政治や組合に対峙した鬼の顔をもつ市場経済論者 JR東海会長・葛西敬之
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それまで、端正な顔に浮かべていた温和な笑みが消えて、労組対策の鬼の顔となったと言っていいだろう。
20年ほど前、JR東海経営陣と主要経済雑誌編集長との意見交換会の席上でのことだった。記者が、JR本州3社の分割が路線の長さに主眼が置かれ、「皮はともかくあんこが問題だ」、つまり収益性が等閑にふされたと西日本の経営陣が言っていると話したところ、当時、副社長だった葛西敬之が噛みつかんばかりに反論してきたのだ。
「そんなことはない。例えば新幹線リース料の支払い割合を見てもらえばいい。当社が6割に対して西日本は1割にすぎない。あんこ云々は、今さら取り上げるべき問題ではない」
リース料の見直しが行なわれたのが1989年だから、その少しあとのことだったのだろう。確かに施設の老朽化がもっとも進んでいる東海道新幹線のリース料(当時、新幹線保有機構が所有していた)が各新幹線中一番高いのは不合理であった。だが、大阪経済の地盤沈下、中国・北陸地方の赤字ローカル線を多数抱える、体質脆弱な西日本の経営は将来、何らかの問題を引き起こすのではないかと記者は漠然と思っていた。そこでの質問だったのだが、葛西はさらに問いかけるのをはばかるほどのきつい顔つきに変わっていた。
そのころ、民営化して間もないJR各社はマスコミとの接触に熱心だった。そんなことで記者も各社首脳との会合に出席、民営化前、国鉄改革三羽烏と呼ばれた、東日本の松田昌士や、西日本の井手正敬といった人たちと度々顔を合わせるようになった。葛西とも同様である。
3人とも一癖も二癖もある人たちだったが、井手が先輩格で切れ味鋭い論客、松田は道産子らしい大人、一番若い葛西はやんちゃな三男坊という印象だった。その葛西には労働組合対策の辣腕という影の声もあり、この時の人を寄せ付けない凄まじい顔つきに、なるほどと納得したものだった。
夢のリニアを単独リスクで
その葛西とJR東海がここへ来て、改めて脚光を浴びている。JR東海が計画しているリニア中央新幹線の建設ルートがほぼ決定したからだ。
この新線計画は2027年の開通を目指し、東京・名古屋間を全JR東海のリスクで建設しようというものだ。葛西の言によると「リニア新幹線は最速581km/hに達し、東京・大阪間は所要1時間に短縮される」という。
国土交通省の交通政策審議会は、来年春を目処にリニア新幹線を国の整備計画に格上げするよう国土交通大臣に答申する見通しだ。認められると、JR東海は2014年から15年にかけて着工、山梨県内の試験区間で営業を始め、東京・名古屋間を27年に、その後、東京・名古屋間での収益を投じて、45年に大阪まで延伸する予定だ。
東海道新幹線は当初、「夢」という形容詞がよく使われたが、このリニア新幹線も同様である。だが夢にはリスク、阻害要因がつきものだ。
まず建設工事費が9兆円と巨額なこと。加えて、予定通りの費用でまかなえるかどうか。大深度地下や南アルプスの下を掘り進むわけだが、土木工事は過去、予算が何倍にも膨れ上がったケースに枚挙にいとまがなく、危惧感はぬぐえない。南アルプスの自然が破壊されないかどうかも心配。さらに東京・大阪間の開業が34年後だから、その時点で日本の経済、国情がどうなっているかも不確実だ。人口減で思ったほど利用者が増えないということもありうる。
軋轢を恐れず辣腕を振るう
リニア中央新幹線は、JR東海が東海道新幹線と一体経営することが、早い段階で決定していた。だがすべてを東海会社の単独リスクで行なうというのは、会長として絶大なリーダーシップを振るう葛西の存在抜きには考えられない。
私が会っていた頃から、葛西はJR東日本を目の敵にしていた。理由は、民営化された本州3社のうちで、東日本がことに資産分割の面で有利に扱われているということからだ。とにかく国鉄改革は成功したと喧伝するために、東日本だけでも早期に健全経営軌道に乗せたいという政治家の意図が陰に陽に働いたのだ。国鉄経営の迷走も、政治家の暗躍抜きに考えられない。そんなことで、葛西はリニア新幹線のルート決定から建設に至るまで、政治家の容喙を排除したいという思いが強かったと見てよい。それが、前述のようなリスク、不確定要素があるにもかかわらず、自社の投資リスクでの建設という大胆な決定につながったのではないか。
多分、国鉄という政治や労働組合に翻弄されてきた組織に長くいたせいであろう、本人は否定するが、葛西は市場経済論者の色彩が強い。勝者の論理を振りまくことも多いように見える。全寮制の海陽学園を設立するなどエリート主義もぬぐいがたい。色々と軋轢を起こしているからだろう、ネットなどで、これほど揶揄、攻撃されている経営者は珍しい。それはともかく、JR東海が単独でリニア新幹線建設に踏み切るのは、市場経済論者・葛西としては当然な結論だったにちがいない。
もちろんその決断を支えたのは、東海道新幹線という打ち出の小槌である。鉄道収入の85%、多分利益に関してはほとんど100%近くを依存する新幹線なしに、この計画は存在しなかっただろう。
経営資源が劣位にあり、徹底した合理化以外に東日本、東海と戦うすべがなかった西日本は福知山線事故を起こし、三羽烏の筆頭だった井手の名声は地に落ちた。当初は存在しなかった東海が政治家の横槍で生まれ、そこに送り込まれて存分に腕を振るうことができた葛西は、その点、実に幸運な人である。
月刊「ニュートップL.」 2011年2月号
清丸惠三郎(ジャーナリスト)
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