危機管理情報を独自理論で扱うパイオニアとして災害時の初動対応を支援する(株式会社レスキューナウ・最高顧問 市川啓一氏)
キラリと光るスモールカンパニー掲載内容は取材当時のものです。
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大地震、大津波、原発事故、台風…ことしの日本列島は相次ぐ危機に見舞われている。
企業にとって自然災害や大事故に対する危機管理は、経営を左右する課題と認識されるようになった。危機対策支援などを手がけるレスキューナウは、2000年の設立以来、危機管理情報を収集・分析し、提供するパイオニアとして成長。24時間365日、専門スタッフが収集する災害や事故などの情報は精度が高く、大手企業をはじめ省庁や自治体などにも情報を提供する。
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「危機管理情報の専門会社として、東日本大震災で被害を減らすことができたかと聞かれれば、残念ながら、貢献できたと胸を張ることはできないと思います。次に起こるかもしれない大災害の時までに、レスキューナウのおかげで『被害が減った』『復旧が早まった』と皆さんに言ってもらえるようサービスをさらに発展させていきたい」
レスキューナウの創立者であり、最高顧問の市川啓一氏(47歳)は今後の目標についてそのように語る(以下、発言は同氏)。
同社は、24時間365日、自然災害や事故、火災、インフルエンザなど危機管理情報を収集。独自の理論でデータベース化して企業や個人にウェブやメールなどを通じて配信するとともに、危機管理のソリューションも提供している。
「RIC24」と呼ばれる危機管理情報センターには、24時間三交代でスタッフが常駐し、休みなく情報を集める。毎日80以上のウェブサイトやツイッターなど延べ7,500回以上も監視し、交通機関やテレビ局、ラジオ局などに延べ300回以上の電話取材を行なうという。
収集・整理した情報は二人以上でチェックするため、誤入力はほぼない。こうした情報を月間1,000件以上も蓄積しているのだ。
大災害など緊急時には、半径2キロ以内に居住するスタッフが「RIC24」へ20分以内に駆けつけるといった迅速な対応ができる仕組みを構築。オンラインでもオペレーションできる体制を整え、20人以上のスタッフが情報収集などに努める。
ここまで大規模かつ高度に危機管理情報を扱っているのは、国内でレスキューナウだけだ。
企業の危機対策の初動を支援する
同社の情報サービスに対する評価は高く、交通機関の事故情報を同社から入手している省庁もある。世界中のフライト関連情報を購入している航空会社や、事故や災害などのトラブル情報を得ている大手通信会社もある。トラブルに通信障害が関係することもあるからだ。
自治体から発信される防災情報や安心安全情報の入力・配信を代行するサービスも行なっている。たとえば、神奈川県秦野市では、火災発生の情報を消防本部からレスキューナウが受け取り、入力して市民向けに配信。地震や気象警報、土砂災害警戒情報などの防災情報も、代行配信しているという。
「自治体が防災情報を発信する頻度は高くないのに、自前でやろうとすると24時間体制を組まなければならない。そのためレスキューナウが現在、代行配信を引き受けています」
同社が企業向けに提供している危機管理ソリューション「3rdWATCH(サードウォッチ)」では、災害などが発生すると、まずメールや電話で顧客に緊急情報を連絡。その1時間後と2時間後に被害状況サマリーを作成し提供、さらに3時間後には災害レポートをまとめ、提供する。
災害レポートには、災害の概要や人的・物的・ライフライン・交通関係被害、政府や行政の対応、企業への影響などが表組みで記載されている。現地の写真や地図なども添付される。
