退職金は「どんなとき」「どこまで」カットできるか
ケース別レッスン退職金は、就業規則に規定されている範囲でカットすることができますが、その半面、労働者とのトラブルも生じやすくなります。
どのようにすればリスクを回避できるのかを探ります。
目次
退職金をカットする際のリスク・留意点とは
労働者が退職時に企業から支給される一時金のことを、一般に退職金(または退職手当・退職慰労金)といいます。
一方、その支払いが年金方式で行なわれる場合には、「退職年金」あるいは「企業年金」とも呼ばれます。
退職金の性格については、
- 労働者が毎期に受け取れるはずの賃金の一部を使用者が積み立て、それらの合計を退職時にまとめて支給するもの(賃金の後払い)
- 在職期間中の企業に対する功労・貢献の度合いに応じて支給される報奨金(功労に対する報奨)
- 退職後の生活保障
などの考え方があります。
ただし、いずれかの性格だけに限定される場合は少なく、実際には3つの性格が混在しているケースがほとんどと考えられます。
どれを重視すべきかは、各企業における退職金制度の成り立ち、構成のいかんによるといえるでしょう。
2.の退職金の功労報奨としての性格からすると、企業への功労がなく、むしろ背信的行為を行なって退職する労働者に対しては、報奨金としての退職金を支払う理由はありません。
このため、企業秩序を乱して懲戒解雇された労働者などには、退職金を支払わない、またはカットする企業も多く存在します。
しかし、1.賃金の後払い的性格、または3.生活保障としての効用を考えると、退職金の不支給・カットは、その後に退職金請求の紛争リスクを孕むことになります。
実際、退職金の不支給・カットにより、労働者が企業を相手取って退職金全額の支払いを求めて法的措置(労働審判・訴訟等)を提起することは決してまれではありません。
そこで以下、退職金の不支給・カットに関して、法的リスクを踏まえた対応について説明します。
退職金規程中の不支給・カット規定の留意点
退職金の不支給・カットは、あらかじめ退職金規程等に明記されてはじめて労働契約の内容となり、それを行なうことができます。
また、退職金規程等に不支給・カットとなる場合が明記してあっても、その規定に該当しない場合は行なうことはできません。
図表1は、不支給・カットを行なうべき場合を明記した退職金規程の具体例です。
退職金規程に記載すべき不支給・カットに関するポイントは、次のとおりです。
(1)退職金の不支給(没収)だけではなく、カットできることも明記する
退職金の不支給は、労働者にとって不利益となる度合いが強いため、裁判で無効と判定されることは少なくありませんが、一部をカットすることを許容する裁判例は多く存在します。
そこで、不支給が法的に無効となることを回避するために、事案に応じて柔軟な対応ができるよう、カットについても規定しておくべきでしょう。
(2)懲戒解雇・諭旨解雇をしない場合であっても、不支給・カットを行なえるようにしておく
懲戒解雇や諭旨解雇に相当する事実があっても、事案によっては普通解雇や自主退職により退職する場合もあり得ます。
また、自主退職後に、懲戒解雇・諭旨解雇に相当する事実が判明することもあります。
これらの場合でも、退職金の不支給・カットを行なうべき場合がありますが、その旨、規程に明記しておかなければ、実際に不支給・カットはできません。
(3)不支給・カットだけでなく退職金の返還についても定める
後述のとおり、退職金が支給済みの場合、返還規定を明記することにより返還を求めることができます。
(4)規定を新設・変更する場合は労働者の同意を得る
退職金の不支給・カットを行なう規定を新設・変更する際は、退職金の支給を限定する変更となりますから労働条件の不利益変更に該当し、その合理性が問われます。
そのため、労働者に対し、新設・変更の合理性を説明したうえで、できれば労働者の同意を取り付けたほうが安全です。
不支給・カットができる具体的なケース
退職金規程で退職金の不支給・カットについて定められているからといって、常に可能となるわけではありません。
裁判では、退職金規程等に明記されていたとしても、退職金の賃金後払いとしての性格を考慮すれば、退職金の不支給・カットを有効に適用できるのは、労働者のそれまでの勤続の功を抹消(不支給の場合)ないし減殺(カットの場合)してしまうほどの著しく信義に反する行為があった場合に限られるとして、不支給・カットの実施を無効とする判決が出されることがあります(図表2参照)。
そこで、以下、具体的なケースごとに、退職金の不支給・カットがどの程度までできるかを検討していきます。
(1)懲戒解雇・諭旨解雇の場合
懲戒解雇・諭旨解雇が退職金の不支給事由となっている場合、その懲戒解雇等が有効であれば、同時に退職金の不支給も有効であると会社側が考えていることがよくあります。
しかし裁判例では、懲戒解雇等が有効であったとしても、退職金の不支給は無効だと判断されることは珍しくありません。
