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母から受け継いだ妥協なき「本当の保育」を志す(株式会社コビーアンドアソシエイツ・社長 小林照男氏)

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掲載内容は取材当時のものです。
現在の情報と異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください。


都心での「待機児童」解消のため、各地で保育所が新設されている。子供を預かってもらえるだけでもありがたいという風潮があるなか、小林社長は母から受け継いだ保育の理念を貫き、子供たちの将来を考えた質の高い保育を実践している。

2000年の規制緩和によって株式会社に認可保育所(※保育所は大きく、都道府県知事の認可を受けた「認可保育所」とそれ以外の「認可外保育所(園)」に分かれる。認可保育所には公費負担があり、親の収入によって保育料は変わる。)の運営が許されるようになり、教育産業など他業界からの進出が相次いだ。

保育所増設という国策を追い風に、急成長して上場を果たした企業もある。

小林照男社長が創業したコビーアンドアソシエイツも、そうした新興企業の1つだが、年季と筋金がまったく異なる。保育士の仕事に生涯を捧げた母・故小林典子氏の理想と理念が息づいているからだ。

◇    ◇    ◇

当社が運営する「コビープリスクール」では小さなことにも妥協を許さない「本当の保育」を実践しています。「本当の保育」とは、子供たちに「本物」に触れる機会を与え、「感動の体験」をさせることです。たとえば、園内には印刷されたポスターではなく本物の絵画を飾っていますし、食器も落とせば割れる陶器やガラス製を使っています。専属スタッフには元Jリーガーやダンスの先生もいて、鍛え抜いた技を園児に見せ、昼食は元一流ホテルのシェフなどプロが調理に当たります。

子供たちには、まがいものでなく本物だけを味わわせたいのです。するとそこに感動の体験が生まれ、同時に大切にすべきものを自然と理解するようになるのです。幼児期の体験は人格形成に大きく影響します。いい加減な教育をすると20年後、30年後の国力にもかかわってくる。そのくらいの意識をもって保育所を運営しています。

だから保育士にも「子供にはこの程度でいいだろう」といった妥協は一切許さず、常にプロフェッショナルの意識をもって本気で接することを求めます。このことは、保育士の真のプロフェッショナルであった母の教えでもあるのです。

母は私が生まれる前から、実家のお寺が運営する保育所で保育士をしていました。姉や私もその保育所に入り、卒園してからも運動会の手伝いなどにかり出されました。中学生のときに母が独立して自宅で保育所を始めてからは、私の部屋に園児が遊びにくるくらい、プライベートに保育が完全に入り込んでいた。

ただ、思春期をそうした環境で過ごしたせいか、反発心が出て保育の仕事なんか絶対にしないぞと思っていました。そのため高校卒業後は、アメリカに留学して米国公認会計士をめざした。将来は起業したいという夢もありました。

ところが、卒業間近の95年、現地の監査法人から内定をもらい、母に報告をした翌日、就職せずにすぐに日本に戻ってこいと命令されたのです。サラリーマンだった父の病気が理由でしたが、「誰がいままであなたの学費を出したと思っているの」と有無を言わせない口調で、結婚したばかりの妻ともども、泣く泣くアメリカの家を引き払いました。

衝撃を受けた病床での母の言葉

戻ってみると父の病気は命にかかわるほどのものではなく、どうも母の策略だったようです。案の定、すぐに母が園長を務める保育所を手伝わされた。調理室での皿洗いや園庭の手入れ、園舎の補修など裏方の仕事です。最初のころはアメリカに戻って働くことばかり考えていましたが、保護者のリアルな声を聞いているうちに、少子化といわれるけれども、日本の保育事業は実は隠れた有望産業ではないかと思うようになったのです。

1年かけてデータを収集し、世の中の動向を調べたら、それが確信に変わりました。母に相談すると「やっと気づいたの?これから保育所はますます足りなくなってくる。すぐに始めなさい」と言われた。

そこで銀行から融資を受け、母が園長を務める認可保育所とは別に、98年、野田市に認可外保育園を開園しました。開園前は手応え十分だったのに、いざ開園してみると集まった園児はわずか6人。しかも2人は姉と私の子供でした。開園当初はお金がなく、経営者の私も保育士の妻も無給で、夕食は持ち帰りの牛丼ばかり食べていました(笑)。

◇    ◇    ◇

そんな折、事件が起こる。前年に除去手術を受けていた典子氏のガンが再発し、医師から宣告を受けたまさにその日のことだ。典子氏の保育所で、父子家庭の父親が園に子供を預けたまま失踪してしまったのだ。警察にも届け出たが見つからず、結局、遠方の親戚に翌日引き取りにきてもらうことになった。

深夜、その報告に病院に出向くと、点滴を腕に刺したまま典子氏は暗い廊下のベンチに1人座って待っていた。顛末を聞くなり、ガン宣告を受けたときも取り乱すことのなかった典子氏が「ちくしょう。私がこんな体でなかったら……」と言いながら、悔し涙をポロポロとこぼした。

◇    ◇    ◇

母は大きな寺の娘で、習い事は一通りやっていました。小さいころから日本画を学び、歌は声楽家並でピアノも弾けて字もうまかった。まさに保育士のカリスマのような人で、「ちくしょう」なんて汚い言葉を聞いたのは、あとにも先にもあのときだけです。自分の子供以上に園児を大切にするような人で、保育に命をかけていたことを痛感しました。

その後、母は一度復帰しますが、2年後に亡くなります。ガンが全身に転移して、余命いくばくもない時期にあっても医師に「どんな副作用にも耐えるから治療して生かしてください。私には子供たちが待っているんです」と言っていた。

