている。
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この間、様々な企業が壮大な宇宙計画に関わってきたが、さいたま市岩槻区に本社を置く、従業員14名のムサシノエンジニアリングもその1社だ。
同社は真空を自在に操る真空技術のトップランナーで、宇宙空間を再現して、カメラをはじめ機器類の作動をチェックする「スペースチャンバー用ステージ」を開発した。
「大気中では使えても、真空中では使えない部品や材料があるんですよ。たとえば、潤滑剤としてグリスなどの油類は一切使えないし、ネジ一つとっても真空の度合いごとにすべて自社で開発しています」と同社の宮本和夫社長(61歳)は語る(以下、発言は同氏)。
標高の高い山の頂上では低い温度で湯が沸くように、気圧が低いほど物質の沸点は低くなる。宇宙空間並みの真空では液体は瞬時に蒸発する。たとえばチャンバーなど真空容器内部を真空にすると、部品や装置の表面や内部、あるいは外部からも水分や物質のガスが蒸発し、容器内部に浸透してくるため、真空環境が汚染されてしまう。
同社では真空内で精密に機器を動かすときには、固体でありながら固着性の低い「固体潤滑剤」を使う。また、ガスの出にくい金属材料を使って、真空度合いに応じた特殊な表面処理を行なっている。同社は真空中でガスの放出率を測定する装置まで自前で開発し、その測定サービスもビジネスにしている。
「ガスの放出率まで測定できるメーカーは他にないでしょう。本来は、放出率がわからないと真空装置は作れません」
顧客に対して「できない」と言わない
一口に真空といってもそのレベルは様々だ。圧力の度合いによって「低真空」「中真空」「高真空」「超高真空」「極高真空」の5段階に分けられるという。
低真空が地上約50キロ上空までの気圧で、真空パックや作動中の掃除機内部のレベル。中真空が同様に約90キロまで、高真空が約250キロのオーロラが輝くあたりまでだ。超高真空は静止衛星が回るはるか上空の高さ。極高真空がまさに宇宙空間の真空レベルである。
真空環境は多くの製品・材料開発に利用されているが、同社は、地上でこの極高真空まで再現し、その中で超精密加工装置を作動させる技術をもつ。半導体製造装置は高真空の環境が必要で、科学の最先端を行く加速器(電子や陽子などの粒子を光の速度近くまで加速する装置)でも必要なのは超高真空の環境である。極高真空技術の難易度は言うまでもないだろう。
このレベルの装置を購入する顧客は、ほとんどが研究に用いる。大学や公的研究機関、民間でも研究所が中心であり、取引先の大半は大手上場企業だ。
同社は創業以来、高エネルギー加速器研究機構(旧高エネルギー物理学研究所、以下「高エネ研」と言う)とのつながりが深く、加速器で用いる真空用機器類や部品などを手がけ、マニピュレータ(遠隔操縦可能なロボット)のような大型装置から、ボルト、ネジなどの部品まで高エネ研の要望に応えてきた。
こうして開発した装置・部品を規格品(標準品)として商品化、自社ブランドで販売している。同社の売上は、自社製品が2割、オーダーメイドの真空用装置が8割を占めているが、宮本社長は「ゆくゆくは両者の売上比を半々にしたい」と自社製品の販売拡大を狙っている。
宮本社長は他社が断るような難しい仕事を敢えて引き受ける姿勢を貫き、多くの世界初、日本初の製品を開発してきた。
「世界初、日本初の開発は100件ほどある。私はお客さんに対して『できない』という言葉を使うなと従業員に言っています。時間やコストがかかるかもしれないが、やらなければ進歩がない。せっかく、お客さんがニーズをもってきてくれるのですから、それを断る手はありません。それに、難しいことに常に挑戦するからこそ、最先端の技術を追究できるのだと思います」
開発した製品には、国立天文台に納入した精密に重力を測定できる「重力測定装置」や「原子泉型標準器」がある。原子泉型標準器は、日本の標準時を定める情報通信研究機構で使われており、3億年に1秒しか遅れが出ないほどの精度を誇る。
同社の製品は当然ながら世界でも通用するレベルであり、「当社が国内で販売しているような標準品は海外では3倍の値がつく」と言うほど価格競争力もあるのだが、最先端技術には輸出規制の問題がある。加えて、各国の安全規格への対応やメンテナンス体制を組む難しさもあり基本的に販売していない。
「米国に代理店を置いたこともあるのですが、技術を知らないと販売は難しく、日本から技術者を派遣しようにも、私どものような中小企業では人員が限られるので、現在は対応していません。いずれは海外に販売できる体制を整えたいですね」
加熱・加圧せずにどんなものも接合できる
標準の真空用装置・部品では、海外進出に時間がかかりそうだが、代わりに世界市場を狙っているエース製品がある。それが「常温接合装置」だ。これは、超高真空中であらゆる物質同士を接合する世界初の量産型装置で、加熱・加圧もせず、接着剤も使わないため、材料が変形・歪みを起こさず、劣化もしない。
通常、銅とアルミ、ステンレスとアルミなどの異素材同士では溶接できないが、この技術ならば接合が可能だ。水晶やサファイヤなど鉱物とアルミを接合したサンプルを実際に目にしたが、実に不思議な光景だった。
なぜ、異素材同士を接合できるのかといえば、超高真空の環境は、他の物質がほとんど存在しないクリーンな状態で、接合面の物質同士が原子レベルで直接結合するからである。つまり、一体化してしまうので、接合した材料をはがそうとすると、材料自体が破壊される。