「サマリーもレポートも企業の初動対応をサポートするためのものです。災害対策本部を設置するべきか、社員を帰すべきか、事業再開はどうするかなど、会社としてどのレベルで対応するかの判断材料となるのです。緊急時の対応は、後手になって被害が拡大することが多い。それを避けるためにも、わが社のサービスを活用してもらう。このサービスがあって助かったと取引先の役員から感謝の言葉をいただくこともあります」
3rdWATCHには、こうした初動対応支援のほか、安否確認などのサービスがある。
災害・事故情報を整理する独自のDLC理論
このほかにも、同社は防災用品の販売も手がけている。コンパクトなA4サイズのボックスに、防災食・水・セーフティライト・簡易トイレなどを詰めた「1Day(ワンデイ)レスキュー」は好評で、警備会社や文具メーカーなどにOEM(相手先ブランド)でも提供している。
レスキューナウのもう一つの事業の柱が危機管理情報をインターネットのサービスプロバイダーやポータルサイト、放送事業者などに配信するコンテンツシェアサービスである。
JRや私鉄の運行情報を携帯電話などにメールで受け取っている読者もいるだろう。全国の鉄道運行情報の配信を行なっているのは同社だけである。このほか、道路・フライト・気象災害・火山・台風などの情報も扱っている。
売上構成は、3rdWATCHおよび防災用品販売が全体の6割、コンテンツサービスが3割、残りはシステムの受託開発だ。取引先は大手を中心に数百社あるが、なかには100人規模の中小企業もあるという。
冒頭、危機管理情報を独自の理論でデータベース化していると述べたが、それは「DLC理論」と命名され、ビジネスモデル特許を取得している。この理論を確立したからこそ、災害や事故情報を個人のニーズに合わせて配信できるようになった。
DLCとは、災害・事故発生地までの距離(Distance)、深刻度(Level)、種類(Category)という3つの属性を指す。市川氏は危機管理情報を扱い始めて、三つの属性で災害・事故を整理できることに気づき、創業した2000年に理論化した。
「マスメディアは最大公約数のマス情報を提供するのに対して、わが社が提供するのはミクロ情報です。個人や会社が予防や対策を立てるために役立つ情報を提供することが、レスキューナウの役割なのです。たとえば、ある町で起こった小火(ぼや)の情報は、離れた場所にいる人には不要ですが、その町内や近隣に住む人には重要。つまり、距離が近ければ重要性は増す。災害・事故情報にDLCのタグをつけることで、必要な人に必要なタイミングで情報を送ることができるようになったのです」
以前、東京のある町で放火が増えているという情報を配信し、その町に住む人がその情報を受け注意していたところ、ある日、窓の外が異様に赤くなっていることに気づき、火災をいち早く発見。小火の段階で消火できたという。
中学生の頃から起業家をめざす
市川氏は1964年生まれ。父は大手商社のサラリーマンだったが、市川氏は中学生の頃からサラリーマンではなく、事業オーナーをめざしていた。
成蹊大学経済学部に進学後、後に夫人となる恋人の父親(会社経営者)から風防カバー付きライターの販売方法を相談された。市川氏は「ぜひやらせてほしい」と言って事業部を作ってもらい、商品化に取り組んだ。
そして、温度によって色の変わる塗料を見つけ、風防カバーにその塗料でヌード写真を印刷しておき、着火すると絵柄が浮き上がるように工夫すると、これが大ヒット。その後も自動車のシートベルトカバーを作り、自動車保険会社などに採用されて数万本を出荷したという。
大学卒業後、そのまま事業家をめざす気持ちも強かったが、まず大組織で仕事のやり方を学びたいと考え、大手商社などの入社試験を受けた。しかし事業の成功ばかり語る市川氏を企業は敬遠したのか、32社連続で不合格。その後、友人の紹介で日本アイ・ビー・エム(以下、日本IBM)を受け、87年に就職した。結果的に同社で理想的な上司に出会い、市川氏の才能が開花することになった。
「採用面接で英語は得意でないし、コンピュータも好きではないと言うと、面接官が『コンピュータ嫌いでけっこう。君はお客の問題を解決する仕事をやってくれ』と言うんです。実はその人が後に私の上司になり、現在ではレスキューナウの顧問もやっていただいています」
