炭素繊維複合材料の部品づくりで次世代自動車開発をリードする(株式会社チャレンヂ 社長 中村敬佳)
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これまでレーシングカーなど特殊な用途にしか使われていなかった炭素繊維複合材料(CFRP)が乗用車や飛行機、新幹線などに利用されるようになってきた。
チャレンヂは60人ほどの企業だが、CFRP部品製造の草分けとして国内自動車メーカーから高く評価されている。

CFRP市場のキープレーヤーとして、2012年には三菱レイヨンに請われて傘下に入った。
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レーシングカーは時速300キロでサーキットの壁面に激突しても、多くの場合、ドライバーの安全は確保されている。そもそも、なぜあれだけ激しく横転してガソリンタンクが爆発しないのだろうか。それは、コックピットとガソリンタンクが炭素繊維複合材料でつくられたモノコックで守られているからだ。
「CFRP」と呼ばれる炭素繊維複合材料は、炭素繊維に樹脂を含ませて加熱硬化させた材料で、比重は鉄の4分の1と軽いにもかかわらず、比強度は鉄の10倍、比弾性率は鉄の七倍と剛性が高く、疲労強度の保持率は鉄の2倍である。しかも、熱膨張係数が小さいので、加熱加工しても誤差が生じにくい。
さらに、電磁波遮断性や耐食性、X線透過性、電気伝導性に優れているなど、利点が多い。
自動車、飛行機などCFRPの用途拡大中
夢の新型機としてデビューしたボーイング787はバッテリートラブルなどを起こしたものの、主翼や胴体など構造材料にCFRPを約50%も使用し、機体の軽量化を実現。中型機でありながら、大型機並みの長距離飛行を可能とした。
CFRPそのものの製造は日本が世界を牛耳っており、東レ、東邦テナックス、三菱レイヨンの3社でほぼ独占している。だが、素材だけでなく、部品の精密加工においても、世界的に有名な日本企業が存在する。埼玉県狭山市に本社を置く従業員64名のチャレンヂである。
同社は、1966年に国内で初めて自動車メーカー向けにCFRP製部品の供給を始めた草分けで、その後、レーシングカーにおいては国内大手メーカー全社と取引している。ボーイング787でも、三菱レイヨンと共同で主翼部材の製造を行なった。
また、新幹線の「鼻」と呼ばれる先端部分もチャレンヂがCFRPでつくった。鼻の他にJR東海のN700系、JR西日本のレールスター、JR東日本のはやぶさの内外装なども手がけている。

チャレンヂを創業した中村敬佳社長(62歳)は「私自身はレーサーになりたかったほどレース好きなので、本当はレーシングカーをつくりたいのですが、いまは限定車などで忙しすぎてレーシングカーの注文を受けられない状況なんです」と、少し残念そうに語る(以下、発言は同氏)。
CFRPは鉄に代わる素材として期待されてきたが、価格の高さがネックとなり、レーシングカーなど特殊な用途以外にはなかなか普及しなかった。いまでも素材価格は高価だが、中村社長は加工法の工夫や合理化を重ね、加工費を従来の4分の1以下にまで引き下げてきた。
「かつてはCFRP部品の価格の65%が工賃、35%が材料費でしたが、われわれは工賃を15%まで落としてきた。今後は、材料費そのものを下げることが課題です」
チャレンヂの努力もあって、CFRPの利用範囲は拡大してきた。現在では限定販売の超高級車のほか、一般の乗用車のバンパーやウイング、内装部品などのパーツ類にも広がっている。現在、同社の売上高比率では6割が自動車関連、3割が航空機である。
最近ではタンク、パイプなどの産業用途、医療機器、橋梁の欄干などのニーズもあり、いよいよCFRPの本格普及前夜といった様相を示している。