つまり、労働者の行為により会社に多大な損害が生じた等、背信性が大きいと判断される行為があった場合に限定して、不支給・カット規定が適用される扱いとなっています。
実務上の目安としては、会社財産の横領、重大な企業秘密の漏洩、会社の名誉毀損・信用毀損、重大な業務命令違反、上司に対する暴行などが認められる事案では、懲戒解雇に伴う全額不支給も認められやすいといえます。
しかし、一時的な感情に基づく上司に対する暴言や職場トラブル等については、これを理由とする退職金不支給は行き過ぎとされる傾向が強いといえます。
(2)競業避止義務違反の場合
在職中に企業の機密情報や重要な顧客に関する情報にアクセスできる社員が同業他社に転職することは、会社の重要な情報を他社に流出させるリスクを生じます。
そこで企業は、就業規則や誓約書等において、退職後に競合他社に転職したり、競合事業を自ら経営する会社を設立するなどして、前使用者のもとで在職中に獲得した知識、技術、技能、人間関係を利用して競争的性格をもつ職業活動に従事することを禁止する旨の規定(競業避止義務規定)を明記することがあります。
その規定の実効性を確保するため、当該規定に違反すれば退職金の不支給・カット、返還を求める旨の規定を置く例が少なくありません。
ただし、退職後の競業避止義務は、すでに労働契約が解消されており、労働者が職業選択の一環として自由に再就職先を選択できる退職後の行為を制限する点で、懲戒解雇等の場合以上に慎重に対応する必要があります。
裁判例では、競業避止義務違反を理由とする退職金不支給やカットの規定が有効であっても、全額不支給についてはそれに相当するような顕著な背信性がある場合に限られるとしています。
その背信性の判断は、不支給規定の適用の必要性、退職に至る経緯、退職の目的、退職した社員の違反行為により会社が受けた損害等の諸事情、などを総合的に考慮してなされます。
具体的な裁判例としては、
- 単に経験を活かして同業他社に就職した程度では足りず、多額の投資をして特殊なノウハウを身に付けさせており、その者がいなければ会社の当該部門の営業が成り立たないこと、
- 当該部門の多数の社員を勧誘して離脱させたため、当該部門を閉鎖せざるを得なかったこと、
- 職務上、知り得た秘密をみだりに使用して会社の利益を害したこと、
などの条件を要する傾向にあるようです。
(3)退職時の対応・手続きを理由とする場合
企業によっては退職時にとるべき手続きに違反した場合や退職時に会社に損害を与える行為を行なった場合に退職金の不支給・カットを行なうケースがあります。
たとえば、退職日の1か月前に退職届を提出して業務の引継ぎをする、との規定があるにもかかわらず、突如として退職届を提出して退職し、引継ぎを行なわなかった場合などです。
この場合も基本的には、不支給・カットは、労働者のそれまでの勤続の功を抹消ないし減殺してしまうほどの著しく信義に反する行為があった場合に限られると考えられています。
このため、引継ぎをせずに退職してしまった場合は、著しく信義に反する行為とは認められにくく、不支給については無効となる可能性が高いと思われます。
職後の退職金の返還請求の可否
退職金の支給後に退職金の不支給事由が判明した場合や競業避止義務違反のように退職後に退職金の不支給事由が発生した場合、本来ならば不支給またはカットの対象となります。
規定により、そもそも労働者には退職金を請求する権利がなかったわけですから、使用者は退職金相当の利益について不当利得であるとして、その存する限度で返還請求を行なうことができます(民法703条)。
ただし、実務上は返還義務について争われることを防ぐため、退職金規程に返還に関する規定を入れておくことが必要です(図表1退職金規定例の2参照)。
紛争リスクを回避するために何をすべきか
以上から、退職金の不支給・カットはリスクを伴いますので、合理的な退職金規程を設け、不支給・カットの事由を明確に規定したうえで、その適用に際しては、事案ごとにその程度を慎重に決めていくことが重要です。
また、紛争リスクを回避するためには、労働者と「退職合意書」を取り交わすことも有効です(図表3参照)。
「退職合意書」を作成する際の留意点は、次のとおりです。
- 退職に至る経緯をできるだけ具体的に記載し、就業規則の懲戒解雇事由などに該当する事実関係について相互に確認し、本来懲戒解雇を行なえたが、労働者の申し出により、合意退職に至ったことを明記する
- 退職金規程の退職金不支給(没収)・カット事由に該当すること、および労使の合意により最終的な退職金額を確定したことを明記する
◇
懲戒解雇事由に該当したからといって、一律に退職金の不支給・カットができるわけではありません。
実施するには、あらかじめ万全の配慮が必要であることを肝に銘じておくべきでしょう。
月刊「企業実務」 2015年2月号
吉村雄二郎(弁護士)