入社後、7年間は金融機関を担当し、その間にシステムのアウトソーシング事業についてアメリカへ飛んで調べあげ、金融各社へ提案し導入を実現した。現在、この事業は日本IBMの大きな柱に育っている。
その後、恩人となる上司からマルチメディア事業部に引き抜かれ、パソコン向け幼児教育用ソフトを手がけることになった。しかし開発予算はゼロ、社内協力もなし。市川氏は外部のソフト制作会社をくどき、成功報酬という条件で制作にこぎつけると、見事にヒットした。
「カルロ」という緑色の猫のキャラクターが人気となり、50音やアルファベットなどを、動く絵本のようにわかりやすく学べる教材は13作ものシリーズとなった。日本IBMとして初の書店売り商品だった。
市川氏が幼児教育用ソフトを手がけていた頃、日本IBMでは社内ベンチャー制度を計画しており、市川氏もその検討メンバーに選ばれた。ところが、なかなか米国本社から新制度への決裁が下りなかった。
もともと、35歳までに会社を辞めて独立すると決意していた市川氏は、日本法人社長に直談判し、テストケースとして2年間給料を受け取りながら起業するチャンスを得た。ただ、何の事業に挑戦すべきか決めかねていたという。
「幼児教育ソフトを扱えばさらに売上を伸ばせると思いましたが、万が一、経営が苦しくなったときにも、歯を食いしばって仕事ができる事業でなければ保たない。それがどのようなものかといえば、人を助ける仕事だと思いました」
市川氏は子供の頃から飛行機事故やビル火災などを題材としたパニック映画に興味をもっていた。危機から人を救い出すストーリーに惹かれていたのだ。
95年に発生した阪神・淡路大震災も引き金になった。被災地の状況を伝えるニュースを目にし、自分も何かしたいと思うが、どうしていいかわからない。散歩中に消防士の募集看板を見て、試験を受けようと話を聞きに行ったこともある。住んでいた地域の消防団に参加して、実際に消火の手伝いもしたが、それだけでは自身が抱く理想には遠いと感じたという。
本当に人を救えるサービスを提供する
悶々とする思いのなかから、災害や事故に遭った人々を支援する危機管理情報の提供サービスはできないだろうかと考えるようになっていった。こうした背景と社内ベンチャーが結びつき、2000年に2人の知人とともに、レスキューナウ・ドット・ネットを設立。
資本金の1,000万円は、自分の貯金のほか、友人・親戚・仕事仲間など13人から出資してもらった。ドブに捨てるつもりで出資してほしいと頼んだところ、皆、快諾してくれたというのだから、この資本金は市川氏への信頼の証だろう。
当初は個人向けに災害危機情報を配信する「マイレスキュー」を事業の主体とした。だが、個人相手に採算ベースに乗せることは難しかった。創業2年目には社員数が50人にもなり、月間3,000万円ものランニングコストがかかる一方、売上は同1,000万円に満たなかった。
02年に綜合警備保障との業務提携をきっかけに社員を半減する合理化を実施。このときの心痛はいまも忘れられないという。03年から法人向けに事業をシフトし始めた。この方針転換で創業メンバーは同社を去っていった。
だが、こうした経験を通じて、企業としての土台が固まった。06年には社名をレスキューナウに変更。綜合警備保障や自治体などと提携することで法人需要を開拓し、完全に法人向けサービスに切り替えた。
「わが社が手がけるサービスは、NPOでやるべきだと言われることもありますが、私は命を守るために人はおカネを払うと信じています。目先の儲けを追わず、本当に人を救えるサービスを提供していきたい」
東日本大震災では津波が目前まで迫っていたことを知らずに亡くなった人々も多い。市川氏はそういう危機に陥った人たちを助けるにはどうしたらいいか、いまも考え続けている。
月刊「ニュートップL.」 2011年11月号
吉村克己(ルポライター)
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