常温接合は付加価値の高い製品作りへの利用が期待されており、その最右翼はMEMS(マイクロ・エレクトロ・メカニカル・システム)である。微小電気機械システムなどとも呼ばれ、シリコン基板上に小さな機械を作るため、基板や機械接合には歪みを招く熱や圧力、接着剤などを使わない技術が求められていた。さらに、LSIなどチップの積層化、三次元化への応用も期待されている。
常温接合装置は1台1億円以上と高価ながら、すでに10数台を出荷しており、様々な業界からの問い合わせも多いという。
「たとえば、ゴルフクラブのヘッドに接着剤を使うと反発が落ちてしまうので、その接合に使えないかとか、プロジェクター内部のプリズムを張り合わせる接着剤は光の透過性を落としたり、劣化するので、常温接合はどうかという話もあります」
現在、常温接合には2つのタイプがある。「表面活性化接合タイプ」(SAB)と「原子拡散接合タイプ」(ADB)である。
当初、同社は東京大学大学院の須賀唯知教授との共同研究でSABの開発に着手した。SABは物質の表面を覆う安定化膜を、ビームを使ってナノメートル(100万分の1ミリ)レベルで削り、不安定化(活性化)させ、接合する技術である。
2004年にSAB装置を発売したが、この技術では二酸化ケイ素系や鉄系など接合するのが難しい材料があった。そこで、東北大学電気通信研究所の島津武仁准教授と共同でADBの研究に取り組んだ。
ADBはナノメートルレベルで物質同士の接合面に金属薄膜を生成し、接合面の原子と混ざり合うように拡散し接合する。この技術開発によって、ほぼすべての物質同士の接合が可能になった。ADBタイプの装置は昨年から発売を開始。日立ハイテクトレーディングを代理店として世界展開をめざしている。
いまでこそ世界トップクラスの技術を誇るムサシノエンジニアリングだが、宮本社長をはじめ同社の従業員に真空技術の専門家はいなかった。いないどころか、理系出身者は宮本社長と設計部長の2人だけ。他の開発スタッフは文系出身者である。
「われわれは化学屋でもなく、物理屋でもない。材料の特性もわからなかったので、常温接合技術の開発には苦労しました。大学の先生方に相談しながら、実験を繰り返してきたのです」
宮本社長は東洋大学の工学部精密機械科を卒業後、時計メーカーのリズム時計工業に就職。9年ほど設計に携わったが、もっと小さな組織で自分の力を試してみたいと、81年に武蔵野精機に転職した。武蔵野精機は、複写機部品や光学部品の製造を手がけ、とくに精密加工が得意な会社であった。宮本社長が入社後、4〜5年目にその精密加工技術を見込んだ高エネ研から、加速器の部品をアルミで作れないかという話が来た。
当時、真空装置はステンレスで作ることが主流だったが、高エネ研ではアルミのほうが発生するガスが少なく、総合的に優れた材料と考えていたという。
宮本社長は真空について何も知識をもっていなかったために、高エネ研の研究者に必死で教わりながらアルミの特殊な表面処理加工に挑み、成功。その後もアルミ製の真空チャンバー(容器)とその内部で精密加工を行なう装置を請け負い、武蔵野精機が誇る技術を駆使して期待に応えた。そのため、それまでの真空内の加工精度よりはるかに高い精度を実現できた。真空の素人ゆえに常識にとらわれなかったおかげだろう。
こうして宮本社長をリーダーに真空事業が育ったが、80年代後半の不況によって武蔵野精機は事業の縮小を決定し、本業に戻るか、真空事業を独立させるか宮本社長は迫られた。
「本来は経営者になるつもりなどなかったのですが、4人の部下や協力工場もあったので、ニッチならやっていけるのではないかと独立を決意しました」
武蔵野精機の先代社長は宮本社長の手腕を買って、個人的に600万円を出資、宮本社長自身が300万円、他に100万円を集め、1,000万円の資本金で、88年にムサシノエンジニアリングを設立した。
高度な技術力を築き真空機器のかけ込み寺に
高エネ研からの仕事は継続し、アルミ製の真空装置メーカーという差別化が創業時からできていたこともあって、順調に業容は拡大した。
日本が素粒子の実験的研究を世界レベルに押し上げるためにスタートした高エネ研の「トリスタン計画」の中で、同社はアルミフランジ(配管継手)の製造を全面的に任され、それを規格化し、94年には市販を始めた。高エネ研との仕事を通じ、真空装置の部品類の規格品化を進めることができた。
また、武蔵野精機時代に培った三次元測定器など専用機の設計技術を応用し、真空中で動かす装置の開発にも取り組み、マニピュレータなど大型装置を設計・製造するようになった。
創業8年目頃には取引先の商社が計画的と思われる倒産をして1,500万円もの不渡り手形を背負い、経営が傾いたこともあったが、築き上げた高い技術力によって、大学の研究機関や大手メーカーの研究所から「真空機器のかけ込み寺」として頼られるようになってきたことで、しのぐことができた。
「あの会社なら何とかしてくれると信じてもらえる会社になりたいと思っています。どんな仕事も受け、真空の素人であるがゆえに世界初の技術に挑む。会社を存続するためには高付加価値の仕事、すなわち他社がやりたがらない仕事をすることです。大きい会社より、強い会社になることをめざしています」
リーマンショック以降、民間企業の景気悪化や、政府の事業仕分けによる公的研究機関の予算削減など、現在、同社にとっては厳しい時期だが、同社の技術は次代を支える製品を生み出していくことだろう。
月刊「ニュートップL.」 2011年9月号
吉村克己(ルポライター)
掲載内容は取材当時のものです。
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