成形時間を大幅短縮画期的なPCM工法開発
チャレンヂは、ことし1月、CFRPを全面的に採用したコンセプトカーを発表。タイヤやウインドウ、ミラー、皮シート、電気系統および最低限の金属部品を除いて、スイッチにいたるまで全面CFRP製のスポーツカーで、同社がデザイン・設計し、企画から9年がかりでつくり上げた。
3800ccのエンジンを積み、車重は1030キログラムと、金属ボディの通常車に比べて3割ほど軽量化した。もちろん、公道を走ることもできる。
「シャーシからアフターパーツまで含めてCFRPでつくるとどうなるか、自動車メーカーやティア1(一次請けの自動車部品メーカー)に対する提案として制作しました。実物を示すことによって、どの部品をどの成形法によって製造すべきかがわかります。各社の研究部門の皆さんも見に来られて、細かい点を確認されていました」
各社が最も関心を抱いているのは、CFRPの成形法である。一般的な成形法としては「オートクレーブ成形(AC)」が用いられてきた。
ACは型に合わせてシート状のCFRPをドライヤーなどで加熱しながら手作業で丹念に積み重ね(積層)、それを気密シールして真空吸引を行ない、オートクレーブと呼ばれる加圧・加熱できる釜に入れて硬化させる。精密に成形でき、CFRPの機能を最大に引き出す優れた成形法なのだが、熟練者の技と最低4時間という時間が必要だ。そのため、大量生産には向かない。
そこで、チャレンヂは三菱レイヨンと共同で、大幅に製造時間を短縮する画期的な「PCM(プリプレグ・コンプレッション・モールディング)」という世界初の成形法を開発した。
PCMは、手作業の工程を自動化。ロボットによって積層し、プレス機によって成形するため、積層から完成までわずか5分に短縮された。前後の工程を含めても、ACに比べて製造時間が10分の1になった。加工コストも5分の1に抑えられるという。これによって、乗用車向けにCFRP部品を大量供給することが可能になった。
現在、自動車のシャーシまで成形できる大型の1000トンプレス機と200トンプレス機を導入し、ことし6月から稼働し始めた。国内大手メーカーと開発中のCFRPを採用した次世代自動車の部品をつくるためだ。
同社は、まさにCFRP車のキープレイヤーである。シャーシやボディにCFRPを使うためには安全性のテストなどに時間がかかるため、まずは内外装の意匠面に取り入れて、CFRPのよさをアピールするようだ。
「ヨーロッパでもCFRP車の開発を進めており、来年あたりから市場に出始めるのではないでしょうか。日本でお目にかかれるのは、高級車で3年後、中上級車に採用されるには、あと5年ほどかかると思います。いずれにせよ、CFRP車は今後、世界的な激戦地帯になるでしょう」
カーレーサーに憧れ車好き3人で創業
CFRP成形で高い技術力をもつチャレンヂだが、中村社長はもともと技術者ではない。
創業は1970年。「単なる」と言っては失礼だが、カーレーサーに憧れていた車好きの19歳の若者だった。同じく車好きの2人を仲間に引き込み、東京の板橋でレーシングカーのボディをつくるためチャレンヂを立ち上げた。車体を軽くすればスピードが上がるだろうと、彼らが目をつけたのが繊維強化プラスチック(FRP)である。
「近所にFRPでサーフボードをつくっていた会社があったので、そこでFRPの仕入れ方や加工方法などを教えてもらって、車の鉄板の上にFRPを貼り付けて成形していました。自動車のボディにFRPを使おうという発想が新鮮だったのか、半年も経たないうちに大手自動車メーカーがやってきて、FRPの部品を納めるようになったんです。われわれのような若造をよく信用してくれましたよね。時代がよかったのかもしれません」
中村社長は謙遜するが、自動車メーカーも甘くはない。しかもレーシングカーづくりには精密さが求められるのだから、中村社長たちも相当の努力や工夫を重ねたのだろう。

10年ほどFRP部品をつくり続け、会社も成長したことから、82年には埼玉県戸田市に移転し、チャレンヂを株式会社に組織変更した。
83年ごろのこと、ヨーロッパでF1カーを皮切りに炭素繊維を使ったレーシングカーが登場し始めた。中村社長はヨーロッパに飛び、イタリアのフェラーリなどを視察して、炭素繊維について調べた。
手応えを感じた中村社長は、86年からCFRPに取り組み始め、88年には1億円を投じてオートクレーブを導入した。当時はバブル経済真っ盛りで、国内自動車メーカー各社は、レーシングカーづくりを競い合っていた。中村社長の狙いは的中し、各社からオーダーが殺到した。
91年にはマツダが仏ル・マン24時間レースで初優勝したが、その車体をつくったのはチャレンヂだった。さらに、翌年のデイトナ24時間レースでは日産が国産マシンとして初優勝したが、その車体をつくったのもチャレンヂだった。
三菱レイヨンに請われてグループ入り
だが、絶頂期からいきなり奈落の底に突き落とされた。バブル崩壊である。同社でも、すべての仕事が中断され、受注はいきなりゼロになった。しかし、レーシングカー好きの中村社長だからこそ、というアイデアが同社を救った。
自動車メーカー各社は、売れなくなったスポーツカーの在庫を抱えて苦しみ、値引きして売ろうとしていたが、中村社長が待ったをかけた。値引きする代わりに、ウイングやディフューザーなどのエアロパーツをつけて販売してはどうかと提案したのだ。
これが若者の心をとらえた。100台、500台と限定仕様として売り出すと、たちまち完売。エアロパーツの火付け役となり、半年後には利益が出るようになった。
「レーシングカーにこだわり続けていたら、あの時点でつぶれていたかもしれません」
エアロパーツで息継ぎをしながら、中村社長は多角化を始める。2000年に入ると、航空機や鉄道車両、一般産業分野からも注文が入るようになった。
とはいえ、同社には営業担当はおらず、中村社長も自ら営業をしたことがないという。
「知り合いに、こんなことをやりたいとかできるという話をすると、紹介してもらえる」と言うのだから、関係者の信頼が厚い証拠だろう。
2006年には工場拡張のため狭山市に移転、新社屋を建設した。昨12年にはPCM成形法の研究開発などで提携関係にあった三菱レイヨンに全株を譲渡、グループ入りした。
「私に跡継ぎがいないので、後継社長をどうするか、ずっと考えてきました。もうすぐ63歳で65歳までには引退したいと思っていましたから。社員に引き継ぐのも難しい。銀行に相談すると、M&Aを提案され、7社から引き合いがありましたが、長く協力関係があり、社員や体制もそのまま維持すると約束してくれた三菱レイヨンに売却することにしました」
交渉先はCFRPの製造メーカー3社を含め、すべて大手企業だったという。
三菱レイヨンは、チャレンヂをCFRP部品の開発・生産拠点とすることを表明。ことし後半には、世界初となるPCM工法による自動車部品の生産開始を明言している。三菱レイヨンがチャレンヂにかける期待は大きい。
中村社長は「15年までは社長を続けるつもり」と語り、「私自身は本当はレーシングカーをやりたいんですが、残された社員のことを考えて、2年前に方針を変えたんです」とホンネを明かす。CFRP製自動車部品の大量生産に道筋をつけて勇退した後は、きっと大好きなレーシングカーづくりに戻るつもりだろう。
月刊「ニュートップL.」 2013年8月号
吉村克己(ルポライター)
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