このときの経験によって、母の遺志を継ぎ私も保育の仕事に一生を捧げようと肚をくくることになりました。

幸い、私の園は口コミで評判が広がり、年々園児は増えていきましたが、しばらくは経営は苦しかった。安定したのは規制緩和により2003年に野田市で公設保育所2園の運営を受託してからです。競争相手は多かったのですが、柔軟なサービスを提供できる50年間のノウハウがあるとアピールしました。その意味で私の実績ではなく、母の実績が評価されたといえるでしょう。実際、開園に当たっては、かつて母のもとで働いていたベテラン保育士が集まってくれました。

ただ、その後は大手が一気に勢力を拡張したのに対し、当社は着実に広げてきました。それは私自身が現場タイプで、園長を募集するなどして、寄せ集めの人材では開園したくないという思いがあったからです。子供たちによい保育を提供するには保育士の質が最も大切で、人材を育てるためにはある程度の時間が必要です。園の数を増やすチャンスはいくらでもありましたが、むしろゆっくりと会社を成長させてきました。

保育理念では、ともかく本物志向を貫いてきました。幼児期はおいしいとかきれいとかいう感覚を育てる時期ですから、いま本物体験をさせておかないと正しい感覚が育ちません。

陶器やガラスの食器は確かに割れますが、子供たちに「だから大切に扱ってね」と教えておけば大切に扱うことを学びます。逆にプラスチックで割れないと思うから乱暴に扱ってしまうのです。
実際、子供たちが落として割ってしまうのは年に1回あるかないかです。園舎も子供に汚されても構わないものではなくて、子供だからこそ上質な空間を与えたいと思っています。

本物であることには細部にわたってこだわっています。たとえば子供たちに配る紙1枚にしても、できるだけ白色度の高いものを選びますし、発表会で使う衣装はすべて保育士の手づくりです。保護者の方に用意してもらったり、紙の衣装で間に合わせるようなことは絶対にしません。

各分野のプロを専属スタッフとしているのも同じ。保育士は教育のジェネラリストですから歌は歌えるしダンスもできますが、そのレベルでなく子供たちに本物のプロのすごさを教えて感動を与えたいのです。保育所のなかに当たり前のようにスペシャリストがいて、プロのすごいリフティングやダンスを子供たちに身近で見せられる。そんな環境を提供したいと思っています。

年に1度のスポーツフェスティバルも保護者から「運動会のイメージが変わった」とよく言われます。ともかく保育士には全力を尽くさせる。名物の1つは男性保育士による体操演技ですが、ものすごく練習をして最高のパフォーマンスを表現するようにさせています。保育士は子供たちにとってあこがれの存在でなければなりません。あんな大人に早くなりたいという思いを芽生えさせることで成長が図れるのです。だから保育士には、トラックに道具を並べたり白線を引くときでも、プロとしてのキビキビとした仕事を見せるようにと言っています。私も各施設の予行演習は必ず見に行って、細かなところまで保育士に指示を出します。

やる以上は毎年進化させたいので、演目は変えますし、使う音楽も毎年見直します。ダンスでも流行歌の振り付けを安易に使うようなことはありません。発達段階の子供たちの成長を、本人も保護者も実感できるような要素を含んだ動きを保育士がオリジナルで考え出しています。そうしたところにこだわることが本当の保育だと思うのです。

よい保育をすれば保育士も感動を味わえる

保育士はプロパーの育成を基本に置いています。都心部は保育所が増えたことで採用難にありますが、当社は採用で困ることはありません。というのも当社は離職率が低く、昨年度実績で8.65%です。30%、40%が当たり前といわれる業界にあって、奇跡的な数字だと思います。入ってくる人の意識が高いこともありますが、長く勤めてもらうために育成のためのカリキュラムやOJT制度を充実させています。

保育士は現場でのやり甲斐がなければいくら給料が高くても長続きしません。そのやり甲斐をどう感じさせるか。たとえば運動会にこだわって、終わったあとに子供たちが感動で涙している姿を見たり、保護者から感謝されることで保育士も感動します。よい保育を提供すればするほど保育士も感動が味わえるのです。それが仕事をもっと頑張ろうというやり甲斐につながってくると思っています。

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キャリアパスも明確にしてきた。何年勤めればこの地位に立てて給料もこれくらい上がるとわかれば、保育士も人生設計ができ安心して働けるようになる。全国平均4%の男性保育士が19%に達するのも、キャリアパスが明確になっているからだろう。

現在は認可保育所の運営にほぼ特化。この点が他の大手業者との違いでもある。高い品質の保育を提供するためには、一定の規模と設備をもった施設が必要だと考えている。

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これまでは「保育のコビー」として事業を行なってきました。これからは、事業の幅を広げ「子育て支援のコビー」に変えてゆきます。この切り口だと、ゼロ歳から6歳ばかりでなく、子育てをしている人すべてを支援できます。いまは保育所だけで子育てが完了する時代ではありません。われわれが中核となって様々な情報やモノ、ヒトを総合的につなぎあわせ、子育てのために必要なサービスを生み出していきたいのです。
そのため7月より、園舎を共同設計しているミサワホームとの共同出資で、子育てに関するノウハウを蓄積する新会社を設立します。この会社では、それぞれの顧客基盤やブランド、事業ノウハウなどを融合させた、子育てに関する様々なサービスを提供していく予定です。
いまは足りない保育所も、少子化がさらに進めば、やがて余る時代がやってきます。そのときに保護者から選ばれるのはどんな保育所か。母の保育理念を広めるためにも、将来の保育所余りの時代も見据えた戦略が必要なのです。

月刊「ニュートップL.」 2014年7月号
編集部


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